2013年10月31日
親父! 俺、生きてるんだよ! 親父!!
我武者羅應援團 幹事長 伊澤直人さんのお話、続きです。
※前回の記事はこちら
「決まった」ではなく「決めた」の感覚が嬉しくて…。
進学校、有名大学、大手企業と
順風満帆に人生を送ってきた伊澤さんでしたが、
武藤さんのアツさにひかれ、
ついに会社を辞め、
静岡から一人で東京に出てきてしまいました。
あまりにも突然のことで、
伊澤さんの家族は、伊澤さんの気持ちが理解できません。
それでも、どうしても応援団をやりたくて、
大好きな父親を説得できないまま
上京してきてしまった伊澤さんでしたが、
家族のことがずっと心に引っかかったままでした。
ここから、伊澤さんの語りです。

やっぱり自分の中でもずっと引っかかっているんですね。
家族にちゃんと伝えられていないな、というのがあって。
ウチの親父は地元で中華レストランをやっていて、
地元のために、
大きなお祭りの実行委員長を務めたりして、
そういう活動が好きで、
いつも地域の人たちのために、ずっとやってきていたんですね。
でも、僕が思うに、
最近、商店街が元気がないような気がして、
僕も親父のように、地元を盛り上げられたらいいなと思って、
それで、團長にも相談して、
僕の地元の商店街を応援をさせていただくことになったんです。
商店街を練り歩いて、
自分もなじみのお店を応援させてもらったりして、

最後に親父のお店に行くことになるんですけど、
…本当に怖かったんですよ。
応援するにあたって。
別に親父が怖い人だとかじゃなくて、
どちらかというと優しいというか、
今までは、自分がこうしたいと言えば
なんでも賛成してくれるような感じであったんですけれども、
ただ、今は
自分の活動が、親父には受け入れられていないなというのがあったので、
その状態で、
親父を応援しに行くっていうのが
スゴイ不安で、
めちゃめちゃ怖かったんです。
そんな気持ちで応援に行ったけど、
親父の真正面に立ったら
やるしかないわけですよ。

やらざるを得ない状況に追い込まれたときに
もう、頭の中は真っ白だったけど、
わぁーって言葉が出てきたんですよね。
僕は、やっぱり、親父の生き方というか、
地元で頑張っている親父の姿を
ちっちゃいころから見てきたから、
だから俺は、
自分でも親父のように
自分のやりたいことに正直に、本気で思いっきり生きていきたいと
思えたんですよね。
だから、それをストレートにバーンとぶつけて

「あなたがいたから、
俺は今ここで、應援團として頑張れている」
ってことを伝えて、
親父に最後にエールを送らせてもらったんです。

そしたら親父が黙ってうなずいてから
握手をしてくれて、
一言
「ありがとう」って言ってくれたんですよね。

「ありがとう」って言葉は
家族の中でも普通に交わしていたんですけど、
全然違う意味合いに聞こえたんです。
「ありがとう」って、
ありきたりの言葉なのかもしれないけど
本当にその言葉がずっしりと心に響いたので、
その場で気持ちを伝えられたってことは
ホントに良かったと思って。
自分の気持ちを伝えたこと、
親父に向けた言葉だったんですけど、
親父のために言っていたわけじゃなくて
自分のために言っているんだ、
という感覚がすごくあったんですね。
その時に。
自分のために、
自分が自分の心に響く言葉を
自分にも投げかけられたことが
凄くうれしかったし、
そういう自分を
親父も喜んでくれるだろうなという確信があったので
そこで、自分でエネルギーを出して
「親父! 俺、生きてるんだよ! 親父!!」って
伝えられたことが
本当に嬉しくて、幸せだなと思いました。
----------
伊澤さんの話を聴いて、ヒダカズが言いました。
----------
以前、副団長の武藤正幸さんがこんな風に言っていたんです。
「会社員でいれば、
こんなに大変な思いをしなくてすむのに、
伊澤は、今、本当によくやってるなって思うんです」って。
そしたらね、伊澤さん、
なんて言ったと思います?
「自分で決めたことですから」って
言ったんですよ。
カッコいいですよね。
伊澤さんの生き方を見ていて
「自分で決める」ってことが
どれだけ大事なことかって思いますよね。
子育てもそうですよね。
「自分で決めさせる」
自分で決めたことは、
これだけ大変なことも乗り越えていくエネルギーが
出てくるんですよ。
やれって言われてやらされていることは
そんなエネルギー出てこないですよね。
伊澤さん:
「自分は口下手だから、
今回の、比田井先生とのトークショーの話があった時に
断るという選択肢もあったんですけど、
自分でやると決めたんですね。
やるって決めると、やるモードになるんですよね。
やると決めたらやるんですよね。
ホントにそこだけだと思うんです。
自分の中で「決める」ってことがテーマで
「決める」ことによって、いろんなことが動き始めたなっていう
感覚があるんです。
「決める」と、感じ方も変わるんです。
みなさんも、今日ここに来るって
自分で決めて来てくださったと思うので、
みなさんと一緒にこれからも
「決める生き方」をして
自分らしい生き方をしていきたいなと思います。
そして、最後にエール。

今までのトークの声とは全く違います。
会場の空気が一瞬で変わりました。

たった一人で、大きな声で、堂々としたエール。
心が震えました。
涙を流している人もいました。
そして、トークショーは終わりました。

最後、片づけも終わって、
スタッフのみんなや平安堂さんにエールを送る伊澤さん。

平安堂さんのスタッフやお手伝いをして下さった方と一緒に記念写真。

平安堂さんには、私たちのわがままも聴いていただいて
本当によくしていただきました。
私たちも、とても気持ちがよかったです!
本当にありがとうございました!
※前回の記事はこちら
「決まった」ではなく「決めた」の感覚が嬉しくて…。
進学校、有名大学、大手企業と
順風満帆に人生を送ってきた伊澤さんでしたが、
武藤さんのアツさにひかれ、
ついに会社を辞め、
静岡から一人で東京に出てきてしまいました。
あまりにも突然のことで、
伊澤さんの家族は、伊澤さんの気持ちが理解できません。
それでも、どうしても応援団をやりたくて、
大好きな父親を説得できないまま
上京してきてしまった伊澤さんでしたが、
家族のことがずっと心に引っかかったままでした。
ここから、伊澤さんの語りです。
やっぱり自分の中でもずっと引っかかっているんですね。
家族にちゃんと伝えられていないな、というのがあって。
ウチの親父は地元で中華レストランをやっていて、
地元のために、
大きなお祭りの実行委員長を務めたりして、
そういう活動が好きで、
いつも地域の人たちのために、ずっとやってきていたんですね。
でも、僕が思うに、
最近、商店街が元気がないような気がして、
僕も親父のように、地元を盛り上げられたらいいなと思って、
それで、團長にも相談して、
僕の地元の商店街を応援をさせていただくことになったんです。
商店街を練り歩いて、
自分もなじみのお店を応援させてもらったりして、

最後に親父のお店に行くことになるんですけど、
…本当に怖かったんですよ。
応援するにあたって。
別に親父が怖い人だとかじゃなくて、
どちらかというと優しいというか、
今までは、自分がこうしたいと言えば
なんでも賛成してくれるような感じであったんですけれども、
ただ、今は
自分の活動が、親父には受け入れられていないなというのがあったので、
その状態で、
親父を応援しに行くっていうのが
スゴイ不安で、
めちゃめちゃ怖かったんです。
そんな気持ちで応援に行ったけど、
親父の真正面に立ったら
やるしかないわけですよ。

やらざるを得ない状況に追い込まれたときに
もう、頭の中は真っ白だったけど、
わぁーって言葉が出てきたんですよね。
僕は、やっぱり、親父の生き方というか、
地元で頑張っている親父の姿を
ちっちゃいころから見てきたから、
だから俺は、
自分でも親父のように
自分のやりたいことに正直に、本気で思いっきり生きていきたいと
思えたんですよね。
だから、それをストレートにバーンとぶつけて

「あなたがいたから、
俺は今ここで、應援團として頑張れている」
ってことを伝えて、
親父に最後にエールを送らせてもらったんです。

そしたら親父が黙ってうなずいてから
握手をしてくれて、
一言
「ありがとう」って言ってくれたんですよね。

「ありがとう」って言葉は
家族の中でも普通に交わしていたんですけど、
全然違う意味合いに聞こえたんです。
「ありがとう」って、
ありきたりの言葉なのかもしれないけど
本当にその言葉がずっしりと心に響いたので、
その場で気持ちを伝えられたってことは
ホントに良かったと思って。
自分の気持ちを伝えたこと、
親父に向けた言葉だったんですけど、
親父のために言っていたわけじゃなくて
自分のために言っているんだ、
という感覚がすごくあったんですね。
その時に。
自分のために、
自分が自分の心に響く言葉を
自分にも投げかけられたことが
凄くうれしかったし、
そういう自分を
親父も喜んでくれるだろうなという確信があったので
そこで、自分でエネルギーを出して
「親父! 俺、生きてるんだよ! 親父!!」って
伝えられたことが
本当に嬉しくて、幸せだなと思いました。
----------
伊澤さんの話を聴いて、ヒダカズが言いました。
----------
以前、副団長の武藤正幸さんがこんな風に言っていたんです。
「会社員でいれば、
こんなに大変な思いをしなくてすむのに、
伊澤は、今、本当によくやってるなって思うんです」って。
そしたらね、伊澤さん、
なんて言ったと思います?
「自分で決めたことですから」って
言ったんですよ。
カッコいいですよね。
伊澤さんの生き方を見ていて
「自分で決める」ってことが
どれだけ大事なことかって思いますよね。
子育てもそうですよね。
「自分で決めさせる」
自分で決めたことは、
これだけ大変なことも乗り越えていくエネルギーが
出てくるんですよ。
やれって言われてやらされていることは
そんなエネルギー出てこないですよね。
伊澤さん:
「自分は口下手だから、
今回の、比田井先生とのトークショーの話があった時に
断るという選択肢もあったんですけど、
自分でやると決めたんですね。
やるって決めると、やるモードになるんですよね。
やると決めたらやるんですよね。
ホントにそこだけだと思うんです。
自分の中で「決める」ってことがテーマで
「決める」ことによって、いろんなことが動き始めたなっていう
感覚があるんです。
「決める」と、感じ方も変わるんです。
みなさんも、今日ここに来るって
自分で決めて来てくださったと思うので、
みなさんと一緒にこれからも
「決める生き方」をして
自分らしい生き方をしていきたいなと思います。
そして、最後にエール。
今までのトークの声とは全く違います。
会場の空気が一瞬で変わりました。
たった一人で、大きな声で、堂々としたエール。
心が震えました。
涙を流している人もいました。
そして、トークショーは終わりました。
最後、片づけも終わって、
スタッフのみんなや平安堂さんにエールを送る伊澤さん。
平安堂さんのスタッフやお手伝いをして下さった方と一緒に記念写真。
平安堂さんには、私たちのわがままも聴いていただいて
本当によくしていただきました。
私たちも、とても気持ちがよかったです!
本当にありがとうございました!
Posted by 比田井美恵 at
23:59
│Comments(0)
2013年10月30日
「決まった」ではなく「決めた」の感覚が嬉しくて…。
さて、ヒダカズによる、長い長い伊澤さんの紹介もやっと終わり
(すでに32分経過!!)
やっと伊澤さんが話し始めました。
「伊澤の部屋」に書いてきたような、
伊澤さんの生い立ちから我武者羅應援團に入ったきっかけを
語ってくれました。
※「伊澤の部屋」バックナンバーはこちら!
●伊澤の部屋3月号-「まだやれる!」という気持ちが大事
●伊澤の部屋4月号-「決まった」ではなく「決めた」-
●伊澤の部屋5月号-ランナーは僕で、スターターも僕だ。
●伊澤の部屋6月号-ひとつのことをガムシャラにやりきった。
●伊澤の部屋7月号-僕がそう思ったから
●伊澤の部屋8月号-すべては自分の気持ち次第
●伊澤の部屋9月号-永ちゃんのように、なりあがってみせる!
伊澤の部屋10月号-父とのエール

伊澤さんは、3歳ですでにひらがながすべて読め、
近所の人たちからは「神童」と呼ばれていました。

高校では県内トップの進学校に入学し、
現役で国立大学に合格、
大手有名企業に入社し、
順風満帆の人生を送っていました。
家族仲もよく、まさに「優等生のいい子」で、
父親からすれば「自慢の息子」だったのです。
そんな伊澤さんが就職活動中に、
東京に、とある講演会を聴きに行ったところ、
同じく講演を聴きに来ていた
武藤貴宏さん(現在の我武者羅應援團 團長)と、
たまたま出会ったのです。
武藤さんは、
優しい感じの外見に似合わず、
一旦スイッチが入るとかなり熱く語るところがあり、
伊澤さんは
「アツい人だなぁ~」
「頼れるアニキだなぁ~」と思っていました。
当時の武藤さんの仕事は、アウトドアインストラクター。
伊澤さんは、大学で
ワンダーフォーゲル部に所属し、アウトドア活動をしていたため、
伊澤さんにとって「アウトドアインストラクター」は
まさにあこがれの職業でした。
「自分の好きなことを仕事にしている人」に出会い
刺激を受け、羨ましいなと思ったものの、
結局、伊澤さんは、地元静岡で
大手企業に就職をしたのでした。
会社では仕事に忙殺される日々。
それから3年ほど経って、
久々にかかってきた武藤さんからの電話によって
伊澤さんの人生が大きく変わっていったのです。
武藤さんは電話口で言いました。
「應援團、はじめました」
応援団について熱く語る武藤さん。
それに対して、伊澤さんは気づいてしまいました。
自分は3年間、一生懸命仕事をしてきたはずなのに
「自分、こんなことしたんですよ!」と
語れるものが何もないことに…。
3年間を語れるだけの言葉がなかったのです。
とりあえず、伊澤さんは
東京での応援を観に行くことになりました。
ワーッと出てきた應援團の姿を見た時のことについて
伊澤さんはこう語っていました。
----------
その時 僕、
本当に圧倒されまして、ビックリしたんですよ。
スゴイエネルギーの塊が
ぶわーっと押し寄せてきて。
応援が終わった後も呆然としていました。
それで、帰りの電車の中で考えたんですね。
今までの自分の人生を振り返った時に
あんな風に
ひとつのことに本気で打ち込んだこと、
あったのかな…? って。
思い返してみたら
明らかに「なかった」って思ってしまったんです。
今までは、中学、高校、大学、就職と、「受け身」というか、
敷かれたレールの上に載って
流されるように来ていたから、
「●●に行くことに『決まった』」っていう言い方をしていたんだけど、
帰りの電車の中で僕は、
「應援團をやる」って『決めた』んです。
これが
自分の中で初めての感覚だったんですね。
「決まった」と「決めた」…全然違うんですよ。
今までは
できる範囲の中でやろうとしていたんです。
「自分がやりたいこと」ではなくて、
「偏差値これくらいだから、この学校に行けるかな」とか、
「この企業ならいけるかな」とか…
だから、「決まった」という言い方をしていたんですね。
…で、應援團を見て
エネルギーを感じて、
もう、とにかく自分で「やる」と決めたんです。
「決まった」じゃなくて
「決めた」という感覚が
自分でもう嬉しくて。
まわりの人がどう思うかわからないけど
とにかくその時、自分では
ものすごく嬉しいなと思えたんですね。
それが最初のきっかけなんです。
それで、それからは
仕事を続けながら、
週末に静岡から東京に
高校時代の小さくなったような学ランを着て行って、
わけもわからず、頭の中も真っ白だったけど、
応援団をしていたんですね。
今までは見ている側だったのが、
自分の気持ち次第で
やる側にまわれるというのが
それがまた新鮮で
嬉しかったなぁって。
でも、静岡に住んでいたので
途中で帰らなければいけないとか、
集まっての練習に参加できないとか
そんなことが重なって、
モヤモヤしていたんです。
それで、そろそろ東京に行って
みんなと一緒に活動をしたい
という気持ちが芽生えてきて、
「そうだ、東京、行こう!」って
自分で決めたんです。
それを團長に伝えたところ、
團長が初めて驚きましたね。
そのころの我武者羅應援團は
今とは違って、
全国から応援で呼ばれることもなく、
まったく仕事になっていなかったんです。
なのに、仕事を辞めて行くって言ったんですから。
だから、「来てもそれだけのお金は出せない」ってことで、
武藤家で緊急会議が行われたようです。
でも実は、伊澤家でも大混乱が起きていまして…
今まで、週末東京で應援團をしていた時も
一切家族には話してなかったんですね。
で、
どう伝えようか考えたんですけど、
意外とサラッと言った方がいいんじゃないかと思って
家族団らんの時に、普通に言ってみたんですね。
「あの、今度、会社を辞めて、
東京で応援団やることになったから」って。
そしたら
父親が「意味がわからない」って。
私は「だから、應援團に転職するんです」
って言ったんですが
やっぱり
「意味がわからない」って。
平行線なんですね。
でもね、
自分の中では
ここまで父親に反対されても、
自分の気持ちが揺らがなかったんです。
応援団をやるってことに関して。
だから改めてそれだけやりたいんだなって
自分の気持ちを確認しました。
今まで、
これほどまでに自分で「やりたい」と思ったこともなかったんです。
だから、もう、そのまま会社を辞めて
東京に出てきてしまったんですね。
----------
(続きます)
(小諸商業高校での演舞の様子も、この平安堂でのレポが終わった後、
写真など掲載します。
楽しみにしている方、しばらくお待ちくださいね!^^)
(すでに32分経過!!)
やっと伊澤さんが話し始めました。
「伊澤の部屋」に書いてきたような、
伊澤さんの生い立ちから我武者羅應援團に入ったきっかけを
語ってくれました。
※「伊澤の部屋」バックナンバーはこちら!
●伊澤の部屋3月号-「まだやれる!」という気持ちが大事
●伊澤の部屋4月号-「決まった」ではなく「決めた」-
●伊澤の部屋5月号-ランナーは僕で、スターターも僕だ。
●伊澤の部屋6月号-ひとつのことをガムシャラにやりきった。
●伊澤の部屋7月号-僕がそう思ったから
●伊澤の部屋8月号-すべては自分の気持ち次第
●伊澤の部屋9月号-永ちゃんのように、なりあがってみせる!
伊澤の部屋10月号-父とのエール

伊澤さんは、3歳ですでにひらがながすべて読め、
近所の人たちからは「神童」と呼ばれていました。

高校では県内トップの進学校に入学し、
現役で国立大学に合格、
大手有名企業に入社し、
順風満帆の人生を送っていました。
家族仲もよく、まさに「優等生のいい子」で、
父親からすれば「自慢の息子」だったのです。
そんな伊澤さんが就職活動中に、
東京に、とある講演会を聴きに行ったところ、
同じく講演を聴きに来ていた
武藤貴宏さん(現在の我武者羅應援團 團長)と、
たまたま出会ったのです。
武藤さんは、
優しい感じの外見に似合わず、
一旦スイッチが入るとかなり熱く語るところがあり、
伊澤さんは
「アツい人だなぁ~」
「頼れるアニキだなぁ~」と思っていました。
当時の武藤さんの仕事は、アウトドアインストラクター。
伊澤さんは、大学で
ワンダーフォーゲル部に所属し、アウトドア活動をしていたため、
伊澤さんにとって「アウトドアインストラクター」は
まさにあこがれの職業でした。
「自分の好きなことを仕事にしている人」に出会い
刺激を受け、羨ましいなと思ったものの、
結局、伊澤さんは、地元静岡で
大手企業に就職をしたのでした。
会社では仕事に忙殺される日々。
それから3年ほど経って、
久々にかかってきた武藤さんからの電話によって
伊澤さんの人生が大きく変わっていったのです。
武藤さんは電話口で言いました。
「應援團、はじめました」
応援団について熱く語る武藤さん。
それに対して、伊澤さんは気づいてしまいました。
自分は3年間、一生懸命仕事をしてきたはずなのに
「自分、こんなことしたんですよ!」と
語れるものが何もないことに…。
3年間を語れるだけの言葉がなかったのです。
とりあえず、伊澤さんは
東京での応援を観に行くことになりました。
ワーッと出てきた應援團の姿を見た時のことについて
伊澤さんはこう語っていました。
----------
その時 僕、
本当に圧倒されまして、ビックリしたんですよ。
スゴイエネルギーの塊が
ぶわーっと押し寄せてきて。
応援が終わった後も呆然としていました。
それで、帰りの電車の中で考えたんですね。
今までの自分の人生を振り返った時に
あんな風に
ひとつのことに本気で打ち込んだこと、
あったのかな…? って。
思い返してみたら
明らかに「なかった」って思ってしまったんです。
今までは、中学、高校、大学、就職と、「受け身」というか、
敷かれたレールの上に載って
流されるように来ていたから、
「●●に行くことに『決まった』」っていう言い方をしていたんだけど、
帰りの電車の中で僕は、
「應援團をやる」って『決めた』んです。
これが
自分の中で初めての感覚だったんですね。
「決まった」と「決めた」…全然違うんですよ。
今までは
できる範囲の中でやろうとしていたんです。
「自分がやりたいこと」ではなくて、
「偏差値これくらいだから、この学校に行けるかな」とか、
「この企業ならいけるかな」とか…
だから、「決まった」という言い方をしていたんですね。
…で、應援團を見て
エネルギーを感じて、
もう、とにかく自分で「やる」と決めたんです。
「決まった」じゃなくて
「決めた」という感覚が
自分でもう嬉しくて。
まわりの人がどう思うかわからないけど
とにかくその時、自分では
ものすごく嬉しいなと思えたんですね。
それが最初のきっかけなんです。
それで、それからは
仕事を続けながら、
週末に静岡から東京に
高校時代の小さくなったような学ランを着て行って、
わけもわからず、頭の中も真っ白だったけど、
応援団をしていたんですね。
今までは見ている側だったのが、
自分の気持ち次第で
やる側にまわれるというのが
それがまた新鮮で
嬉しかったなぁって。
でも、静岡に住んでいたので
途中で帰らなければいけないとか、
集まっての練習に参加できないとか
そんなことが重なって、
モヤモヤしていたんです。
それで、そろそろ東京に行って
みんなと一緒に活動をしたい
という気持ちが芽生えてきて、
「そうだ、東京、行こう!」って
自分で決めたんです。
それを團長に伝えたところ、
團長が初めて驚きましたね。
そのころの我武者羅應援團は
今とは違って、
全国から応援で呼ばれることもなく、
まったく仕事になっていなかったんです。
なのに、仕事を辞めて行くって言ったんですから。
だから、「来てもそれだけのお金は出せない」ってことで、
武藤家で緊急会議が行われたようです。
でも実は、伊澤家でも大混乱が起きていまして…
今まで、週末東京で應援團をしていた時も
一切家族には話してなかったんですね。
で、
どう伝えようか考えたんですけど、
意外とサラッと言った方がいいんじゃないかと思って
家族団らんの時に、普通に言ってみたんですね。
「あの、今度、会社を辞めて、
東京で応援団やることになったから」って。
そしたら
父親が「意味がわからない」って。
私は「だから、應援團に転職するんです」
って言ったんですが
やっぱり
「意味がわからない」って。
平行線なんですね。
でもね、
自分の中では
ここまで父親に反対されても、
自分の気持ちが揺らがなかったんです。
応援団をやるってことに関して。
だから改めてそれだけやりたいんだなって
自分の気持ちを確認しました。
今まで、
これほどまでに自分で「やりたい」と思ったこともなかったんです。
だから、もう、そのまま会社を辞めて
東京に出てきてしまったんですね。
----------
(続きます)
(小諸商業高校での演舞の様子も、この平安堂でのレポが終わった後、
写真など掲載します。
楽しみにしている方、しばらくお待ちくださいね!^^)
Posted by 比田井美恵 at
23:06
│Comments(0)
2013年10月29日
人は出会うべき人には必ず出会う。しかも一瞬遅からず早からず
10/27平安堂で行われた
ヒダカズと我武者羅應援團 伊澤直人さんのコラボイベント
盛り上がりました!!
ヒダカズの講演のテーマは「出会いのチカラ」。

今までに、どんなタイミングで誰と出会い、
それによって人生がどう変わっていったか…を
語っていました。
前半部分は、私たちの著書
「私が一番受けたいココロの授業 講演編」、
「一瞬であなたが輝く 奇跡の授業」にも書いてある内容で、
ヒダカズ人生の師匠2人、(佐藤芳直さん、木下晴弘さん)や
Mランドの小河二郎さん、野口嘉則さん、中村文昭さんとの
出会いについて語っていました。
後半は、本には載っていませんが、
喜多川泰さん、吉村征之さん、我武者羅應援團、
白石康次郎さん達との出会いについて
語っていました。
今まで話したことのないテーマだったのですが、
どの人との出会いも
ヒダカズの人生にとってはとても大切なもので、
誰が欠けても
まったく違う人生になっただろうと思え、
なかなか興味深い内容でした。
「出会い」に関して、森信三先生の有名な言葉があります。
「人は、出会うべき人には必ず出会う。
しかも、一瞬遅からず、早からず。
しかし、内に求める心なくんば、
眼前にその人ありといえども縁は生じず。」
ヒダカズの出会いについて考えてみると、
まさに
「出会うべき人には必ず出会う
一瞬遅からず、早からず」で、
…絶妙なタイミングで
出会うべくして出会った人ばかり…と思えます。
これらのかけがえのない出会いは
すべて必然だったと感じます。
さらに、森先生の言葉の後半も納得です。
「しかし、内に求める心なくんば、
眼前にその人ありといえども縁は生じず。」
…「自分に、求める心がなければ、
たとえ目の前にその人が現れても
『出会い』『つながり』にはならない」
…ということですね。
つまり、
自分の心が求めているものや、求めている人に対しては
自分の心のアンテナが働いて
ちゃんと「出会い」を「キャッチ」し、
ご縁を丁寧に紡いでいく。
場合によっては「運命の出会いだ!」とまで思いながら。
しかし、自分にまったくその気がなければ
せっかく出会っても、それを「出会い」とも思わず
心も動かず、
そのままスルーしてしまう…ということなのでしょうね。
ヒダカズの人生の師匠たちとの出会いも、
タイミングが違えば
もしかしたら、単に
「いい話だった」で終わってしまったかもしれません。
でも、そうではありませんでした。
まさに「求めていたもの」に出会ったヒダカズは、
芳直さんや木下さんに強くあこがれ、
徹底的に学び、真似をして、
いろんなことをグングン吸収していったのですね。
まるで、砂漠に水がしみ込むように。
「すべては必然」ですね。
…が、私としては、
ヒダカズの話に物足りないことが一つ。
テーマは「人生を変える出会い」のはずだったのに…
…私との出会いが語られていない!!!!!(笑)
たったの一言も!!!
おかしいなぁ…(^_^;)
まぁ、いいか。(笑)
…さて、続いて伊澤直人さんとヒダカズのトークショー。
今回、写真には写っていませんが(私が写真を撮っているので)
実は、私も前にマイクを持って立っていました。

私は、ヒダカズから
「私と伊澤さん二人で話していると、
もしかしたら、話がどんどん違う方にいってしまうかもしれないから、
万が一のことがあったら、きちんと軌道修正して欲しい」
と言われていました。
そんな関係もあって、
どんな流れでこのトークショーを進めるのか
打ち合わせをさせていただいたのですが…
ヒダカズは、作成したパワーポイントを私に見せながら
説明してくれました。
「伊澤さんの紹介は私がします。
まず、この話をして、この動画を流して、
それから私と伊澤さんの出会いは絶対に欠かせないから話したいし、
このエピソードも入れたいんですよね。
そして、この動画を見てもらってから
私が「伊澤の部屋」の第一回を朗読します。
それから、伊澤さんに話してもらいますね」
…えぇ~っと…これでは、ヒダカズの話だけで90分コースです。^_^;
ちなみに、二人のトークショー、
持ち時間は60分です。^^;;
私は言いました。
「みんな伊澤さんの話を聴きたくて来ているんだから、
できるだけ比田井先生の話は短い方がいいですよ。
だから、これをカットして、これはこうして、
ここはこれくらいにした方がいいですよ。
この動画もカットしましょう。」
…ヒダカズ、最初は抵抗していました。
かなり。
わかりますよ。
大好きな我武者羅應援團や伊澤さんのことを
たっぷり紹介してあげたい気持ち!!!
でもね、
考えましょうよ。
自分の役割を!!(笑)
…ということで、ヒダカズも渋々話をカットし、
いよいよ本番が始まりました。
ヒダカズ、嬉しそうに紹介を始めました!
本当に楽しそうです。
予想はついていましたが、
やっぱり話が止まりません。(笑)

ヒダカズがいつものテンションで話しています。
伊澤さん、なかなか口をはさめません。

伊澤さんは
…「ハイ」
…「そうですね」
…「そうなんですよ」
…「はははは(笑)」
…「そうそうそう。」
…と、こんな感じでした。
少しでも自分の存在を知らしめようと、
ヒダカズのマシンガントークに
なんとか声をはさむ伊澤さん…。
ヒダカズは、ずっと伊澤さんの方を向いて話しています。
私の存在を忘れているかのようです。
途中、ふと思い出したかのように、
私の方を向いて言いました。
「ですよねぇ、美恵先生!?」
私はできるだけ短く、乾いた声で答えました。
「ハイ。そうですね。」
私と目があったヒダカズ。
彼の目が一瞬泳ぎました。
話が始まって以来、初めての「一瞬の沈黙」がありました。
そして、もう一回私の目を見て言いました。
「あれっ!?
その目は…早くしろってことですね!?」(よくぞ気づいた! 拍手!!)
「ハイ」
…えぇ~っと、この時点で
すでに開始から32分21秒。^^;
やっと、伊澤さんの話が始まりました。。。
(伊澤さんと伊澤さんファンのみなさん、お待たせしました。
本当にごめんなさい!!)
続きます。
ヒダカズと我武者羅應援團 伊澤直人さんのコラボイベント
盛り上がりました!!
ヒダカズの講演のテーマは「出会いのチカラ」。
今までに、どんなタイミングで誰と出会い、
それによって人生がどう変わっていったか…を
語っていました。
前半部分は、私たちの著書
「私が一番受けたいココロの授業 講演編」、
「一瞬であなたが輝く 奇跡の授業」にも書いてある内容で、
ヒダカズ人生の師匠2人、(佐藤芳直さん、木下晴弘さん)や
Mランドの小河二郎さん、野口嘉則さん、中村文昭さんとの
出会いについて語っていました。
後半は、本には載っていませんが、
喜多川泰さん、吉村征之さん、我武者羅應援團、
白石康次郎さん達との出会いについて
語っていました。
今まで話したことのないテーマだったのですが、
どの人との出会いも
ヒダカズの人生にとってはとても大切なもので、
誰が欠けても
まったく違う人生になっただろうと思え、
なかなか興味深い内容でした。
「出会い」に関して、森信三先生の有名な言葉があります。
「人は、出会うべき人には必ず出会う。
しかも、一瞬遅からず、早からず。
しかし、内に求める心なくんば、
眼前にその人ありといえども縁は生じず。」
ヒダカズの出会いについて考えてみると、
まさに
「出会うべき人には必ず出会う
一瞬遅からず、早からず」で、
…絶妙なタイミングで
出会うべくして出会った人ばかり…と思えます。
これらのかけがえのない出会いは
すべて必然だったと感じます。
さらに、森先生の言葉の後半も納得です。
「しかし、内に求める心なくんば、
眼前にその人ありといえども縁は生じず。」
…「自分に、求める心がなければ、
たとえ目の前にその人が現れても
『出会い』『つながり』にはならない」
…ということですね。
つまり、
自分の心が求めているものや、求めている人に対しては
自分の心のアンテナが働いて
ちゃんと「出会い」を「キャッチ」し、
ご縁を丁寧に紡いでいく。
場合によっては「運命の出会いだ!」とまで思いながら。
しかし、自分にまったくその気がなければ
せっかく出会っても、それを「出会い」とも思わず
心も動かず、
そのままスルーしてしまう…ということなのでしょうね。
ヒダカズの人生の師匠たちとの出会いも、
タイミングが違えば
もしかしたら、単に
「いい話だった」で終わってしまったかもしれません。
でも、そうではありませんでした。
まさに「求めていたもの」に出会ったヒダカズは、
芳直さんや木下さんに強くあこがれ、
徹底的に学び、真似をして、
いろんなことをグングン吸収していったのですね。
まるで、砂漠に水がしみ込むように。
「すべては必然」ですね。
…が、私としては、
ヒダカズの話に物足りないことが一つ。
テーマは「人生を変える出会い」のはずだったのに…
…私との出会いが語られていない!!!!!(笑)
たったの一言も!!!
おかしいなぁ…(^_^;)
まぁ、いいか。(笑)
…さて、続いて伊澤直人さんとヒダカズのトークショー。
今回、写真には写っていませんが(私が写真を撮っているので)
実は、私も前にマイクを持って立っていました。
私は、ヒダカズから
「私と伊澤さん二人で話していると、
もしかしたら、話がどんどん違う方にいってしまうかもしれないから、
万が一のことがあったら、きちんと軌道修正して欲しい」
と言われていました。
そんな関係もあって、
どんな流れでこのトークショーを進めるのか
打ち合わせをさせていただいたのですが…
ヒダカズは、作成したパワーポイントを私に見せながら
説明してくれました。
「伊澤さんの紹介は私がします。
まず、この話をして、この動画を流して、
それから私と伊澤さんの出会いは絶対に欠かせないから話したいし、
このエピソードも入れたいんですよね。
そして、この動画を見てもらってから
私が「伊澤の部屋」の第一回を朗読します。
それから、伊澤さんに話してもらいますね」
…えぇ~っと…これでは、ヒダカズの話だけで90分コースです。^_^;
ちなみに、二人のトークショー、
持ち時間は60分です。^^;;
私は言いました。
「みんな伊澤さんの話を聴きたくて来ているんだから、
できるだけ比田井先生の話は短い方がいいですよ。
だから、これをカットして、これはこうして、
ここはこれくらいにした方がいいですよ。
この動画もカットしましょう。」
…ヒダカズ、最初は抵抗していました。
かなり。
わかりますよ。
大好きな我武者羅應援團や伊澤さんのことを
たっぷり紹介してあげたい気持ち!!!
でもね、
考えましょうよ。
自分の役割を!!(笑)
…ということで、ヒダカズも渋々話をカットし、
いよいよ本番が始まりました。
ヒダカズ、嬉しそうに紹介を始めました!
本当に楽しそうです。
予想はついていましたが、
やっぱり話が止まりません。(笑)

ヒダカズがいつものテンションで話しています。
伊澤さん、なかなか口をはさめません。
伊澤さんは
…「ハイ」
…「そうですね」
…「そうなんですよ」
…「はははは(笑)」
…「そうそうそう。」
…と、こんな感じでした。
少しでも自分の存在を知らしめようと、
ヒダカズのマシンガントークに
なんとか声をはさむ伊澤さん…。
ヒダカズは、ずっと伊澤さんの方を向いて話しています。
私の存在を忘れているかのようです。
途中、ふと思い出したかのように、
私の方を向いて言いました。
「ですよねぇ、美恵先生!?」
私はできるだけ短く、乾いた声で答えました。
「ハイ。そうですね。」
私と目があったヒダカズ。
彼の目が一瞬泳ぎました。
話が始まって以来、初めての「一瞬の沈黙」がありました。
そして、もう一回私の目を見て言いました。
「あれっ!?
その目は…早くしろってことですね!?」(よくぞ気づいた! 拍手!!)
「ハイ」
…えぇ~っと、この時点で
すでに開始から32分21秒。^^;
やっと、伊澤さんの話が始まりました。。。
(伊澤さんと伊澤さんファンのみなさん、お待たせしました。
本当にごめんなさい!!)
続きます。
Posted by 比田井美恵 at
23:59
│Comments(2)
2013年10月28日
ガムシャラ日和
昨日、今日と、我武者羅應援團と一緒に時間を過ごすことができました。
昨日は、長野平安堂で行われた
ヒダカズ&我武者羅應援團 幹事長 伊沢直人さんとのコラボイベント。

ヒダカズの講演のテーマは、「出会いのチカラ」。
このテーマでお話しするのは初めてです。

みなさん、とても熱心に聴いて下さいました。

中でも特に熱心に聴いて下さったのがこのお三方。

もしかしたら、「あっ!」と思った方もいらっしゃったかもしれませんが、
長野県のプロ野球チーム、「信濃グランセローズ」の
左から、篠田朗樹選手、杉山慎選手、大塚晶文選手です。
しかも、大塚選手は、近鉄、中日、メジャーリーグでも抑えの投手として
活躍していました。
2006年にはWBCに日本代表として選ばれ
抑えで5試合に出場し、
特に決勝戦では、危ういところを見事抑え切り、
胴上げ投手にもなった方です。
そんなスゴイ方が見に来て下さっているとあって、
ヒダカズも珍しくちょっぴり緊張したようです。
そんな大塚さんにもお願いされてサインをしたはいいものの…
帰ってきてから、どうして大塚さんにサインをもらわなかったのかと
悔やみました。

伊沢さんも、初の単独トークイベント。

最初こそ緊張気味だったものの、
しっかり時間もチェックしつつ、感動的なお話でしめくくりとなりました。
「伊沢の部屋」で書いて下さっているお話が中心でした。
そして今日は、小諸商業高校での演舞。

詳しいことはまた明日!
昨日は、長野平安堂で行われた
ヒダカズ&我武者羅應援團 幹事長 伊沢直人さんとのコラボイベント。
ヒダカズの講演のテーマは、「出会いのチカラ」。
このテーマでお話しするのは初めてです。
みなさん、とても熱心に聴いて下さいました。
中でも特に熱心に聴いて下さったのがこのお三方。
もしかしたら、「あっ!」と思った方もいらっしゃったかもしれませんが、
長野県のプロ野球チーム、「信濃グランセローズ」の
左から、篠田朗樹選手、杉山慎選手、大塚晶文選手です。
しかも、大塚選手は、近鉄、中日、メジャーリーグでも抑えの投手として
活躍していました。
2006年にはWBCに日本代表として選ばれ
抑えで5試合に出場し、
特に決勝戦では、危ういところを見事抑え切り、
胴上げ投手にもなった方です。
そんなスゴイ方が見に来て下さっているとあって、
ヒダカズも珍しくちょっぴり緊張したようです。
そんな大塚さんにもお願いされてサインをしたはいいものの…
帰ってきてから、どうして大塚さんにサインをもらわなかったのかと
悔やみました。
伊沢さんも、初の単独トークイベント。
最初こそ緊張気味だったものの、
しっかり時間もチェックしつつ、感動的なお話でしめくくりとなりました。
「伊沢の部屋」で書いて下さっているお話が中心でした。
そして今日は、小諸商業高校での演舞。
詳しいことはまた明日!
Posted by 比田井美恵 at
23:17
│Comments(2)
2013年10月27日
225-父とのエール
昨日(10/26)配信された比田井通信(ヒダカズ非公式メルマガ)よりお届けします!
----------
「伊澤の部屋 10月号」がたった今、届きました!
北海道遠征から帰ってきたばかりの伊澤さんが
お疲れのところを送ってくれました!
とにかく、ご覧ください↓
「伊澤の部屋」が一つのクライマックスを迎えます。
---------------------
【伊澤の部屋:2013年10月号】
押忍!!
我武者羅應援團の伊澤でございます。
ついに明日・・・
全米待望のあの瞬間が訪れます。
『幸せを呼ぶガムシャラな講演会』
めでたく開催なのでございます!!
(注:講演会は本日すでに終わりました)
(Congratulation Izawa!HaHaHa!)
ありがとうございます。
わたくし伊澤直人
精一杯頑張らさせていただきます。
比田井先生におんぶにだっこ
肩車にジャイアントスイングの勢いでお世話になりつつ
精一杯頑張らさせていただきます。
明日いらっしゃる皆さん・・・
私のことを産まれたての子ジカを見るように
温かい眼差しで見守ってください。
どうぞ宜しくお願いします!!
それでは伊澤の部屋
~家族シリーズ・完結編~
をご覧ください!!
〈先月までのあらすじ〉
我武者羅應援團の活動に専念するべく
意気揚々と上京した僕(伊澤)。
東京での生活には慣れてきたものの
家族への心のわだかまりはとれず・・・
=======================
静岡市清水区の商店街は
僕が小さい頃から通っていた
遊び場であり、思い出の場所である。
最近ではシャッターを下ろす店も
増えてきていて、少し寂しいな・・・
そんな風に思っていた。
ちょうどその時
清水の商店街での
応援依頼が舞いこんだのだ。
依頼主は・・・
僕だ!!!
そう、我武者羅應援團の応援は
依頼を受けてから応援するケースと
團員が自ら手を挙げて応援するケースがある。
僕は後者の立候補制度を使い
入團してから初めて
地元で応援をすることになったのだ。
応援当日。
あいにくの曇り空。
応援團員として
はじめて降り立った地元の駅は
いつもの景色とは何だか違って見えた。
【伊澤團員、史上初の凱旋応援!!】
【伊澤團員、故郷に錦を飾りまくり!!】
【伊澤團員、あふれるオーラが隠せない!!】
脳内新聞で脳内記者が生み出した
センセーショナルな見出しが
僕の心をいたずらに掻き立てる。
さぁ、商店街をまるごと
盛り上げようじゃぁないか!!
勝手に意気込んだ僕が先頭に立って
商店街を練り歩いて行く。
久しぶりに訪れた商店街は
すっかり様変わりしたように見えたが
よく見てみると昔から変わらないものも
そこにはあった。
地元ならでは!こだわりのお茶を届け続けているお茶屋さん。
新鮮な魚に関しては右に出る者がいない魚屋さん。
ご当地名物の缶詰で町おこしをしているみやげ物屋さん。
それぞれのお店の良いところ好きなところを
お伝えしながら応援させてもらった。

そして、次に応援したのが
ベビー服のお店だった。

僕の同級生のお母さんがやっているお店。
何年ぶりの再会だろう。
アンニュイな学生時代の僕しか知らないおばちゃんは
真逆のベクトルに突っ走った僕を見て、どう思うだろう?
もしかしたら僕だと気づかない可能性もある。
たとえ気づいたところで
「バカなことやってないで親孝行しなさい!」
と怒られてしまうかもしれない。
不安な気持ちを抱えながら入店。
そして、続けざまに応援。
人は本当に驚くと
声が出なくなるらしい。
おばちゃんは両手で口を覆い
眼を丸くしたままの状態で
しばらくの間、立ち尽くしていた。
そして、ひとしきり驚き終わると
涙をポロポロと流し始めた。

-----------------
このお店のベビー服を着て
すくすく育ち
こんなに大きくなりました。
赤ちゃんの時は
口下手で言えなかったけれど
あの時の気持ちを言わせてください。
おばちゃん、ありがとう。
-----------------
あらためて、思う。
地元の人たち、お店、友達、景色・・・
すべての経験が
僕の根っこの部分に
水をくれていたんだ。
そして、家族。
僕らが最後に向かったのは
父が経営する中華レストランだ。
今回の商店街応援を
ロールプレイングゲームに例えるなら
父は「ラスボス」である。
勘違いしないでほしい。
父は人間だ。
怒るときには怒るが
理不尽に怒られたことは一度もない。
むしろ僕がやることに対して
筋が通っていることであれば
すべて賛成してくれた。
「自分がやりたいと思うならやってみろ」
最後はそう言って
いつも背中を押してくれた。
そんな父が
この応援団活動については
現在も了承してくれていないのだ。
自分にとってこの現状は
「最後の牙城」と呼ぶべき出来事だった。
そういう意味での「ラスボス」である。
見慣れた店の前まで来たものの
今まで何回も上ってきた階段が
ウソのように遠い。足どりが重い。
こんなに憂鬱な応援は
はじめてだった。
自分で手を挙げておいて
逃げ出したくなるなんて
矛盾しているにも程がある。
でも「一番応援したい人」というのは
「一番応援するのに勇気がいる人」なのかもしれない。
そんなことを考えていた。
一歩一歩、這い上がるように階段を上がると
2階のレストランで父が待っていた。
父と真正面から向き合う。
最終決戦だ。


僕は身震いしながら
まっすぐに気持ちをぶつけた。
言おうと思っていたことは
たくさんあったけれど頭が真っ白だ。
頭が真っ白だけれど・・・
そのまま、進め。
僕は心のBダッシュボタンを押し続けた。
--------------------
親父が仕事を頑張っている姿、ずっと見てきた。
土日も関係なく毎日遅くまで働いてるから
夕飯はほとんど一緒に食べられなかったけれど。
それでも誇りを持って仕事をしている姿
あなたの背中から感じてきた。
親父が一生懸命、頑張ってきたから
俺も一生懸命、頑張りたいと思えた。
自分の人生を思いきり生きたいと思えた。
生まれてからずっと
僕はあなたの生き方に
応援されていました。
そんな親父にありったけの
感謝の気持ちをこめて。
フレー フレー 親父ー!!
--------------------

父のためではない。
僕のためのエール。
僕の声が
僕の心に響いた。
そしてそれは
父にとっても
嬉しいはずだと
僕は確信していた。

父は黙ってうなずくと
僕に手を差し出した。

ひさしぶりの握手。
温かかった。

そして一言。
「ありがとう」
一番ありきたりなこの言葉が
一番身近な人から言われると
一番うれしいんだと気づかされた。
別にこれで応援団活動が認められて
ハッピーエンドというお話ではない。
もっと大変なことがあるだろうし
まだまだ頑張らなければならない。
ようやく始まったばかりだ。
それでもすべての気持ちを
出しきったことで
僕は勝手に満足していた。
勝手に手を挙げて
勝手にプレッシャーを感じて
勝手に気持ちをぶちまけて
勝手に満足する。
勝手ばかりの息子で申し訳ないけれど
僕はこうして父とのエール交換をかわした。
帰りの清水駅。
あいにくのお天気がウソだったように
清水の街並みに温かい夕陽が降り注いでいた。
つづく。
---------------------
きましたね・・・・
私、感動してちょっと涙がでました・・・・
----------
「伊澤の部屋 10月号」がたった今、届きました!
北海道遠征から帰ってきたばかりの伊澤さんが
お疲れのところを送ってくれました!
とにかく、ご覧ください↓
「伊澤の部屋」が一つのクライマックスを迎えます。
---------------------
【伊澤の部屋:2013年10月号】
押忍!!
我武者羅應援團の伊澤でございます。
ついに明日・・・
全米待望のあの瞬間が訪れます。
『幸せを呼ぶガムシャラな講演会』
めでたく開催なのでございます!!
(注:講演会は本日すでに終わりました)
(Congratulation Izawa!HaHaHa!)
ありがとうございます。
わたくし伊澤直人
精一杯頑張らさせていただきます。
比田井先生におんぶにだっこ
肩車にジャイアントスイングの勢いでお世話になりつつ
精一杯頑張らさせていただきます。
明日いらっしゃる皆さん・・・
私のことを産まれたての子ジカを見るように
温かい眼差しで見守ってください。
どうぞ宜しくお願いします!!
それでは伊澤の部屋
~家族シリーズ・完結編~
をご覧ください!!
〈先月までのあらすじ〉
我武者羅應援團の活動に専念するべく
意気揚々と上京した僕(伊澤)。
東京での生活には慣れてきたものの
家族への心のわだかまりはとれず・・・
=======================
静岡市清水区の商店街は
僕が小さい頃から通っていた
遊び場であり、思い出の場所である。
最近ではシャッターを下ろす店も
増えてきていて、少し寂しいな・・・
そんな風に思っていた。
ちょうどその時
清水の商店街での
応援依頼が舞いこんだのだ。
依頼主は・・・
僕だ!!!
そう、我武者羅應援團の応援は
依頼を受けてから応援するケースと
團員が自ら手を挙げて応援するケースがある。
僕は後者の立候補制度を使い
入團してから初めて
地元で応援をすることになったのだ。
応援当日。
あいにくの曇り空。
応援團員として
はじめて降り立った地元の駅は
いつもの景色とは何だか違って見えた。
【伊澤團員、史上初の凱旋応援!!】
【伊澤團員、故郷に錦を飾りまくり!!】
【伊澤團員、あふれるオーラが隠せない!!】
脳内新聞で脳内記者が生み出した
センセーショナルな見出しが
僕の心をいたずらに掻き立てる。
さぁ、商店街をまるごと
盛り上げようじゃぁないか!!
勝手に意気込んだ僕が先頭に立って
商店街を練り歩いて行く。
久しぶりに訪れた商店街は
すっかり様変わりしたように見えたが
よく見てみると昔から変わらないものも
そこにはあった。
地元ならでは!こだわりのお茶を届け続けているお茶屋さん。
新鮮な魚に関しては右に出る者がいない魚屋さん。
ご当地名物の缶詰で町おこしをしているみやげ物屋さん。
それぞれのお店の良いところ好きなところを
お伝えしながら応援させてもらった。

そして、次に応援したのが
ベビー服のお店だった。

僕の同級生のお母さんがやっているお店。
何年ぶりの再会だろう。
アンニュイな学生時代の僕しか知らないおばちゃんは
真逆のベクトルに突っ走った僕を見て、どう思うだろう?
もしかしたら僕だと気づかない可能性もある。
たとえ気づいたところで
「バカなことやってないで親孝行しなさい!」
と怒られてしまうかもしれない。
不安な気持ちを抱えながら入店。
そして、続けざまに応援。
人は本当に驚くと
声が出なくなるらしい。
おばちゃんは両手で口を覆い
眼を丸くしたままの状態で
しばらくの間、立ち尽くしていた。
そして、ひとしきり驚き終わると
涙をポロポロと流し始めた。

-----------------
このお店のベビー服を着て
すくすく育ち
こんなに大きくなりました。
赤ちゃんの時は
口下手で言えなかったけれど
あの時の気持ちを言わせてください。
おばちゃん、ありがとう。
-----------------
あらためて、思う。
地元の人たち、お店、友達、景色・・・
すべての経験が
僕の根っこの部分に
水をくれていたんだ。
そして、家族。
僕らが最後に向かったのは
父が経営する中華レストランだ。
今回の商店街応援を
ロールプレイングゲームに例えるなら
父は「ラスボス」である。
勘違いしないでほしい。
父は人間だ。
怒るときには怒るが
理不尽に怒られたことは一度もない。
むしろ僕がやることに対して
筋が通っていることであれば
すべて賛成してくれた。
「自分がやりたいと思うならやってみろ」
最後はそう言って
いつも背中を押してくれた。
そんな父が
この応援団活動については
現在も了承してくれていないのだ。
自分にとってこの現状は
「最後の牙城」と呼ぶべき出来事だった。
そういう意味での「ラスボス」である。
見慣れた店の前まで来たものの
今まで何回も上ってきた階段が
ウソのように遠い。足どりが重い。
こんなに憂鬱な応援は
はじめてだった。
自分で手を挙げておいて
逃げ出したくなるなんて
矛盾しているにも程がある。
でも「一番応援したい人」というのは
「一番応援するのに勇気がいる人」なのかもしれない。
そんなことを考えていた。
一歩一歩、這い上がるように階段を上がると
2階のレストランで父が待っていた。
父と真正面から向き合う。
最終決戦だ。


僕は身震いしながら
まっすぐに気持ちをぶつけた。
言おうと思っていたことは
たくさんあったけれど頭が真っ白だ。
頭が真っ白だけれど・・・
そのまま、進め。
僕は心のBダッシュボタンを押し続けた。
--------------------
親父が仕事を頑張っている姿、ずっと見てきた。
土日も関係なく毎日遅くまで働いてるから
夕飯はほとんど一緒に食べられなかったけれど。
それでも誇りを持って仕事をしている姿
あなたの背中から感じてきた。
親父が一生懸命、頑張ってきたから
俺も一生懸命、頑張りたいと思えた。
自分の人生を思いきり生きたいと思えた。
生まれてからずっと
僕はあなたの生き方に
応援されていました。
そんな親父にありったけの
感謝の気持ちをこめて。
フレー フレー 親父ー!!
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父のためではない。
僕のためのエール。
僕の声が
僕の心に響いた。
そしてそれは
父にとっても
嬉しいはずだと
僕は確信していた。

父は黙ってうなずくと
僕に手を差し出した。

ひさしぶりの握手。
温かかった。

そして一言。
「ありがとう」
一番ありきたりなこの言葉が
一番身近な人から言われると
一番うれしいんだと気づかされた。
別にこれで応援団活動が認められて
ハッピーエンドというお話ではない。
もっと大変なことがあるだろうし
まだまだ頑張らなければならない。
ようやく始まったばかりだ。
それでもすべての気持ちを
出しきったことで
僕は勝手に満足していた。
勝手に手を挙げて
勝手にプレッシャーを感じて
勝手に気持ちをぶちまけて
勝手に満足する。
勝手ばかりの息子で申し訳ないけれど
僕はこうして父とのエール交換をかわした。
帰りの清水駅。
あいにくのお天気がウソだったように
清水の街並みに温かい夕陽が降り注いでいた。
つづく。
---------------------
きましたね・・・・
私、感動してちょっと涙がでました・・・・
Posted by 比田井美恵 at
23:11
│Comments(0)
2013年10月26日
よろこばせごっこの時代4
やなせたかしさんのことについて連載しています。
よろこばせごっこの時代

よろこばせごっこの時代2

よろこばせごっこの時代3

さて、最後に「やなせたかし 明日をひらく言葉」より。

人間が一番うれしいことはなんだろう?
長い間、ぼくは考えてきた。
そして結局、人が一番うれしいのは、
人をよろこばせることだということがわかりました。
実に単純なことです。
ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。 (「もうひとつのアンパンマン物語」)
長い人生を生きてきたが、星の命に比べたら、
百歳まで生きたって、瞬間に消え去っていくのと変わらない。
人間は、宇宙的にいえば、ごく短い間しか生きられないのだ。
つかの間の人生なら、なるべく楽しく暮らしたほうがいい。
それでは、人は何が一番楽しいんだろう。
何が一番うれしいんだろう。
その答えが「よろこばせごっこ」だった。
母親が一生懸命に料理を作るのは、
「おいしい」とよろこんで食べる家族の顔を見るのがうれしいからだ。
父親が汗をかいて仕事をするのは、
家族の喜びを支えるためだ。
美しく生まれた人は、その美しさで人を喜ばせることができる。
学問が得意な人は学問で、
絵を描ける人は絵を描くことで。
歌を歌える人は歌で。
人は、人がよろこんで笑う声を聞くのが一番うれしい。
だから、人がよろこび、
笑い声を立ててくれる漫画を長く描いてきた。
自分が描いた漫画を読んで子供たちがよろこんでくれる。
その様子を見て、自分がうれしくなる。
こうしてよろこばせごっこができることが本当に幸せだ。
あなたは何をして、
よろこばせごっこをしていますか。
(「やなせたかし 明日をひらく言葉」PHP研究所 より引用)
----------
今まで、やなせたかしさんのことを記事にしてきましたが、
私のFacebookに、何人もの方が記事の感想を書いてくれました。
・アンパンマン大好きなココちゃんのママ、小川紫乃さんより
美恵先生、ココさん今まさにアンパンマンにはまりまくりです!
でも、台詞よく聞いているとほんと深いです。
カップケーキちゃんが「かわいい」がすきで、
「一番『かわいい』と思うのはみんなの笑顔。
だからカップケーキを作って届けるんだ♪」って言う台詞と、
そのあとのクリームパンダの笑顔とか
ズキューンとしちゃいます♪
油断すると涙が・・
----------
なんて素敵なセリフなんでしょう!
「一番かわいいと思うのはみんなの笑顔」と
みんなの笑顔を想像しながら
カップケーキを作るなんて…。
そんな素敵な言葉が
サラッとアニメの中に入っているんですね。
…こんな言葉を聴いて育った子は
間違いなく心優しい人になるに違いありません。
・仲田由美さんより
私も、やなせたかしさんが亡くなったニュースはショックでした。
やなせさんがアンパンマンに込めた想いを知った時は涙が出ました。
やなせさん自身がまさに、アンパンマンですよね!
----------
まさに、やなせさん自身がアンパンマンです!!
やなせさんは、いろんな自治体などに
キャラクターを無償で提供しています。
(自治体が無償でキャラクターを提供してもらうことが
いいとか悪いとかは別として)
これだけのビッグな漫画家でありながら
地域の人がよろこぶのなら…と、
自分の利益を考えずに
キャラクターを差し出すのは、
まさに、アンパンマンが
自分の顔をちぎって差し出すのと同じです。
そして、
「世界最弱のヒーロー、アンパンマン」。
未熟児として生まれ、病弱で、才能や容姿に
劣等感を持っていたやなせさんでしたが、
アンパンマンを通じて、
「優しさ」と「愛と勇気」を
たくさんの人に与え続けていました。
暴力を振るわないアンパンマンのように、
決して誰かを責めることをせず、
自分がするべきことを淡々と続けていく…。
やなせさんの「あり方」、本当に頭が下がります。
やなせさん自身の人生のテーマだった
「なんのために 生まれ
なんのために 生きるのか」
…その答えの一つが
「よろこばせごっこ」なのかもしれませんね。
人は人を喜ばせるために生まれ
人は人を喜ばせるために生きる…。
やなせさんは、最後の最後まで
よろこばせごっこをしていらっしゃいました。
この本が出されたのは
2012年7月18日、93歳です。
先日ご紹介した「ユリイカ」は今年の8月発行です。

実は、一度引退をしようと思われたことがあるそうです。
ところが、そのすぐ後に
東日本大震災が起こった…。
東日本大震災で傷ついた人たちが、
「アンパンマンのマーチ」
をラジオ番組にリクエストし、
それを聴いてみんな泣いたそうです。
また、震災以来、笑わなかった子供が
アンパンマンの絵を見て
初めて笑った…
それを見て、母親が泣いた…
そんな話がたくさんやなせさんに舞い込むようになり、
やなせさんは
色紙や絵を描いて被災地に送り届けたりしていたんですね。
お亡くなりになる3か月くらい前まで、
原稿を書いていたと聞いています。
まさに「生涯現役」ですね。
そして、一生涯、
原稿の締め切りに遅れたことがなかったとか…。
やなせさんの「あり方」…素晴らしいです。
やなせさんの有名な作品に
「手のひらを太陽に」がありますね。
--------
「手のひらを太陽に」
歌詞:やなせたかし 作曲:いずみたく
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
----------
1番の歌詞に「生きているから悲しいんだ」とあり、
2番には「生きているからうれしいんだ」とあります。
「悲しい」が「うれしい」よりも先に来ていることについて
やなせさんはこんな風に語っています。
---------
死んでしまえば悲しいという感情もない。
悲しみがあるからはじめてうれしさがある。
人生は悲喜こもごもだが
喜悲こもごもとは言わない。
影がなければ光がない。
だから「悲しいんだ」が先に来るんです。
----------
やなせさんは、「遅咲きの漫画家」と言われています。
アンパンマンが世に出始めたのは1988年。
今から25年前、つまり、やなせさんが70歳近くになってからです。
それまでは
病弱で、戦争でつらい体験もし、
弟を22歳で亡くし、
漫画家としては大きなヒットもないままでした。
友達の漫画家が華々しく活躍していく中、
仕事もないのに
徹夜で詩を書いたり絵を描いたりしては
過ごしていました。
そんな42歳のある日の夜、
ふと思い出して
子供のころにやっていた遊びを思い出して
懐中電灯を手のひらに当ててみたんですね。
(以下、やなせさんの言葉より)
すると、血の色がびっくりするほど赤く透けて見える。
あんまりきれいで見とれてしまった。
これほど絶望しているのに、
体には赤い血が脈々と流れているんだ。
心は元気がなくても、血は元気なんだなと、
自分自身に励まされたように感じた。
不意に「てのひらを太陽にすかしてみれば」というフレーズが頭に浮かび、
それがひとつの歌詞にまとまった。
この歌は、自分を励ます気持ちから生まれたのだ。
(「やなせたかし 明日をひらく言葉」PHP研究所 より引用)
----------
…だから、この歌はなんだか元気な気持ちになれるんですね。
…久しぶりに、歌いたくなって、
声に出して歌ってみました。
「手のひらを太陽に」を。
これを書いてくださった
やなせさんはもうこの世にいないんだと思うと
「生きているから悲しいんだ」
「生きているからうれしいんだ」
…のセリフが切なくて…
確かに「生きているからこそ」なんだなと…
涙が出てきてしまって、途中から歌えなくなってしまいました。
やなせさん、
アンパンマンといい、この歌といい、
考え方といい、
…私たちのために、
素晴らしいものを残してくださいました。
きっと、これからもずっと
アンパンマンは愛され続け、
やなせさんはみんなの心の中に
笑顔で生き続けていくことでしょう。
やなせさん、
本当に本当にありがとうございました。
そして安らかにおやすみください。
合掌


(5年前に訪れた富良野のアンパンマンショップにて)
【参考文献】
やなせたかし明日をひらく言葉 PHP出版
ユリイカ8月臨時増刊号 総特集 やなせたかし 青土社
よろこばせごっこの時代

よろこばせごっこの時代2
よろこばせごっこの時代3

さて、最後に「やなせたかし 明日をひらく言葉」より。
人間が一番うれしいことはなんだろう?
長い間、ぼくは考えてきた。
そして結局、人が一番うれしいのは、
人をよろこばせることだということがわかりました。
実に単純なことです。
ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。 (「もうひとつのアンパンマン物語」)
長い人生を生きてきたが、星の命に比べたら、
百歳まで生きたって、瞬間に消え去っていくのと変わらない。
人間は、宇宙的にいえば、ごく短い間しか生きられないのだ。
つかの間の人生なら、なるべく楽しく暮らしたほうがいい。
それでは、人は何が一番楽しいんだろう。
何が一番うれしいんだろう。
その答えが「よろこばせごっこ」だった。
母親が一生懸命に料理を作るのは、
「おいしい」とよろこんで食べる家族の顔を見るのがうれしいからだ。
父親が汗をかいて仕事をするのは、
家族の喜びを支えるためだ。
美しく生まれた人は、その美しさで人を喜ばせることができる。
学問が得意な人は学問で、
絵を描ける人は絵を描くことで。
歌を歌える人は歌で。
人は、人がよろこんで笑う声を聞くのが一番うれしい。
だから、人がよろこび、
笑い声を立ててくれる漫画を長く描いてきた。
自分が描いた漫画を読んで子供たちがよろこんでくれる。
その様子を見て、自分がうれしくなる。
こうしてよろこばせごっこができることが本当に幸せだ。
あなたは何をして、
よろこばせごっこをしていますか。
(「やなせたかし 明日をひらく言葉」PHP研究所 より引用)
----------
今まで、やなせたかしさんのことを記事にしてきましたが、
私のFacebookに、何人もの方が記事の感想を書いてくれました。
・アンパンマン大好きなココちゃんのママ、小川紫乃さんより
美恵先生、ココさん今まさにアンパンマンにはまりまくりです!
でも、台詞よく聞いているとほんと深いです。
カップケーキちゃんが「かわいい」がすきで、
「一番『かわいい』と思うのはみんなの笑顔。
だからカップケーキを作って届けるんだ♪」って言う台詞と、
そのあとのクリームパンダの笑顔とか
ズキューンとしちゃいます♪
油断すると涙が・・
----------
なんて素敵なセリフなんでしょう!
「一番かわいいと思うのはみんなの笑顔」と
みんなの笑顔を想像しながら
カップケーキを作るなんて…。
そんな素敵な言葉が
サラッとアニメの中に入っているんですね。
…こんな言葉を聴いて育った子は
間違いなく心優しい人になるに違いありません。
・仲田由美さんより
私も、やなせたかしさんが亡くなったニュースはショックでした。
やなせさんがアンパンマンに込めた想いを知った時は涙が出ました。
やなせさん自身がまさに、アンパンマンですよね!
----------
まさに、やなせさん自身がアンパンマンです!!
やなせさんは、いろんな自治体などに
キャラクターを無償で提供しています。
(自治体が無償でキャラクターを提供してもらうことが
いいとか悪いとかは別として)
これだけのビッグな漫画家でありながら
地域の人がよろこぶのなら…と、
自分の利益を考えずに
キャラクターを差し出すのは、
まさに、アンパンマンが
自分の顔をちぎって差し出すのと同じです。
そして、
「世界最弱のヒーロー、アンパンマン」。
未熟児として生まれ、病弱で、才能や容姿に
劣等感を持っていたやなせさんでしたが、
アンパンマンを通じて、
「優しさ」と「愛と勇気」を
たくさんの人に与え続けていました。
暴力を振るわないアンパンマンのように、
決して誰かを責めることをせず、
自分がするべきことを淡々と続けていく…。
やなせさんの「あり方」、本当に頭が下がります。
やなせさん自身の人生のテーマだった
「なんのために 生まれ
なんのために 生きるのか」
…その答えの一つが
「よろこばせごっこ」なのかもしれませんね。
人は人を喜ばせるために生まれ
人は人を喜ばせるために生きる…。
やなせさんは、最後の最後まで
よろこばせごっこをしていらっしゃいました。
この本が出されたのは
2012年7月18日、93歳です。
先日ご紹介した「ユリイカ」は今年の8月発行です。
実は、一度引退をしようと思われたことがあるそうです。
ところが、そのすぐ後に
東日本大震災が起こった…。
東日本大震災で傷ついた人たちが、
「アンパンマンのマーチ」
をラジオ番組にリクエストし、
それを聴いてみんな泣いたそうです。
また、震災以来、笑わなかった子供が
アンパンマンの絵を見て
初めて笑った…
それを見て、母親が泣いた…
そんな話がたくさんやなせさんに舞い込むようになり、
やなせさんは
色紙や絵を描いて被災地に送り届けたりしていたんですね。
お亡くなりになる3か月くらい前まで、
原稿を書いていたと聞いています。
まさに「生涯現役」ですね。
そして、一生涯、
原稿の締め切りに遅れたことがなかったとか…。
やなせさんの「あり方」…素晴らしいです。
やなせさんの有名な作品に
「手のひらを太陽に」がありますね。
--------
「手のひらを太陽に」
歌詞:やなせたかし 作曲:いずみたく
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
----------
1番の歌詞に「生きているから悲しいんだ」とあり、
2番には「生きているからうれしいんだ」とあります。
「悲しい」が「うれしい」よりも先に来ていることについて
やなせさんはこんな風に語っています。
---------
死んでしまえば悲しいという感情もない。
悲しみがあるからはじめてうれしさがある。
人生は悲喜こもごもだが
喜悲こもごもとは言わない。
影がなければ光がない。
だから「悲しいんだ」が先に来るんです。
----------
やなせさんは、「遅咲きの漫画家」と言われています。
アンパンマンが世に出始めたのは1988年。
今から25年前、つまり、やなせさんが70歳近くになってからです。
それまでは
病弱で、戦争でつらい体験もし、
弟を22歳で亡くし、
漫画家としては大きなヒットもないままでした。
友達の漫画家が華々しく活躍していく中、
仕事もないのに
徹夜で詩を書いたり絵を描いたりしては
過ごしていました。
そんな42歳のある日の夜、
ふと思い出して
子供のころにやっていた遊びを思い出して
懐中電灯を手のひらに当ててみたんですね。
(以下、やなせさんの言葉より)
すると、血の色がびっくりするほど赤く透けて見える。
あんまりきれいで見とれてしまった。
これほど絶望しているのに、
体には赤い血が脈々と流れているんだ。
心は元気がなくても、血は元気なんだなと、
自分自身に励まされたように感じた。
不意に「てのひらを太陽にすかしてみれば」というフレーズが頭に浮かび、
それがひとつの歌詞にまとまった。
この歌は、自分を励ます気持ちから生まれたのだ。
(「やなせたかし 明日をひらく言葉」PHP研究所 より引用)
----------
…だから、この歌はなんだか元気な気持ちになれるんですね。
…久しぶりに、歌いたくなって、
声に出して歌ってみました。
「手のひらを太陽に」を。
これを書いてくださった
やなせさんはもうこの世にいないんだと思うと
「生きているから悲しいんだ」
「生きているからうれしいんだ」
…のセリフが切なくて…
確かに「生きているからこそ」なんだなと…
涙が出てきてしまって、途中から歌えなくなってしまいました。
やなせさん、
アンパンマンといい、この歌といい、
考え方といい、
…私たちのために、
素晴らしいものを残してくださいました。
きっと、これからもずっと
アンパンマンは愛され続け、
やなせさんはみんなの心の中に
笑顔で生き続けていくことでしょう。
やなせさん、
本当に本当にありがとうございました。
そして安らかにおやすみください。
合掌
(5年前に訪れた富良野のアンパンマンショップにて)
【参考文献】
やなせたかし明日をひらく言葉 PHP出版
ユリイカ8月臨時増刊号 総特集 やなせたかし 青土社
Posted by 比田井美恵 at
17:56
│Comments(2)
2013年10月25日
よろこばせごっこの時代3
やなせさんの考える正義…
それは、
「悪人を倒すこと」ではなく、
「弱い人を助けること」。
だから、アンパンマンは、
ばいきんまんと戦うけれども、
「倒す」ことはしていません。
「懲らしめる」だけ。
たとえ相手が武器を使ってきても
アンパンマンは必ず素手で「アンパンチ」。
徹底的に打ちのめしたりはしないんですね。
だから、ばいきんまんも自分の家に逃げ帰るだけで
決して死んだりはしないのです。
そして、人を助けてもちっともいばりません。
「ぼくはえらい」「私は勝った」なんて
自慢したりはしないのです。
やなせさんはこう書いています。
「正義に勝ち負けなんて関係ない。
困っている人のために
愛と勇気をふるって、
ただ手をさしのべるということだけ」
(「やなせたかし 明日をひらく言葉」より引用)
さらにやなせさんは
アンパンマンのことを「世界最弱のヒーロー」と言っています。
アンパンマンは、お腹がすいている人をみつけると、
自分の顔をちぎって人に食べさせます。
それによって、自分はエネルギーを失い、失速します。

つまり「人を助けることによって本人も傷つく」のです。
やなせさんは
「そういう捨て身、献身の心なくしては正義は行えない」
と書いています。
考えれば考えるほど、
アンパンマンは、他に同じタイプがいない
個性的なヒーローですね。
やなせさんは、実は
テレビやアニメ、漫画で
凶暴で刺激の強すぎる作品ばかりになっている傾向を
憂えていました。
だから、やなせさんは、
自分だけでも子どもに夢と勇気、愛を伝える作品を描き続けようと
頑張ってきました。
「一人の力は知れているけれど、
百人、千人と同じ思いの人が集まれば、
世の中に影響を与えることができる」と信じて
アンパンマンを描き続けていたんですね。
さて、そんなやなせさんが
1999年に書いた新聞記事…。
早速図書館に行って探してみました。
司書の方に日付を伝えたところ、
すぐに1999年5月5日の信濃毎日新聞が出てきました。
きれいに製本されています。
図書館ってありがたいなぁ…とつくづく思ってしまいました。
コチラの記事です。

21世紀を生きる子どもたちへ やなせたかし
「よろこばせごっこの時代を」
今は20世紀の終わりで1999年だ。
9が3つ並ぶから「サンキュー」なのか、
それともこの9は「苦しみ」の苦なのかよくわからないが、
苦だとすれば3つもあった苦しみにさよならだからいいよね。
2000年からは世の中、バーッと明るくなる。
未来は光にあふれると信じたい。
とにかく新世紀はまもなくやってくる。
君たちは新世紀(2001年から)を生きることになる。
宇宙の開発はもっと進むだろう。
そして火星旅行も実現するかもしれない。
ところが、そんな時代なのに、まだ戦争をしている国がある。
子どもたちまで犠牲になってるのは本当に悲しいことだ。
戦争はしなくても学校の中で暴力や殺人がおきたりするのは
文明国の文明人のすることではない。
君たちは決してしないよね。
ぼくはアンパンマンには絶対に武器を持たせない。
アンパンチでこらしめるだけだ。
テレビドラマや漫画の中で、
やたらにピストルやナイフが使われることはよくないと、
ぼくは思っているからだ。
本当に強ければ武器なんかは使わない。
正々堂々と戦って勝敗を決すればいい。
スポーツはみんなそうだね。
文明は確実に進歩している。
だから君たちはもうちゃんと
大人のやってきたまちがいに気がつているはずだ。
地球そのものがあぶないというのに
大切な空気や海を汚してはいけないということはだれでも知っている。
花や、昆虫や、動物、みんなおんなじ地球という惑星で
仲よく生きてる友だちであり仲間なんだもの。
ぼくらは銀河系宇宙の片隅で心細く自転している
青い惑星に生まれた生命なんだ。
太陽系の他の星にはもう生命体はいないということがわかった。
せっかく地球に生まれたのだから、
生きているあいだはなるべく楽しく暮らしたい。
君たちは楽しい、うれしいことの方が
つらい悲しいことよりも好きだよね。
だから21世紀になって君たちが大人になった時には
いまの大人たちのようなばかなことは絶対にしないでほしい。
アンパンマンのテーマソングは、
なんのために生まれて、
何をして生きるのか、という内容だが、
君たちはなんのために生まれたのか、
考えてみたことがあるだろうか。
生まれてきたからには
なんにもしないでなまけているのはもったいない。
やりがいのある面白くて楽しい仕事をして
毎日うれしいと思って生きていたい。
うれしいということはなんだろうね。
世の中で一番うれしいこと、たのしいことは
他の人をよろこばせることだ。
音楽も、絵も、科学も、化学も、
みんなひとをよろこばせる。
だから君たちの21世紀は世界中よろこばせごっこの時代がやってくる。
(信濃毎日新聞 1999年5月5日 文化面 より引用)
----------
21世紀になって、もう13年が経ちましたが
「よろこばせごっこの時代」になっているでしょうか。
自分は、周りの人を喜ばせるために
何ができているんだろう??
…と、考えてしまいました。
それにしても、つくづく
やなせさんの考え方、素敵です。
アンパンマンにもやなせさんの
深い思いと願いが込められていたのだと思うと
いろいろと考えてしまいました。
続きます。
それは、
「悪人を倒すこと」ではなく、
「弱い人を助けること」。
だから、アンパンマンは、
ばいきんまんと戦うけれども、
「倒す」ことはしていません。
「懲らしめる」だけ。
たとえ相手が武器を使ってきても
アンパンマンは必ず素手で「アンパンチ」。
徹底的に打ちのめしたりはしないんですね。
だから、ばいきんまんも自分の家に逃げ帰るだけで
決して死んだりはしないのです。
そして、人を助けてもちっともいばりません。
「ぼくはえらい」「私は勝った」なんて
自慢したりはしないのです。
やなせさんはこう書いています。
「正義に勝ち負けなんて関係ない。
困っている人のために
愛と勇気をふるって、
ただ手をさしのべるということだけ」
(「やなせたかし 明日をひらく言葉」より引用)
さらにやなせさんは
アンパンマンのことを「世界最弱のヒーロー」と言っています。
アンパンマンは、お腹がすいている人をみつけると、
自分の顔をちぎって人に食べさせます。
それによって、自分はエネルギーを失い、失速します。

つまり「人を助けることによって本人も傷つく」のです。
やなせさんは
「そういう捨て身、献身の心なくしては正義は行えない」
と書いています。
考えれば考えるほど、
アンパンマンは、他に同じタイプがいない
個性的なヒーローですね。
やなせさんは、実は
テレビやアニメ、漫画で
凶暴で刺激の強すぎる作品ばかりになっている傾向を
憂えていました。
だから、やなせさんは、
自分だけでも子どもに夢と勇気、愛を伝える作品を描き続けようと
頑張ってきました。
「一人の力は知れているけれど、
百人、千人と同じ思いの人が集まれば、
世の中に影響を与えることができる」と信じて
アンパンマンを描き続けていたんですね。
さて、そんなやなせさんが
1999年に書いた新聞記事…。
早速図書館に行って探してみました。
司書の方に日付を伝えたところ、
すぐに1999年5月5日の信濃毎日新聞が出てきました。
きれいに製本されています。
図書館ってありがたいなぁ…とつくづく思ってしまいました。
コチラの記事です。
21世紀を生きる子どもたちへ やなせたかし
「よろこばせごっこの時代を」
今は20世紀の終わりで1999年だ。
9が3つ並ぶから「サンキュー」なのか、
それともこの9は「苦しみ」の苦なのかよくわからないが、
苦だとすれば3つもあった苦しみにさよならだからいいよね。
2000年からは世の中、バーッと明るくなる。
未来は光にあふれると信じたい。
とにかく新世紀はまもなくやってくる。
君たちは新世紀(2001年から)を生きることになる。
宇宙の開発はもっと進むだろう。
そして火星旅行も実現するかもしれない。
ところが、そんな時代なのに、まだ戦争をしている国がある。
子どもたちまで犠牲になってるのは本当に悲しいことだ。
戦争はしなくても学校の中で暴力や殺人がおきたりするのは
文明国の文明人のすることではない。
君たちは決してしないよね。
ぼくはアンパンマンには絶対に武器を持たせない。
アンパンチでこらしめるだけだ。
テレビドラマや漫画の中で、
やたらにピストルやナイフが使われることはよくないと、
ぼくは思っているからだ。
本当に強ければ武器なんかは使わない。
正々堂々と戦って勝敗を決すればいい。
スポーツはみんなそうだね。
文明は確実に進歩している。
だから君たちはもうちゃんと
大人のやってきたまちがいに気がつているはずだ。
地球そのものがあぶないというのに
大切な空気や海を汚してはいけないということはだれでも知っている。
花や、昆虫や、動物、みんなおんなじ地球という惑星で
仲よく生きてる友だちであり仲間なんだもの。
ぼくらは銀河系宇宙の片隅で心細く自転している
青い惑星に生まれた生命なんだ。
太陽系の他の星にはもう生命体はいないということがわかった。
せっかく地球に生まれたのだから、
生きているあいだはなるべく楽しく暮らしたい。
君たちは楽しい、うれしいことの方が
つらい悲しいことよりも好きだよね。
だから21世紀になって君たちが大人になった時には
いまの大人たちのようなばかなことは絶対にしないでほしい。
アンパンマンのテーマソングは、
なんのために生まれて、
何をして生きるのか、という内容だが、
君たちはなんのために生まれたのか、
考えてみたことがあるだろうか。
生まれてきたからには
なんにもしないでなまけているのはもったいない。
やりがいのある面白くて楽しい仕事をして
毎日うれしいと思って生きていたい。
うれしいということはなんだろうね。
世の中で一番うれしいこと、たのしいことは
他の人をよろこばせることだ。
音楽も、絵も、科学も、化学も、
みんなひとをよろこばせる。
だから君たちの21世紀は世界中よろこばせごっこの時代がやってくる。
(信濃毎日新聞 1999年5月5日 文化面 より引用)
----------
21世紀になって、もう13年が経ちましたが
「よろこばせごっこの時代」になっているでしょうか。
自分は、周りの人を喜ばせるために
何ができているんだろう??
…と、考えてしまいました。
それにしても、つくづく
やなせさんの考え方、素敵です。
アンパンマンにもやなせさんの
深い思いと願いが込められていたのだと思うと
いろいろと考えてしまいました。
続きます。
Posted by 比田井美恵 at
23:59
│Comments(2)
2013年10月24日
よろこばせごっこの時代2
やなせたかしさんと言えば、
「アンパンマン」で有名ですね。
数年前には、「アンパンマン」の歌詞が素晴らしいと
かなり話題になったので、ご存知の方も多いことでしょう。
「アンパンマン」の主題歌
「アンパンマンのマーチ」には、
こんなフレーズがあります。
----------
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
----------
…アンパンマンが人気なのは、2~3歳の子どもたち。
そんなちいさな子ども向けのアニメの主題歌で
こんな風に哲学的に「生き方」について歌っているものは、
他に例がないことでしょう。
やなせさんも、
ずいぶんいろんな方に
「あんな小さな子供たちに
『なんのために 生まれてきたのか』なんて
言っても通じないんじゃないか」
と言われたそうです。
でも、やなせさんはそれでもいいんだと話していました。
たとえ意味がわからなくても
子供のころからずっとそういうテーマの歌を歌ったり
絵本を読んだりしているうちに、
心の奥になにかしら入っていって…
大人になったときにふと、
あぁ、あの歌詞は…と考える機会にでもなれば…
それでいいんだと思うんです、と。
「なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか」は、
アンパンマンのマーチの一節ですが、
実は、この言葉はやなせさん自身への問いかけでもありました。
やなせさんは未熟児として生まれました。
体力、才能、容姿に関しても
劣等感を持っていたやなせさん。
一方、弟の千尋さんは優等生で運動も得意。
京都帝国大学(現・京都大学)法学部に進みますが、
海軍の特攻隊・回天に志願して、
フィリピン沖で輸送船とともに撃沈され、
1944年に22歳という若さで亡くなってしまいます。
コンプレックスの塊のような自分が生き残り、
優秀な弟が若くして亡くなってしまったことからも、
やなせさん自身は
「なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか」
を人生のテーマとして問いかけ、
考え続けるようになったのです。
そんな背景をもとに
「アンパンマンのマーチ」の歌詞を読むと
いろいろと考えさせられます。
----------
だから 君は とぶんだ どこまでも
そうだ おそれないで みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの 夢 まもるため
----------
特にこの部分は
弟さんが特攻隊として亡くなった部分が
大きく影響していると言われているようです。
たったひとりで、みんなのために
最後の飛行(航海)をした特攻隊のみなさん…
確かに「愛と勇気」だけで行ったのかもしれません。
最後はたった一人で、敵機に向かって行ったのですから…。
もちろん、
やなせさんは戦争を美化しているわけではありませんし、
そこに弟さんへの思いを込めた、
というコメントをしているわけではないようです。
でも、やっぱり弟さんの出来事が
大きく影響していると思える歌詞で。。。
胸が痛くなります。
やなせさん自身も戦争を体験しています。
兵隊に行っているんですね。
やなせさんは、戦争体験をこんな風に書いています。
----------
戦う国は、どちらも正義のために戦うのだと主張する。
太平洋戦争に駆り出された時もそうだった。
この戦争は聖戦であり、
「天に代わりて不義を討つ」のだと言い聞かされた。
ところが、戦争が終わったとたんに、
正義の論理はあっけなくひっくり返ってしまったのだ。
正義はある日、突然逆転するものだと
骨身にしみて思い知らされた。
(中略)
戦争体験で、何よりもきつかったのは飢えだった。
どんな重労働も、一晩寝れば回復する。
けがをしても、薬をつければそのうち治る。
だが、ひもじさには耐えられない。
自分が飢える経験をして、飢えがどんなにつらいか、良くわかった。
(中略)
本当に飢えているときには、
どんな大金より、一切れのパン、一杯のスープの方がずっとうれしい。
切実に助かるのだ。
(「やなせたかし」明日をひらく言葉 PHP研究所 より引用)
----------
…やなせさんは、戦争体験から
「正義は簡単に逆転する」
「一番辛いのは飢え」の二つを体感します。
そこで、
「逆転しない正義は何か?」と何度も考えた結果、
そこに飢えている人がいれば、
その人に一切れのパンをあげるのが本当の正義の味方だという
考えに至ったのです。
そんなやなせさんの思いから生まれたのが「アンパンマン」。
ご存知の通り、正義の味方、アンパンマンは、
困っている人には自分の顔であるアンパンをわけてあげるのです。
【参考文献】
やなせたかし明日をひらく言葉 PHP出版
ユリイカ8月臨時増刊号 総特集 やなせたかし 青土社

…やなせさんの生い立ちを知った上で
「アンパンマン」について考えてみると、
やなせさんの深い思いがこめられていることがわかります。
続きます。
「アンパンマン」で有名ですね。
数年前には、「アンパンマン」の歌詞が素晴らしいと
かなり話題になったので、ご存知の方も多いことでしょう。
「アンパンマン」の主題歌
「アンパンマンのマーチ」には、
こんなフレーズがあります。
----------
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
----------
…アンパンマンが人気なのは、2~3歳の子どもたち。
そんなちいさな子ども向けのアニメの主題歌で
こんな風に哲学的に「生き方」について歌っているものは、
他に例がないことでしょう。
やなせさんも、
ずいぶんいろんな方に
「あんな小さな子供たちに
『なんのために 生まれてきたのか』なんて
言っても通じないんじゃないか」
と言われたそうです。
でも、やなせさんはそれでもいいんだと話していました。
たとえ意味がわからなくても
子供のころからずっとそういうテーマの歌を歌ったり
絵本を読んだりしているうちに、
心の奥になにかしら入っていって…
大人になったときにふと、
あぁ、あの歌詞は…と考える機会にでもなれば…
それでいいんだと思うんです、と。
「なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか」は、
アンパンマンのマーチの一節ですが、
実は、この言葉はやなせさん自身への問いかけでもありました。
やなせさんは未熟児として生まれました。
体力、才能、容姿に関しても
劣等感を持っていたやなせさん。
一方、弟の千尋さんは優等生で運動も得意。
京都帝国大学(現・京都大学)法学部に進みますが、
海軍の特攻隊・回天に志願して、
フィリピン沖で輸送船とともに撃沈され、
1944年に22歳という若さで亡くなってしまいます。
コンプレックスの塊のような自分が生き残り、
優秀な弟が若くして亡くなってしまったことからも、
やなせさん自身は
「なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか」
を人生のテーマとして問いかけ、
考え続けるようになったのです。
そんな背景をもとに
「アンパンマンのマーチ」の歌詞を読むと
いろいろと考えさせられます。
----------
だから 君は とぶんだ どこまでも
そうだ おそれないで みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの 夢 まもるため
----------
特にこの部分は
弟さんが特攻隊として亡くなった部分が
大きく影響していると言われているようです。
たったひとりで、みんなのために
最後の飛行(航海)をした特攻隊のみなさん…
確かに「愛と勇気」だけで行ったのかもしれません。
最後はたった一人で、敵機に向かって行ったのですから…。
もちろん、
やなせさんは戦争を美化しているわけではありませんし、
そこに弟さんへの思いを込めた、
というコメントをしているわけではないようです。
でも、やっぱり弟さんの出来事が
大きく影響していると思える歌詞で。。。
胸が痛くなります。
やなせさん自身も戦争を体験しています。
兵隊に行っているんですね。
やなせさんは、戦争体験をこんな風に書いています。
----------
戦う国は、どちらも正義のために戦うのだと主張する。
太平洋戦争に駆り出された時もそうだった。
この戦争は聖戦であり、
「天に代わりて不義を討つ」のだと言い聞かされた。
ところが、戦争が終わったとたんに、
正義の論理はあっけなくひっくり返ってしまったのだ。
正義はある日、突然逆転するものだと
骨身にしみて思い知らされた。
(中略)
戦争体験で、何よりもきつかったのは飢えだった。
どんな重労働も、一晩寝れば回復する。
けがをしても、薬をつければそのうち治る。
だが、ひもじさには耐えられない。
自分が飢える経験をして、飢えがどんなにつらいか、良くわかった。
(中略)
本当に飢えているときには、
どんな大金より、一切れのパン、一杯のスープの方がずっとうれしい。
切実に助かるのだ。
(「やなせたかし」明日をひらく言葉 PHP研究所 より引用)
----------
…やなせさんは、戦争体験から
「正義は簡単に逆転する」
「一番辛いのは飢え」の二つを体感します。
そこで、
「逆転しない正義は何か?」と何度も考えた結果、
そこに飢えている人がいれば、
その人に一切れのパンをあげるのが本当の正義の味方だという
考えに至ったのです。
そんなやなせさんの思いから生まれたのが「アンパンマン」。
ご存知の通り、正義の味方、アンパンマンは、
困っている人には自分の顔であるアンパンをわけてあげるのです。
【参考文献】
やなせたかし明日をひらく言葉 PHP出版
ユリイカ8月臨時増刊号 総特集 やなせたかし 青土社
…やなせさんの生い立ちを知った上で
「アンパンマン」について考えてみると、
やなせさんの深い思いがこめられていることがわかります。
続きます。
Posted by 比田井美恵 at
23:59
│Comments(0)
2013年10月23日
よろこばせごっこの時代
先日、やなせたかしさんがお亡くなりになりました。
…ショックでした。
著名な方が亡くなられて、こんなにショックを受けたのは、
逸見正孝さんがお亡くなりになられて以来かもしれません。
私、やなせたかしさんの生き方が大好きだったんですよね。
アンパンマンに込められた深い思いや、
「生涯現役」でいらっしゃったところや。
なんとなく、私の父に似ているところがあったのも、
好きな理由のひとつだと思います。
10月17日の信濃毎日新聞一面、斜面に
やなせさんのことが書かれていました。

14年前、1999年の「こどもの日」。
本誌の文化面に新世紀を生きる子どもたちに寄せた漫画家やなせたかしさんの原稿が載った。
君たちの21世紀は「よろこばせごっこの時代」がやってくるという一文だ。
やなせさんの生んだアンパンマンが挿絵にも文中にも登場する。
なんのために生まれて、なにをして生きるのかー。
アンパンマンのテーマソングの内容だ。
君たちはそれについて考えたことがあるだろうか、と問いかけている。
戦争をする、大切な空気や海を汚す…。
いまの大人たちのようなばかなことは絶対にしないでほしい。
やなせさんからのメッセージだ。
生きるならうれしいこと、楽しいことを、
それはほかのひとをよろこばせることー。
「よろこばせごっこの時代」とは、いかにもこの人らしい。
アンパンマンはもともと大人のために書いた話、とやなせさん。
歌詞も難しいので、なぜ子どもたちに人気なのか、わからないという。
でも、大震災の被災地でも、子どもたちを元気づけている。
生きていることが大切、という作者の思いが伝わるのだろう。
亡くなったやなせさんは詩や絵もかいた。
絶望のとなりに
だれかがそっと
腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい
だれですか?」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は
希望です」。
「絶望のとなり」
という詩である。
(信濃毎日新聞 2013.10.17 第一面「斜面」より引用)
----------
「よろこばせごっこの時代」…なんて素敵な言葉なんでしょうか。
やなせさんは、
地元の商品や街のキャラクターを無償でデザインしていたと聴いています。
やなせさんが、
「まわりの人達を喜ばせたい」というあり方で
生きてきたことがわかります。
そのやなせさんが「よろこばせごっこの時代」にしよう、
というのですから説得力がありますよね。
感動しました。
そして、この記事の元になった
1999年5月5日のやなせさんの記事を読んでみたくなりました。
早速図書館で探してみました。
続きます。
(今日は、一泊二日の人間ドックに来ているので、パソコンがありません。
スマホからの入力なので、短くてごめんなさいm(_ _)m)
…ショックでした。
著名な方が亡くなられて、こんなにショックを受けたのは、
逸見正孝さんがお亡くなりになられて以来かもしれません。
私、やなせたかしさんの生き方が大好きだったんですよね。
アンパンマンに込められた深い思いや、
「生涯現役」でいらっしゃったところや。
なんとなく、私の父に似ているところがあったのも、
好きな理由のひとつだと思います。
10月17日の信濃毎日新聞一面、斜面に
やなせさんのことが書かれていました。

14年前、1999年の「こどもの日」。
本誌の文化面に新世紀を生きる子どもたちに寄せた漫画家やなせたかしさんの原稿が載った。
君たちの21世紀は「よろこばせごっこの時代」がやってくるという一文だ。
やなせさんの生んだアンパンマンが挿絵にも文中にも登場する。
なんのために生まれて、なにをして生きるのかー。
アンパンマンのテーマソングの内容だ。
君たちはそれについて考えたことがあるだろうか、と問いかけている。
戦争をする、大切な空気や海を汚す…。
いまの大人たちのようなばかなことは絶対にしないでほしい。
やなせさんからのメッセージだ。
生きるならうれしいこと、楽しいことを、
それはほかのひとをよろこばせることー。
「よろこばせごっこの時代」とは、いかにもこの人らしい。
アンパンマンはもともと大人のために書いた話、とやなせさん。
歌詞も難しいので、なぜ子どもたちに人気なのか、わからないという。
でも、大震災の被災地でも、子どもたちを元気づけている。
生きていることが大切、という作者の思いが伝わるのだろう。
亡くなったやなせさんは詩や絵もかいた。
絶望のとなりに
だれかがそっと
腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい
だれですか?」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は
希望です」。
「絶望のとなり」
という詩である。
(信濃毎日新聞 2013.10.17 第一面「斜面」より引用)
----------
「よろこばせごっこの時代」…なんて素敵な言葉なんでしょうか。
やなせさんは、
地元の商品や街のキャラクターを無償でデザインしていたと聴いています。
やなせさんが、
「まわりの人達を喜ばせたい」というあり方で
生きてきたことがわかります。
そのやなせさんが「よろこばせごっこの時代」にしよう、
というのですから説得力がありますよね。
感動しました。
そして、この記事の元になった
1999年5月5日のやなせさんの記事を読んでみたくなりました。
早速図書館で探してみました。
続きます。
(今日は、一泊二日の人間ドックに来ているので、パソコンがありません。
スマホからの入力なので、短くてごめんなさいm(_ _)m)
Posted by 比田井美恵 at
22:02
│Comments(0)
2013年10月22日
あなたも自然の一部です
…先ほどまで長文を入力していて…やっとアップできるとなったとたんに
…なぜかデータがすべて消えてしまいました。。。
ガーン!!! ショックです!
今からもう一度入力しなおす元気がないので、
ごく短い記事に変えて、とりあえずアップすることにしました。
お許しください…。
先日、岡山での講演の帰り道、
天王寺動物園に行きました。
カバの前にこんな看板がありました。

あなたも自然の一部です
今、多くの動物にとって
最も恐ろしい天敵は、人間だと言われています。
それはカバにとっても当てはまります。
カバも人間も自然の中の
ごく一部でしかありません
----------
…そうだよね、そうだよね~。
と、思わず納得してしまいました。
人間もカバも虫も…自然の中では平等な生き物のはずなのに、
人間はあたかも自然をすべてコントロールできるかのように
ふるまっているような気がしてなりません。
人間は、美しい山を切り崩し
川の流れを変え、
自分たちにとって不都合なものは
害虫だ、害獣だと駆除しています。
それも、ほかの生き物ではありえないような
圧倒的な威力の機械や化学物質を使ったりして。
もちろん、私も人間が作り出した
便利な機器を使いこなし、
ぬくぬくと生活しているわけですから
えらそうなことは言えません。
でも、もう少しだけでも、
ひとりひとりが
「自然への敬意」を思い出し、
祖先のみなさんが作り上げてきてくれた日本を
どういう形で将来の子供達に残すのかを
考えるようになったら、
この日本も少しずつ変わっていくんじゃないかと
…そんなことを
カバの前で考えていました。

明日は生まれて初めての2日間の人間ドックにいってきます。
ネットが使えないので…
もしかしたら、アップできないかも??
張り切って検査してもらってきます~!!^^
短くてごめんなさい!!^_^;
…なぜかデータがすべて消えてしまいました。。。
ガーン!!! ショックです!
今からもう一度入力しなおす元気がないので、
ごく短い記事に変えて、とりあえずアップすることにしました。
お許しください…。
先日、岡山での講演の帰り道、
天王寺動物園に行きました。
カバの前にこんな看板がありました。
あなたも自然の一部です
今、多くの動物にとって
最も恐ろしい天敵は、人間だと言われています。
それはカバにとっても当てはまります。
カバも人間も自然の中の
ごく一部でしかありません
----------
…そうだよね、そうだよね~。
と、思わず納得してしまいました。
人間もカバも虫も…自然の中では平等な生き物のはずなのに、
人間はあたかも自然をすべてコントロールできるかのように
ふるまっているような気がしてなりません。
人間は、美しい山を切り崩し
川の流れを変え、
自分たちにとって不都合なものは
害虫だ、害獣だと駆除しています。
それも、ほかの生き物ではありえないような
圧倒的な威力の機械や化学物質を使ったりして。
もちろん、私も人間が作り出した
便利な機器を使いこなし、
ぬくぬくと生活しているわけですから
えらそうなことは言えません。
でも、もう少しだけでも、
ひとりひとりが
「自然への敬意」を思い出し、
祖先のみなさんが作り上げてきてくれた日本を
どういう形で将来の子供達に残すのかを
考えるようになったら、
この日本も少しずつ変わっていくんじゃないかと
…そんなことを
カバの前で考えていました。
明日は生まれて初めての2日間の人間ドックにいってきます。
ネットが使えないので…
もしかしたら、アップできないかも??
張り切って検査してもらってきます~!!^^
短くてごめんなさい!!^_^;
Posted by 比田井美恵 at
23:59
2013年10月21日
11/2・3 木下晴弘、喜多川泰、我武者羅應援團、比田井和孝コラボイベント
11月2日(土)~3日(日・祝)に神奈川県で行われる、
木下晴弘さん、喜多川泰さん、我武者羅應援團、比田井和孝のコラボイベントまで
あと10日となりました!!
このイベントの記念Tシャツのデザインができたようです!
コチラです!!

素敵です!! 比田井家ももちろん3名分購入です!
当日会場でも限定販売されるようですよ!
さて、改めてイベントのご案内です。
■■ 心に響け!! 第1回あしがら学び塾 ■■
日時:2013年11月2日(土)正午~3(日)正午まで
場所:足柄ふれあいの村
神奈川県南足柄市比呂町1507
参加費:1泊3食懇親会費込 大人(高校生以上)16,000円
子ども(小学生・中学生)12,000円
スケジュール:11/2(土)比田井和孝、木下晴弘氏
11/3(日)喜多川泰氏、我武者羅應援團
申込:メールにて参加申し込み+参加費振り込み
(両方を確認後、正式申し込みとします)
tnkn-kai@nifty.com
(住所・参加者名・性別・大人子どもの別をお書き下さい)
振込先:ゆうちょ銀行 口座番号:記号10290 番号78833251
口座名称:ヤマビコカイ(ゼンコクキョウイクコウリュウカイ)
※他の金融機関からのお振込の場合
ゆうちょ銀行 店名:〇二八(ゼロニハチ) 店番:028 普通:7883325
主催:やまびこ会(全国教育交流会)・チーム愛志学楽
詳細はこちら
Facebookのページはこちら


【木下晴弘氏 プロフィール】

昭和40 年大阪府生まれ。同志社大学卒業後銀行に就職するが、
学生時代大手進学塾の講師経験で得た充実感が忘れられず、
退職して同塾の専任講師になる。
生徒からの支持率95%以上という驚異的な成績を誇り、
多数の生徒を灘高校をはじめとする超難関校合格へと誘う。
「授業は心」をモットーに、学力だけではなく人間力も伸ばす指導は
生徒、保護者から絶大な支持を獲得。
現在、株式会社アビリティトレーニングの代表取締役として、
全国の塾・予備校・学校で、講師・教員向けの授業開発セミナーを実施し、
受講者は16 万人を超えている。
長野県内においても、長野県高等学校教育文化会議、長野県商業教育研究会、
松本県ヶ丘高校、長野商業高校、他多数の講演実績を持つ。
毎年、教育機関で働く方を対象とした特別研修会
(開催:上田情報ビジネス専門学校)は7回を数え、
教育界に新風を吹き込んでいる。
【著書】
・学校では教わらなかった人生の特別授業/フォレスト出版

・「ちょっぴりセンチメンタルなきみへ捧ぐ しあわせの教科書」

・涙の数だけ大きくなれる!
・ココロでわかると人は必ず伸びる
・できる子にする「賢母の力」
【喜多川泰 プロフィール】

1970年生まれ、愛媛県出身。東京学芸大学卒業。
98年に横浜で、笑顔と優しさ、挑戦する勇気を育てる学習塾「聡明舎」を創立。
人間的成長を重視した、まったく新しい塾として地域で話題となる。
2005年から作家としても活動を開始し、『賢者の書』にてデビュー。
2作目となる『君と会えたから…』は8万部を超えるベストセラーとなった。
その後も、『手紙屋』『手紙屋 蛍雪篇』(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン)、
『「福」に憑かれた男』(総合法令出版)、『心晴日和』(幻冬舎)など次々に作品を発表。
『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』(サンマーク出版)は12万部を突破し、
2013 年9月に映画化され全国公開となる。
その後も『母さんのコロッケ』(大和書房)、
『スタートライン』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)と続き、
最新作の「ライフトラベラー」にて、全12作品となる。
執筆活動だけではなく、全国各地で講演を行い、「親学塾」も、全国で開催中。
現在も横浜市と大和市にある聡明舎で中高生の指導にあたっている。
喜多川泰公式ホームページ
【著書】


「・賢者の書」
「・君と会えたから…」
「・手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~」
「・手紙屋 蛍雪篇~私の受験勉強を変えた十通の手紙~ 」
「・「福」に憑かれた男」
「・上京物語」
「・心晴日和」
「・「また、必ず会おう」と、誰もが言った」
「・スタートライン」 他多数
【我武者羅應援團 プロフィール】

2007 年結成。「気合と本気の応援で世界を熱くする」
という志のもと 独自の応援を繰り広げるプロの応援団。
単独公演「華の大演舞会」をはじめ、初日の出応援、
エッフェル塔応援、 ニュージーランドの羊さん応援など、
ありとあらゆるものを応援し
さらにNHK紅白歌合戦では日本中にエールを送った。
また学校での「応援授業」も中高生たちに話題となっており
気合と笑いが一体となった独自の応援に触れると
何か一生懸命やりたくなると評判である。
オリジナル応援歌の制作なども行い
クリエイティブな活動で新しい応援団の形を築いている。
【我武者羅應援團 公式ウェブサイト】http://www.gamushara-oendan.net
【著作】
・「本気で生きる」以外に人生を楽しくする方法があるなら教えてくれ
(武藤貴宏 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

・僕らの仕事は応援団。

・DVD「私が一番受けたいガムシャラな授業」

【比田井和孝 プロフィール】

昭和44年 長野県望月町(現佐久市) 生まれ。
望月中学校、野沢北高校、東京理科大学を卒業。
現在は上田情報ビジネス専門学校「福」校長。
日夜、学生の幸せを考えバリバリ実行していく熱血漢で、
その行動力と人柄を慕って、様々な職種の方々が全国から彼の元を訪れる。
「就職対策授業」では、形ばかりの就職指導ではなく、
物事に対する姿勢や「人として大切なこと」を説く。
学生達は、そのアツい授業に思わず引き込まれ、感動し、時には涙することも。
この授業で見違えるように変わった学生も多い。
また、全国各地からの講演依頼が後を絶たず、講演実績は120,000 人を超え、
「号泣しました…」「人生を変える一日になりました」など、
感動の声が毎日続々と寄せられている。
【著書】
・「私が一番受けたいココロの授業」/ごま書房新社
・「私が一番受けたいココロの授業 講演編」/ごま書房新社
・「あなたの人生が変わる奇跡の授業」 /王様文庫
・「一瞬であなたが輝く! 奇跡の授業をくれる本」/王様文庫
【ラジオ】FM長野「私が一番受けたいココロの授業」毎週水曜18:55
【DVD】「私が一番受けたいココロの授業①・②」 TSUTAYAにて好評レンタル中
11/2の夜は懇親会が行われますが、
喜多川さんも参加されるようですよ! 比田井家も参加します!
そして、もしかしたら木下さんも…?
講師の先生方と直接話ができる、めったにないチャンスです!
会場でお会いしましょう!!(o^-^o)
木下晴弘さん、喜多川泰さん、我武者羅應援團、比田井和孝のコラボイベントまで
あと10日となりました!!
このイベントの記念Tシャツのデザインができたようです!
コチラです!!

素敵です!! 比田井家ももちろん3名分購入です!
当日会場でも限定販売されるようですよ!
さて、改めてイベントのご案内です。
■■ 心に響け!! 第1回あしがら学び塾 ■■
日時:2013年11月2日(土)正午~3(日)正午まで
場所:足柄ふれあいの村
神奈川県南足柄市比呂町1507
参加費:1泊3食懇親会費込 大人(高校生以上)16,000円
子ども(小学生・中学生)12,000円
スケジュール:11/2(土)比田井和孝、木下晴弘氏
11/3(日)喜多川泰氏、我武者羅應援團
申込:メールにて参加申し込み+参加費振り込み
(両方を確認後、正式申し込みとします)
tnkn-kai@nifty.com
(住所・参加者名・性別・大人子どもの別をお書き下さい)
振込先:ゆうちょ銀行 口座番号:記号10290 番号78833251
口座名称:ヤマビコカイ(ゼンコクキョウイクコウリュウカイ)
※他の金融機関からのお振込の場合
ゆうちょ銀行 店名:〇二八(ゼロニハチ) 店番:028 普通:7883325
主催:やまびこ会(全国教育交流会)・チーム愛志学楽
詳細はこちら
Facebookのページはこちら
【木下晴弘氏 プロフィール】

昭和40 年大阪府生まれ。同志社大学卒業後銀行に就職するが、
学生時代大手進学塾の講師経験で得た充実感が忘れられず、
退職して同塾の専任講師になる。
生徒からの支持率95%以上という驚異的な成績を誇り、
多数の生徒を灘高校をはじめとする超難関校合格へと誘う。
「授業は心」をモットーに、学力だけではなく人間力も伸ばす指導は
生徒、保護者から絶大な支持を獲得。
現在、株式会社アビリティトレーニングの代表取締役として、
全国の塾・予備校・学校で、講師・教員向けの授業開発セミナーを実施し、
受講者は16 万人を超えている。
長野県内においても、長野県高等学校教育文化会議、長野県商業教育研究会、
松本県ヶ丘高校、長野商業高校、他多数の講演実績を持つ。
毎年、教育機関で働く方を対象とした特別研修会
(開催:上田情報ビジネス専門学校)は7回を数え、
教育界に新風を吹き込んでいる。
【著書】
・学校では教わらなかった人生の特別授業/フォレスト出版

・「ちょっぴりセンチメンタルなきみへ捧ぐ しあわせの教科書」

・涙の数だけ大きくなれる!
・ココロでわかると人は必ず伸びる
・できる子にする「賢母の力」
【喜多川泰 プロフィール】

1970年生まれ、愛媛県出身。東京学芸大学卒業。
98年に横浜で、笑顔と優しさ、挑戦する勇気を育てる学習塾「聡明舎」を創立。
人間的成長を重視した、まったく新しい塾として地域で話題となる。
2005年から作家としても活動を開始し、『賢者の書』にてデビュー。
2作目となる『君と会えたから…』は8万部を超えるベストセラーとなった。
その後も、『手紙屋』『手紙屋 蛍雪篇』(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン)、
『「福」に憑かれた男』(総合法令出版)、『心晴日和』(幻冬舎)など次々に作品を発表。
『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』(サンマーク出版)は12万部を突破し、
2013 年9月に映画化され全国公開となる。
その後も『母さんのコロッケ』(大和書房)、
『スタートライン』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)と続き、
最新作の「ライフトラベラー」にて、全12作品となる。
執筆活動だけではなく、全国各地で講演を行い、「親学塾」も、全国で開催中。
現在も横浜市と大和市にある聡明舎で中高生の指導にあたっている。
喜多川泰公式ホームページ
【著書】


「・賢者の書」
「・君と会えたから…」
「・手紙屋~僕の就職活動を変えた十通の手紙~」
「・手紙屋 蛍雪篇~私の受験勉強を変えた十通の手紙~ 」
「・「福」に憑かれた男」
「・上京物語」
「・心晴日和」
「・「また、必ず会おう」と、誰もが言った」
「・スタートライン」 他多数
【我武者羅應援團 プロフィール】
2007 年結成。「気合と本気の応援で世界を熱くする」
という志のもと 独自の応援を繰り広げるプロの応援団。
単独公演「華の大演舞会」をはじめ、初日の出応援、
エッフェル塔応援、 ニュージーランドの羊さん応援など、
ありとあらゆるものを応援し
さらにNHK紅白歌合戦では日本中にエールを送った。
また学校での「応援授業」も中高生たちに話題となっており
気合と笑いが一体となった独自の応援に触れると
何か一生懸命やりたくなると評判である。
オリジナル応援歌の制作なども行い
クリエイティブな活動で新しい応援団の形を築いている。
【我武者羅應援團 公式ウェブサイト】http://www.gamushara-oendan.net
【著作】
・「本気で生きる」以外に人生を楽しくする方法があるなら教えてくれ
(武藤貴宏 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

・僕らの仕事は応援団。

・DVD「私が一番受けたいガムシャラな授業」

【比田井和孝 プロフィール】

昭和44年 長野県望月町(現佐久市) 生まれ。
望月中学校、野沢北高校、東京理科大学を卒業。
現在は上田情報ビジネス専門学校「福」校長。
日夜、学生の幸せを考えバリバリ実行していく熱血漢で、
その行動力と人柄を慕って、様々な職種の方々が全国から彼の元を訪れる。
「就職対策授業」では、形ばかりの就職指導ではなく、
物事に対する姿勢や「人として大切なこと」を説く。
学生達は、そのアツい授業に思わず引き込まれ、感動し、時には涙することも。
この授業で見違えるように変わった学生も多い。
また、全国各地からの講演依頼が後を絶たず、講演実績は120,000 人を超え、
「号泣しました…」「人生を変える一日になりました」など、
感動の声が毎日続々と寄せられている。
【著書】
・「私が一番受けたいココロの授業」/ごま書房新社
・「私が一番受けたいココロの授業 講演編」/ごま書房新社
・「あなたの人生が変わる奇跡の授業」 /王様文庫
・「一瞬であなたが輝く! 奇跡の授業をくれる本」/王様文庫
【ラジオ】FM長野「私が一番受けたいココロの授業」毎週水曜18:55
【DVD】「私が一番受けたいココロの授業①・②」 TSUTAYAにて好評レンタル中
11/2の夜は懇親会が行われますが、
喜多川さんも参加されるようですよ! 比田井家も参加します!
そして、もしかしたら木下さんも…?
講師の先生方と直接話ができる、めったにないチャンスです!
会場でお会いしましょう!!(o^-^o)
Posted by 比田井美恵 at
23:25
│Comments(0)
2013年10月20日
ココロの授業の舞台裏2
ココロの授業講演会も無事終わりましたが、

今回のイベント、私はほとんど何もしていませんでした。
ウエジョビの先生たちが、それぞれの持ち場で
積極的に動いてくれたので、安心して任せていました。
受付。

案内係。

音響、モニター操作係の先生も気が抜けません。

プロジェクター係の先生も、休み時間にホッと一息。

休み時間に入る直前、
スタッフ室では男性陣四人が着々と準備を進めていました。

いつも、この講演会では、
書籍やグッズの売り場がものすごいことになってしまうので、
(↓ こんな感じ)

買うのをあきらめて座席に戻ってくるお客様のために、
会場内部でも我武者羅グッズを販売できるように、
売り子さんになっているのです。

あのアルパカさんも。

…きっと、この格好で会場に入る瞬間は、
緊張したことと思うのですが…

(↑ 明らかにお客様たちがビックリして足を止め、見ていますもの!!)
こんな格好でも(?)しっかり販売はしていたようです。
お客様のお役に立ててよかったです。^^

アルパカは意外と(?)人気で、記念写真を撮っている
コアなウエジョビファンの方もいらっしゃいました。(笑)

さて、すべてのプログラムが終わり、
全員で記念写真を撮った後…

会場のみなさんとお別れです。

会場裏で、記念写真。

お花を準備してくれたのは高見澤先生。
我武者羅應援團のみなさんには、我武者羅カラーのオレンジ。
木下さんは、木下さんの新刊のカラーで黄緑。とっても素敵です。
学校では教わらなかった人生の特別授業/フォレスト出版

ウエジョビのお花の手入れも高見澤先生の担当。
高見澤先生がいつもウエジョビのお花を気にかけてくれるので、
お花が長生きするんですよ。
ありがたいです。
終わると、上田市民会館の照明担当の方を応援。

そして、今回のイベントの企画・運営・広報・盛り上げ…すべてを担当していた
山極先生とがっちり握手。

木下先生、我武者羅應援團、お客様、そしてウエジョビのスタッフ
みんなで作り上げた「ココロの授業講演会」…。
感動のうちに幕を閉じました。

びっしり書かれた、アンケート…。
手紙やFAX、メールで送って下さった方もいらっしゃいました。

・講演者の一体感だけでなく、会場全体の一体感が感じられ、
あの場所にまた行きたいなと思わされる講演会でした。(上田市 Nさん)
・4時間半があっという間に過ぎてしまいました。
私が一番嬉しかったのは、一緒に連れてきた仲間達の
講演後の「良かった」という嬉しそうな顔でした。
次回は、もっとたくさんの仲間と参加します。(東御市 Yさん)
・(木下先生)
木下先生の「しあわせの教科書」、読み終わり、なんだか心が温かくなった気がします。
息苦しくて仕方なかった私が久しぶりに深呼吸ができたような気分です。
(長野市 Yさん)
・(木下先生)
前に一度拝聴しましたが、その時も今回も大号泣でした。
説得力のある理論とテンポ、ユーモアあふれる語り口、
感動的な映像と、計算しつくされた構成、素晴らしいです。(山口県 Uさん)
・(ヒダカズ)
なんて熱い人なのか。
思ったことをすぐに行動に移せる
情熱的で人を惹きつける魅力たっぷりな方で、
一瞬で比田井先生のファンになってしまいました。(中野市 Mさん)
・(我武者羅應援團)
大号泣でした。
忘れかけていたものを思い出せた気がします。
もう一度、夢を持って挑戦しようと思います。(小布施町 Tさん)
・(我武者羅應援團)
泣きました。笑いました。泣きました。最高でした。(長野市 Tさん)
・1年前より楽しみにしていました。
やはり楽しみにしていた以上に良かったです。
来年も絶対に来ます!(諏訪郡 Hさん)
・最高でした。こんなに心が動いたのは、
比田井先生と初めてやったセミナー以来です。
もっと我武者羅に生きてみようと感じ、実際に動いています。
木下さん、我武者羅應援團も最高のゲスト講師であったのですが、
やっぱり僕の心をつかんだのは、比田井先生とウエジョビでした。
特に比田井先生、今回の一番の学びは、”自分”でした。
自分たちで、自分で、自分が決める、自分が源泉…
自分をもっと信じてみようと思いました。
そんな”自分”という魅力を存分に感じさせてくれたのが比田井先生でした。
話の内容は他の人のことかもしれませんが、
すべてにわたって比田井先生を感じました。
すべて、比田井先生自身から出てくる、生きた言葉でした。
伝えたい! という本気の感情が込められた、研ぎ澄まされた本当の言葉でした。
そして、比田井先生の明るさをいっぱい浴びることができました。
その明るい生き様が大好きです!
ウエジョビ、また違うステージに上がったように感じました。
佐藤先生はすごい学校をつくられたと思います。
出会いに感謝します!
(東京都 ヒダカズの「心の友」石田敦志さん(↓写真中央))

たくさんの感想、本当にありがとうございました!
みなさんのおかげで、素晴らしい、気持ちの良いイベントになりました。
心から感謝です!!
さて、来年のゲストはどなたでしょうか??
そして、新上田市民会館、来秋竣工予定…間に合うのでしょうか??
来年は記念すべき10回目。
今から楽しみです!!
長々と連載してきてしまいましたが、
最後までお付き合いいただきありがとうございました!!(*^-^*)
今回のイベント、私はほとんど何もしていませんでした。
ウエジョビの先生たちが、それぞれの持ち場で
積極的に動いてくれたので、安心して任せていました。
受付。
案内係。
音響、モニター操作係の先生も気が抜けません。
プロジェクター係の先生も、休み時間にホッと一息。
休み時間に入る直前、
スタッフ室では男性陣四人が着々と準備を進めていました。
いつも、この講演会では、
書籍やグッズの売り場がものすごいことになってしまうので、
(↓ こんな感じ)
買うのをあきらめて座席に戻ってくるお客様のために、
会場内部でも我武者羅グッズを販売できるように、
売り子さんになっているのです。
あのアルパカさんも。
…きっと、この格好で会場に入る瞬間は、
緊張したことと思うのですが…

(↑ 明らかにお客様たちがビックリして足を止め、見ていますもの!!)
こんな格好でも(?)しっかり販売はしていたようです。
お客様のお役に立ててよかったです。^^
アルパカは意外と(?)人気で、記念写真を撮っている
コアなウエジョビファンの方もいらっしゃいました。(笑)

さて、すべてのプログラムが終わり、
全員で記念写真を撮った後…

会場のみなさんとお別れです。
会場裏で、記念写真。
お花を準備してくれたのは高見澤先生。
我武者羅應援團のみなさんには、我武者羅カラーのオレンジ。
木下さんは、木下さんの新刊のカラーで黄緑。とっても素敵です。
学校では教わらなかった人生の特別授業/フォレスト出版

ウエジョビのお花の手入れも高見澤先生の担当。
高見澤先生がいつもウエジョビのお花を気にかけてくれるので、
お花が長生きするんですよ。
ありがたいです。
終わると、上田市民会館の照明担当の方を応援。
そして、今回のイベントの企画・運営・広報・盛り上げ…すべてを担当していた
山極先生とがっちり握手。
木下先生、我武者羅應援團、お客様、そしてウエジョビのスタッフ
みんなで作り上げた「ココロの授業講演会」…。
感動のうちに幕を閉じました。
びっしり書かれた、アンケート…。
手紙やFAX、メールで送って下さった方もいらっしゃいました。
・講演者の一体感だけでなく、会場全体の一体感が感じられ、
あの場所にまた行きたいなと思わされる講演会でした。(上田市 Nさん)
・4時間半があっという間に過ぎてしまいました。
私が一番嬉しかったのは、一緒に連れてきた仲間達の
講演後の「良かった」という嬉しそうな顔でした。
次回は、もっとたくさんの仲間と参加します。(東御市 Yさん)
・(木下先生)
木下先生の「しあわせの教科書」、読み終わり、なんだか心が温かくなった気がします。
息苦しくて仕方なかった私が久しぶりに深呼吸ができたような気分です。
(長野市 Yさん)
・(木下先生)
前に一度拝聴しましたが、その時も今回も大号泣でした。
説得力のある理論とテンポ、ユーモアあふれる語り口、
感動的な映像と、計算しつくされた構成、素晴らしいです。(山口県 Uさん)
・(ヒダカズ)
なんて熱い人なのか。
思ったことをすぐに行動に移せる
情熱的で人を惹きつける魅力たっぷりな方で、
一瞬で比田井先生のファンになってしまいました。(中野市 Mさん)
・(我武者羅應援團)
大号泣でした。
忘れかけていたものを思い出せた気がします。
もう一度、夢を持って挑戦しようと思います。(小布施町 Tさん)
・(我武者羅應援團)
泣きました。笑いました。泣きました。最高でした。(長野市 Tさん)
・1年前より楽しみにしていました。
やはり楽しみにしていた以上に良かったです。
来年も絶対に来ます!(諏訪郡 Hさん)
・最高でした。こんなに心が動いたのは、
比田井先生と初めてやったセミナー以来です。
もっと我武者羅に生きてみようと感じ、実際に動いています。
木下さん、我武者羅應援團も最高のゲスト講師であったのですが、
やっぱり僕の心をつかんだのは、比田井先生とウエジョビでした。
特に比田井先生、今回の一番の学びは、”自分”でした。
自分たちで、自分で、自分が決める、自分が源泉…
自分をもっと信じてみようと思いました。
そんな”自分”という魅力を存分に感じさせてくれたのが比田井先生でした。
話の内容は他の人のことかもしれませんが、
すべてにわたって比田井先生を感じました。
すべて、比田井先生自身から出てくる、生きた言葉でした。
伝えたい! という本気の感情が込められた、研ぎ澄まされた本当の言葉でした。
そして、比田井先生の明るさをいっぱい浴びることができました。
その明るい生き様が大好きです!
ウエジョビ、また違うステージに上がったように感じました。
佐藤先生はすごい学校をつくられたと思います。
出会いに感謝します!
(東京都 ヒダカズの「心の友」石田敦志さん(↓写真中央))
たくさんの感想、本当にありがとうございました!
みなさんのおかげで、素晴らしい、気持ちの良いイベントになりました。
心から感謝です!!
さて、来年のゲストはどなたでしょうか??
そして、新上田市民会館、来秋竣工予定…間に合うのでしょうか??
来年は記念すべき10回目。
今から楽しみです!!
長々と連載してきてしまいましたが、
最後までお付き合いいただきありがとうございました!!(*^-^*)
Posted by 比田井美恵 at
21:47
│Comments(2)
2013年10月19日
225-挨拶ひとつでクラスが変わり掃除のおばちゃんが号泣した
今日は、昨日配信された比田井通信(ヒダカズ非公式メルマガ)よりお届けします!
----------
こんばんは!
急に寒くなっちゃいましたね。
体調崩さないで下さいね。
さて、前回の比田井通信で、
「明日、岡山に行きます!その前にカンタの運動会です!」って
言いましたよね。
ちなみに、カンタの「かけっこ」ですが・・・・
驚きました・・・・
一等賞です!
これは比田井家にとってかなりの驚きでした。

なぜかといいますと、
昨年は3位。
一昨年は4位だったと思います。
保育園の頃からかけっこは真ん中か、
それ以下と言うのがカンタの定位置でした。
美恵先生は、
「私はいつも一番だった!」と言っていますが、
私は、だいたい3位か4位。
どんなに良くても2位だったんです。
なので、カンタの足が遅くても、
「私に似たんだね」と思っていました。
ただ、ちょっとだけ
「う~ん・・・・」と思っていたのが、
毎年、笑顔で楽しそうに走るのはいいのですが


どうも、本気で走っていないような気がしていたんです。
小さい頃から勝負事にあまり興味がないといいますか・・・
「なんとしても勝ちたい!」みたいなところがないといいますか・・・
勝負にこだわらないといいますか・・・
そんな子でした。
ですので、前の晩、カンタに
「明日のかけっこ、結果はどうでもいいけど、
とにかく、精一杯走ってほしいんだよね・・・」
と言いました。
ところが、ところが、
まさかの一等賞です!
9回目の運動会にして初めての1位です!
なんか、去年までの走り方と全然違うんです。
もう、フォームが違うんです。
(でも、顔は笑っています)

いやぁ~、驚きました。
感動というよりは、
「1位になっちゃった・・・・」って感じです。
もちろん、嬉しかったです。
フェイスブックにそのことを書いたら、
たくさんの方が「おめでとう!」って言って下さり、
それもまた嬉しかったですね。
その翌日は「ココロの授業in岡山」ですよ!
主催者の柳元さんと、
スタッフのみなさんが本当に頑張って下さって、
150人もの方が来て下さいました。

150人ですよ!
それも岡山ですからね!
しかも有料の講演会です!
さらには、岡山だけでなく、
大阪、神戸、京都、香川、高知、広島、宮崎と、
まさに西日本全域から集まって来て下さいました。
そして、スタッフの皆さんの
「おもてなしの心」が嬉しかったですねぇ~。

今回は家族で行きましたから、
なおさらそれが嬉しかったんです。
もぉ、岡山、大好きです!
というわけで最高の3連休になりました。
で・・・・、
今日は「ココロの授業講演会」で私が話したお話を・・・
と思っていたのですが、それはちょっと来週に回しまして・・・
今日、ちょっと嬉しいことがあったんです。
それも2つも!
ちなみに今日は、
群馬県の西毛地区(高崎・安中・藤岡)
の高等学校PTA連合会さんの研修会でお話をさせて頂いたのですが、

まぁ、毎回の事ですが、
群馬の皆さんはリアクションがいいですね。
皆さん、ホントにいい雰囲気で聴いて下さるんです。
そして、最後に謝辞を言って下さった、
高崎高校のPTA副会長さんが、
「私が一番受けたいココロの授業」を手に持って登壇して下さり、
なにを言うのかと思ったら、
----------------------
実は、7月にこの講演会を迎えるにあたり、
この本を読ませて頂きました。
そして、この本の中の、
「目の前のことを、誠実に、誠意を持って精一杯やること」
に感銘を受けまして、
それから、数ヶ月間、それを意識して行動しました。
すると、驚くほどいろんなことが、
いい方へ、いい方へ動いて、
ビックリしているんです。
当然、私の心持が「幸せ」を感じることができ、
私が「幸せ」だと家族も「幸せ」ですよね。
この本に書いてあることは、
本当なんだなぁって思ってきました。
そして、今日、この講演を聴いて、
またさらに、「大事だよなぁ」って思うことができました。
----------------------
こんな、謝辞を言って下さったんです。
いや、もうこれ、ホントに嬉しいですよね。
思わず、握手しちゃいました(笑)
こんな謝辞を言って下さる方、
まず、いないですから!
このかた、素直なんですね。
だから、行動できるんです。
そして、素直な心で行動をしたとき、
結果がでるんです。
そんな嬉しい謝辞を頂いて、
ご機嫌で会場を後にしました。
今日はこの後、明後日、
(また群馬なんですが)
群馬医療福祉大学で行われる、
介護福祉士さんを対象とした講演会の
打ち合わせを実行委員長の小池さんという方と、
近くのファミレスでしたんです。

明後日の講演会は我武者羅應援團とのコラボですから、
いろいろと、そのへんの打ち合わせをしまして、
「それでは明後日、よろしくお願いします!」と言ったあと、
小池さんが嬉しいお話をしてくれたんです。
小池さんは以前、専門学校で先生をしていた方です。
その頃、校内でも比較的モチベーションが高くない
(つまり低い)
コースの担任をしていて、
クラスの雰囲気があまり良くなかったそうなんです。
「どうせ、俺らなんかよ!勉強もできないし!」
みたいな言葉がクラス中を飛び交っていたそうです。
そんな時、たまたま、
「私が一番受けたいココロの授業」
(おっ、また出ました!(笑))
を本屋さんでたまたま見つけて読んだそうです。
「私が一番受けたいココロの授業」

嬉しいことに、小池さん、
それを読んで、
「せめて、挨拶ぐらいはできるようになろう!」と
クラス改革を始めます。
「せめて、クラスの仲間と・・・・
あとは、掃除のおばちゃんにもしよう!」
そう言ったそうです。
「勉強ができないんだったら、せめて挨拶ぐらい・・・・」
この言葉が学生に伝わって、
(もちろん、そんなに簡単ではなかったと思うのですが、
小池さんの思いが強かったんでしょう)
だんだんクラスの雰囲気がよくなっていったそうです。
そりゃぁ、挨拶ができる組織は、
それだけで雰囲気がよくなりますから。
掃除のおばちゃんにも学生が挨拶をするようになったそうです。
おばちゃんも、喜んで、
「こんな気持ちのいい挨拶をしてくれる学生は初めてだ!」って
言ってくれたそうです。
クラスの雰囲気がよくなると、不思議ですよね。
みんな勉強も一生懸命にやるようになるんです。
周りの先生たちも、褒めてくれたそうです。
それまで、「あのクラスは・・・・」って言われていたクラスの子たちが、
褒められるようになったそうです。
このお話、まだ終わらないですよ。
そんなとき、小池さんが、
「手紙を書いてみよう!」と言い出します。
「せっかくだから、誰でもいいから、
手紙を書いて思いを伝えてみよう!」と学生に手紙を書かせます。
親でも、誰でもいいからって言って書かせたそうです。
そして、
せっかく書いた手紙だから、
直接、その人のところに持って行って
読んであげてみて下さい。って言ったそうです。
そのクラスに高校時代、
学校を大量に休んでいた学生がいたそうです。
不登校と言うよりは、
サボっちゃった感じだったそうです。
3年間のうち半分ぐらいしか学校に行っていなかったようなそんな学生だったそうです。
小池さんも、その学生が誰に、どんな手紙を書くのか、
気になっていたそうですが・・・、
その学生が手紙を書いた相手は・・・・
「掃除のおばちゃん」だったそうです。
そして、休み時間にそのおばちゃんのところに行って、
その手紙を読んだそうです。
内容としては、
「いつも、掃除をしてくれてありがとう。」ぐらいのことで、
そんなに感動的なことが書いてあったわけではないそうですが、
その手紙を読んでもらったおばちゃんは、
もう、号泣なんですって。
「こんな手紙、学生さんからもらったこと一度もない」って言って
ボロボロ泣いたそうです。
高校時代に、ろくに学校にも行っていなかった子が
掃除のおばちゃんを泣かせたんです。
いやぁ~、この話を聴いていて、
もう、私まで涙が出てきました。
この学生、ほんとにいい経験をさせてもらったなぁ、
と思うんです。
もしかしたら「どうせ、自分なんて!」って思っていたかもしれません。
でもその自分が、手紙を書いて、
それを読んだだけで、
ボロボロ泣きながら喜んでくれる人がいる。
きっと、一生忘れない経験になったと思うんです。
「与える者は与えられる」
まさに、この学生は大きな「自信」を手に入れたんじゃないでしょうか。
でも、そんな貴重な経験をさせてあげられた小池さんも凄いですよね!
その、小池さんが実行委員長を務める、
介護福祉士の皆さんを応援するイベントが明日10/20(日)に迫っています。
なんと、一般参加可能です。
(ただし、一般参加の場合は5000円の参加費が必要ですm(__)m)
私、今から我武者羅應援團が介護福祉士の皆さんをどんなふうに応援するのか、
とても楽しみです!
↓すでに会場準備は万端で、我武者羅のリハーサルも終わりました!

またご報告しますね。
今日はそんな嬉しいことが2つもありました!
それではまた来週!
あっ、10/27の平安堂の伊澤さんとのコラボイベント、
やっぱり、もう満席になっちゃったみたいです。
ただ、当日キャンセルも考慮して、もうちょっとだけ受け付けますって、
平安堂の担当者さんが言っていましたので、
まだ、間に合うかもしれません。
お問い合わせはコチラです↓
026-224-4545
10/27 ヒダカズ&我武者羅應援團の伊澤直人イベント

■■一般参加可能なヒダカズ講演■■■
●10/20(日)14:00-15:30/群馬県高崎市/群馬医療福祉大学/群馬県介護福祉会/5,000円/027-255-6226(我武者羅應援團が特別ゲストでやってきます!)
●11/2(土)12:00-11/3(日)12:00/神奈川県足柄郡/足柄ふれあいの村/11/2 ヒダカズ講演、木下晴弘さん講演、11/3 喜多川泰さん講演、我武者羅應援團演舞/1泊3食懇親会費込 16,000円/申込 tnkn-kai@nifty.com
●11/10(日)13:30-14:30/長野県安曇野市/松本大学5号館/長野県臨床検査学会 安曇野赤十字病院 検査部内 学会事務局0263-72-3170
●11/16(土)長野県上田市/11:00~12:00/上田明照会 甘露保育園/入場無料/甘露保育園 0268-22-7665(ちなみに寛太の通っていた保育園です。この日、寛太をアシスタントに連れて行こうと企んでいます)
●12/1(日)長野県安曇野市/13:30~15:00/安曇野市穂高総合支所/入場無料/安曇野市立穂高会館 0263-82-5970
●12/4(水)山梨県笛吹市/13:30~15:00/笛吹市立石和中学校/入場無料/石和中学校教頭入倉先生 055-262-2225
----------
こんばんは!
急に寒くなっちゃいましたね。
体調崩さないで下さいね。
さて、前回の比田井通信で、
「明日、岡山に行きます!その前にカンタの運動会です!」って
言いましたよね。
ちなみに、カンタの「かけっこ」ですが・・・・
驚きました・・・・
一等賞です!
これは比田井家にとってかなりの驚きでした。
なぜかといいますと、
昨年は3位。
一昨年は4位だったと思います。
保育園の頃からかけっこは真ん中か、
それ以下と言うのがカンタの定位置でした。
美恵先生は、
「私はいつも一番だった!」と言っていますが、
私は、だいたい3位か4位。
どんなに良くても2位だったんです。
なので、カンタの足が遅くても、
「私に似たんだね」と思っていました。
ただ、ちょっとだけ
「う~ん・・・・」と思っていたのが、
毎年、笑顔で楽しそうに走るのはいいのですが
どうも、本気で走っていないような気がしていたんです。
小さい頃から勝負事にあまり興味がないといいますか・・・
「なんとしても勝ちたい!」みたいなところがないといいますか・・・
勝負にこだわらないといいますか・・・
そんな子でした。
ですので、前の晩、カンタに
「明日のかけっこ、結果はどうでもいいけど、
とにかく、精一杯走ってほしいんだよね・・・」
と言いました。
ところが、ところが、
まさかの一等賞です!
9回目の運動会にして初めての1位です!
なんか、去年までの走り方と全然違うんです。
もう、フォームが違うんです。
(でも、顔は笑っています)

いやぁ~、驚きました。
感動というよりは、
「1位になっちゃった・・・・」って感じです。
もちろん、嬉しかったです。
フェイスブックにそのことを書いたら、
たくさんの方が「おめでとう!」って言って下さり、
それもまた嬉しかったですね。
その翌日は「ココロの授業in岡山」ですよ!
主催者の柳元さんと、
スタッフのみなさんが本当に頑張って下さって、
150人もの方が来て下さいました。
150人ですよ!
それも岡山ですからね!
しかも有料の講演会です!
さらには、岡山だけでなく、
大阪、神戸、京都、香川、高知、広島、宮崎と、
まさに西日本全域から集まって来て下さいました。
そして、スタッフの皆さんの
「おもてなしの心」が嬉しかったですねぇ~。
今回は家族で行きましたから、
なおさらそれが嬉しかったんです。
もぉ、岡山、大好きです!
というわけで最高の3連休になりました。
で・・・・、
今日は「ココロの授業講演会」で私が話したお話を・・・
と思っていたのですが、それはちょっと来週に回しまして・・・
今日、ちょっと嬉しいことがあったんです。
それも2つも!
ちなみに今日は、
群馬県の西毛地区(高崎・安中・藤岡)
の高等学校PTA連合会さんの研修会でお話をさせて頂いたのですが、

まぁ、毎回の事ですが、
群馬の皆さんはリアクションがいいですね。
皆さん、ホントにいい雰囲気で聴いて下さるんです。
そして、最後に謝辞を言って下さった、
高崎高校のPTA副会長さんが、
「私が一番受けたいココロの授業」を手に持って登壇して下さり、
なにを言うのかと思ったら、
----------------------
実は、7月にこの講演会を迎えるにあたり、
この本を読ませて頂きました。
そして、この本の中の、
「目の前のことを、誠実に、誠意を持って精一杯やること」
に感銘を受けまして、
それから、数ヶ月間、それを意識して行動しました。
すると、驚くほどいろんなことが、
いい方へ、いい方へ動いて、
ビックリしているんです。
当然、私の心持が「幸せ」を感じることができ、
私が「幸せ」だと家族も「幸せ」ですよね。
この本に書いてあることは、
本当なんだなぁって思ってきました。
そして、今日、この講演を聴いて、
またさらに、「大事だよなぁ」って思うことができました。
----------------------
こんな、謝辞を言って下さったんです。
いや、もうこれ、ホントに嬉しいですよね。
思わず、握手しちゃいました(笑)
こんな謝辞を言って下さる方、
まず、いないですから!
このかた、素直なんですね。
だから、行動できるんです。
そして、素直な心で行動をしたとき、
結果がでるんです。
そんな嬉しい謝辞を頂いて、
ご機嫌で会場を後にしました。
今日はこの後、明後日、
(また群馬なんですが)
群馬医療福祉大学で行われる、
介護福祉士さんを対象とした講演会の
打ち合わせを実行委員長の小池さんという方と、
近くのファミレスでしたんです。

明後日の講演会は我武者羅應援團とのコラボですから、
いろいろと、そのへんの打ち合わせをしまして、
「それでは明後日、よろしくお願いします!」と言ったあと、
小池さんが嬉しいお話をしてくれたんです。
小池さんは以前、専門学校で先生をしていた方です。
その頃、校内でも比較的モチベーションが高くない
(つまり低い)
コースの担任をしていて、
クラスの雰囲気があまり良くなかったそうなんです。
「どうせ、俺らなんかよ!勉強もできないし!」
みたいな言葉がクラス中を飛び交っていたそうです。
そんな時、たまたま、
「私が一番受けたいココロの授業」
(おっ、また出ました!(笑))
を本屋さんでたまたま見つけて読んだそうです。
「私が一番受けたいココロの授業」
嬉しいことに、小池さん、
それを読んで、
「せめて、挨拶ぐらいはできるようになろう!」と
クラス改革を始めます。
「せめて、クラスの仲間と・・・・
あとは、掃除のおばちゃんにもしよう!」
そう言ったそうです。
「勉強ができないんだったら、せめて挨拶ぐらい・・・・」
この言葉が学生に伝わって、
(もちろん、そんなに簡単ではなかったと思うのですが、
小池さんの思いが強かったんでしょう)
だんだんクラスの雰囲気がよくなっていったそうです。
そりゃぁ、挨拶ができる組織は、
それだけで雰囲気がよくなりますから。
掃除のおばちゃんにも学生が挨拶をするようになったそうです。
おばちゃんも、喜んで、
「こんな気持ちのいい挨拶をしてくれる学生は初めてだ!」って
言ってくれたそうです。
クラスの雰囲気がよくなると、不思議ですよね。
みんな勉強も一生懸命にやるようになるんです。
周りの先生たちも、褒めてくれたそうです。
それまで、「あのクラスは・・・・」って言われていたクラスの子たちが、
褒められるようになったそうです。
このお話、まだ終わらないですよ。
そんなとき、小池さんが、
「手紙を書いてみよう!」と言い出します。
「せっかくだから、誰でもいいから、
手紙を書いて思いを伝えてみよう!」と学生に手紙を書かせます。
親でも、誰でもいいからって言って書かせたそうです。
そして、
せっかく書いた手紙だから、
直接、その人のところに持って行って
読んであげてみて下さい。って言ったそうです。
そのクラスに高校時代、
学校を大量に休んでいた学生がいたそうです。
不登校と言うよりは、
サボっちゃった感じだったそうです。
3年間のうち半分ぐらいしか学校に行っていなかったようなそんな学生だったそうです。
小池さんも、その学生が誰に、どんな手紙を書くのか、
気になっていたそうですが・・・、
その学生が手紙を書いた相手は・・・・
「掃除のおばちゃん」だったそうです。
そして、休み時間にそのおばちゃんのところに行って、
その手紙を読んだそうです。
内容としては、
「いつも、掃除をしてくれてありがとう。」ぐらいのことで、
そんなに感動的なことが書いてあったわけではないそうですが、
その手紙を読んでもらったおばちゃんは、
もう、号泣なんですって。
「こんな手紙、学生さんからもらったこと一度もない」って言って
ボロボロ泣いたそうです。
高校時代に、ろくに学校にも行っていなかった子が
掃除のおばちゃんを泣かせたんです。
いやぁ~、この話を聴いていて、
もう、私まで涙が出てきました。
この学生、ほんとにいい経験をさせてもらったなぁ、
と思うんです。
もしかしたら「どうせ、自分なんて!」って思っていたかもしれません。
でもその自分が、手紙を書いて、
それを読んだだけで、
ボロボロ泣きながら喜んでくれる人がいる。
きっと、一生忘れない経験になったと思うんです。
「与える者は与えられる」
まさに、この学生は大きな「自信」を手に入れたんじゃないでしょうか。
でも、そんな貴重な経験をさせてあげられた小池さんも凄いですよね!
その、小池さんが実行委員長を務める、
介護福祉士の皆さんを応援するイベントが明日10/20(日)に迫っています。
なんと、一般参加可能です。
(ただし、一般参加の場合は5000円の参加費が必要ですm(__)m)
私、今から我武者羅應援團が介護福祉士の皆さんをどんなふうに応援するのか、
とても楽しみです!
↓すでに会場準備は万端で、我武者羅のリハーサルも終わりました!

またご報告しますね。
今日はそんな嬉しいことが2つもありました!
それではまた来週!
あっ、10/27の平安堂の伊澤さんとのコラボイベント、
やっぱり、もう満席になっちゃったみたいです。
ただ、当日キャンセルも考慮して、もうちょっとだけ受け付けますって、
平安堂の担当者さんが言っていましたので、
まだ、間に合うかもしれません。
お問い合わせはコチラです↓
026-224-4545
10/27 ヒダカズ&我武者羅應援團の伊澤直人イベント

■■一般参加可能なヒダカズ講演■■■
●10/20(日)14:00-15:30/群馬県高崎市/群馬医療福祉大学/群馬県介護福祉会/5,000円/027-255-6226(我武者羅應援團が特別ゲストでやってきます!)
●11/2(土)12:00-11/3(日)12:00/神奈川県足柄郡/足柄ふれあいの村/11/2 ヒダカズ講演、木下晴弘さん講演、11/3 喜多川泰さん講演、我武者羅應援團演舞/1泊3食懇親会費込 16,000円/申込 tnkn-kai@nifty.com
●11/10(日)13:30-14:30/長野県安曇野市/松本大学5号館/長野県臨床検査学会 安曇野赤十字病院 検査部内 学会事務局0263-72-3170
●11/16(土)長野県上田市/11:00~12:00/上田明照会 甘露保育園/入場無料/甘露保育園 0268-22-7665(ちなみに寛太の通っていた保育園です。この日、寛太をアシスタントに連れて行こうと企んでいます)
●12/1(日)長野県安曇野市/13:30~15:00/安曇野市穂高総合支所/入場無料/安曇野市立穂高会館 0263-82-5970
●12/4(水)山梨県笛吹市/13:30~15:00/笛吹市立石和中学校/入場無料/石和中学校教頭入倉先生 055-262-2225
Posted by 比田井美恵 at
23:23
│Comments(6)
2013年10月18日
ココロの授業の舞台裏
↓ 今までの記事はコチラです。
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その1

2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その2

2013/10/05
ココロの授業講演会ありがとうございました!

2013/10/06
ココロの授業講演会ありがとうございました2

2013/10/07
「ココロの授業」は65年前から始まっていたのです…

2013/10/08
存在そのものを愛された子は自信を持つ。

2013/10/09
一人の生徒を粗末にした時、教育はその光を失う

2013/10/10
真の苦しみを知る者の笑顔は限りなく優しい

2013/10/16
我武者羅應援團の演舞に会場が一体となりました

2013/10/17
自分を勝手にアキラメルナ!!

おかげさで、「第9回ココロの授業講演会」も無事終わりました。
今日はちょっと視点を変えて、その舞台裏のお話です。
舞台準備は前日の午後1時から始まりました。
立ち位置、照明の位置とタイミング、マイクの位置や音響、音量など
細かくチェックして調整していきます。

ウエジョビ映像担当の勅使川原先生と相談しています。
我武者羅應援團の裕木さんもいつもとは違う表情です。

その後、パソコンの確認。
例えば、初めはオープニング映像と音楽を流して、
●時●分に音楽をフェードアウトして
別の映像に切り替え。
映像が終わるころに、映像の音楽はフェードアウトして
別の音楽を入れ、
講演している方の映像を映す。…など、本当に細かな打ち合わせです。
ノートパソコン2台、その他にモニターも1~2台ありました。
これらを操作・切り替えしながら音楽も切り替えたりするのですから…
なかなか大変です。


結局、当日のリハーサルが終わったのは、
午後6時前。
…それでもまだ足りません。
当日も朝9時から打ち合わせと準備。

我武者羅應援團のみなさんからのエールに元気をもらい、
それぞれの持ち場で準備をすすめます。
商品の準備をしてくれる先生たち。

プロジェクターのチェック。

司会のリハーサル。

映像班も張り切っています。

ところが…その時…すでに会場の外には
お客様が詰めかけていました。
今回、開演12:30、会場11:00だったのですが、
10:30には、すでにグッズ販売コーナーにはこんなにたくさんの方が…。

11:00前には、ドアの前に長蛇の列。


それでも、しっかりチェックをしないと、開場するわけにはいきません。
(長らくお待ちいただいた皆様には、本当に申し訳なかったです…(>_<))

なんとか開場し、
我武者羅應援團の個別応援も始まりました。


裕木さん、すでに本気の汗が流れています。

一方、ホールの片隅で、ひそかに集まる比田井塾の面々。

講演会終了後、「希望者にヒダカズシールを配る」という任務があります。
打ち合わせ、ハイタッチもばっちりです。

さて、会場後…やっとお客様がホールに入ったころを見計らって、
我武者羅應援團さんが、書店さんにあいさつです。
さすがです。律儀です。

この売り場も、木下先生のお話が終わると、
どっとお客様が詰めかけて、ものすごいことになっていました。

みなさん、手に黄緑色の木下先生の新刊を手にしています。
木下先生のお話が素晴らしかった証拠ですね!
学校では教わらなかった人生の特別授業/フォレスト出版

我武者羅グッズ販売ブースでは、
自らグッズを見せる團員の姿がありました。

会場では、毎年の常連さんになっている、
佐久長聖高校剣道部の皆さんがいました。
ウエジョビの先生たちと談笑しています。

生徒さんたちも、みんな熱心に聴いてくれましたね。ありがたかったです。
ところで、今回の講演会、「会場の一体感がたまりませんでした」という
感想を何人かの方からいただきました。
講演会の雰囲気は、
講演をする人、
運営するスタッフ、
そして、お客様の3者で作り上げるものだと思っています。
今回、お客様の熱心さには本当に助けられました。
メモも取りながら、一生懸命に聴いてくださり、

ノル時にはノリノリで…

とても温かい雰囲気で
本当に…本当にありがたかったです。
ありがとうございました!(o^-^o)
さて、あと一回だけ続きます。
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その1
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その2
2013/10/05
ココロの授業講演会ありがとうございました!
2013/10/06
ココロの授業講演会ありがとうございました2
2013/10/07
「ココロの授業」は65年前から始まっていたのです…
2013/10/08
存在そのものを愛された子は自信を持つ。
2013/10/09
一人の生徒を粗末にした時、教育はその光を失う
2013/10/10
真の苦しみを知る者の笑顔は限りなく優しい

2013/10/16
我武者羅應援團の演舞に会場が一体となりました
2013/10/17
自分を勝手にアキラメルナ!!
おかげさで、「第9回ココロの授業講演会」も無事終わりました。
今日はちょっと視点を変えて、その舞台裏のお話です。
舞台準備は前日の午後1時から始まりました。
立ち位置、照明の位置とタイミング、マイクの位置や音響、音量など
細かくチェックして調整していきます。
ウエジョビ映像担当の勅使川原先生と相談しています。
我武者羅應援團の裕木さんもいつもとは違う表情です。
その後、パソコンの確認。
例えば、初めはオープニング映像と音楽を流して、
●時●分に音楽をフェードアウトして
別の映像に切り替え。
映像が終わるころに、映像の音楽はフェードアウトして
別の音楽を入れ、
講演している方の映像を映す。…など、本当に細かな打ち合わせです。
ノートパソコン2台、その他にモニターも1~2台ありました。
これらを操作・切り替えしながら音楽も切り替えたりするのですから…
なかなか大変です。
結局、当日のリハーサルが終わったのは、
午後6時前。
…それでもまだ足りません。
当日も朝9時から打ち合わせと準備。
我武者羅應援團のみなさんからのエールに元気をもらい、
それぞれの持ち場で準備をすすめます。
商品の準備をしてくれる先生たち。
プロジェクターのチェック。
司会のリハーサル。
映像班も張り切っています。
ところが…その時…すでに会場の外には
お客様が詰めかけていました。
今回、開演12:30、会場11:00だったのですが、
10:30には、すでにグッズ販売コーナーにはこんなにたくさんの方が…。
11:00前には、ドアの前に長蛇の列。
それでも、しっかりチェックをしないと、開場するわけにはいきません。
(長らくお待ちいただいた皆様には、本当に申し訳なかったです…(>_<))
なんとか開場し、
我武者羅應援團の個別応援も始まりました。
裕木さん、すでに本気の汗が流れています。
一方、ホールの片隅で、ひそかに集まる比田井塾の面々。
講演会終了後、「希望者にヒダカズシールを配る」という任務があります。
打ち合わせ、ハイタッチもばっちりです。
さて、会場後…やっとお客様がホールに入ったころを見計らって、
我武者羅應援團さんが、書店さんにあいさつです。
さすがです。律儀です。
この売り場も、木下先生のお話が終わると、
どっとお客様が詰めかけて、ものすごいことになっていました。
みなさん、手に黄緑色の木下先生の新刊を手にしています。
木下先生のお話が素晴らしかった証拠ですね!
学校では教わらなかった人生の特別授業/フォレスト出版

我武者羅グッズ販売ブースでは、
自らグッズを見せる團員の姿がありました。
会場では、毎年の常連さんになっている、
佐久長聖高校剣道部の皆さんがいました。
ウエジョビの先生たちと談笑しています。
生徒さんたちも、みんな熱心に聴いてくれましたね。ありがたかったです。
ところで、今回の講演会、「会場の一体感がたまりませんでした」という
感想を何人かの方からいただきました。
講演会の雰囲気は、
講演をする人、
運営するスタッフ、
そして、お客様の3者で作り上げるものだと思っています。
今回、お客様の熱心さには本当に助けられました。
メモも取りながら、一生懸命に聴いてくださり、
ノル時にはノリノリで…
とても温かい雰囲気で
本当に…本当にありがたかったです。
ありがとうございました!(o^-^o)
さて、あと一回だけ続きます。
Posted by 比田井美恵 at
23:21
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2013年10月17日
自分を勝手にアキラメルナ!!
↓ 今までの記事はコチラです。
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その1

2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その2

2013/10/05
ココロの授業講演会ありがとうございました!

2013/10/06
ココロの授業講演会ありがとうございました2

2013/10/07
「ココロの授業」は65年前から始まっていたのです…

2013/10/08
存在そのものを愛された子は自信を持つ。

2013/10/09
一人の生徒を粗末にした時、教育はその光を失う

2013/10/10
真の苦しみを知る者の笑顔は限りなく優しい

2013/10/16
我武者羅應援團の演舞に会場が一体となりました

團長の武藤貴宏さんが語り始めました。

…武藤さんは高校時代、
あこがれて應援團に入りましたが、
新入部員は武藤さんただひとり。
武藤さんは、先輩たちのあまりの厳しさに逃げ出してしまったのです。
それからは逃亡生活が始まりました。
先輩たちが通りそうな食堂や渡り廊下は避けていました。
休み時間、びくびくしていた。
武藤さんはこんな風に言っていました。
----------
そんな生活がはじまると
応援団の先輩のことだけでなく
いろんなことに私は消極的になってしまった。
授業中、発言をするのがこわくなった
仲間や家族に自分の本音を言うことが怖くなった。
好きな人に好きだって伝えたい思いはあるのに
その気持ち伝えられなくなった。
何かにチャレンジするたびに
私は自分で勝手にブレーキを踏み始めてしまった。
逃げる癖がついてしまった。
----------
その後、2007年に我武者羅應援團を結成。
結成から6年が過ぎた今でこそ、
テレビにも出演し、全国から演舞で呼ばれるようにもなりましたが、
当初はまったくちがいました。
誰に求められて始めた應援團でもありません。
頭を下げて、
応援させてもらうところを探し、
必死に声を出したのです…。
最後の武藤さんからの言葉です。
----------

我々我武者羅應援團は
自分を信じこの一回きりの
いつ終わるかわからないこの命
自分らしく、思い切り生きる。
だからどうかあなたも
あなたの内からわき出でる感情を
信じて
味わって
楽しんで
あなたらしい
あなたにしか生きられない人生を生きてくレ
嬉しかったら
叫べ!
悔しいんだったら
泣いていいんだ。
腹が立ったら
怒れよ!
楽しかったら
踊れ!!
好きな人ができたら
好きって言っちゃえ!
行きたい場所があったら
一歩踏み出せ!
夢を見つけたら
思い切って飛び込め!!!
自分の感情を信じ
思いっきり生きようじゃありませんか。
そんな約束を
我々は応援という形で
あなたと交わしたいのでございます。
私は宣言する!
あなたが本気をだせば
あなたの世界は変わる!!
あなたが本気を出す前に
自分を勝手にアキラメルナ!!
生まれてから死ぬまで
ずーっとあなたのことを応援しているのは
あなたなんだ。
だからあなただけは
自分をあきらめないでくれ。
あなたの一番の応援団は
あなただろ?
自分を信じろ!
自分の将来を信じろ!!
自分の未来を信じろよ!!
最後の最後まで自分を信じ
あきらめないあなたを、
俺たち我武者羅應援團は
この命を懸けて
応援する。
-----------
最後は、応援歌、リベンジ。

全力の応援歌です。






涙涙の演舞でした。
こんな感想もいただきました。
「今日の講演会…ホントに疲れました
えぇ泣きすぎて
涙ってこんなに出るんだっつうくらい
溢れ流れて止まりませんでした (Cちゃん)」
この方が特別なわけではありません。
他にも同様の感想がたくさん。
本当に良かったです…。
ところで、武藤団長の語り…
私が今まで聞いた中でも多分一番長かったと思います。
30分以上の語りでした。
私も、何十回と彼らの演舞を観てきましたが、
今回、初めて聞く話がいくつもありました。
…感動しました。
ここではその内容を書くのは控えておきますが
「事実はドラマよりも奇なり」という言葉を思い出しました。
偶然…いや、必然だったのでしょう。
そして、奇跡のクライマックス…。
今も、思い出しただけでも鳥肌が立ちます。
そんな武藤さんのお話が気になる方は
こちらのCDをぜひ聞いてみてくださいね!


このCD(武藤さん単独講演会)の中でも
その話をしています。
↓ ネットでの購入はコチラ。
我武者羅應援團 公式ページ

続きます。
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その1
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その2
2013/10/05
ココロの授業講演会ありがとうございました!
2013/10/06
ココロの授業講演会ありがとうございました2
2013/10/07
「ココロの授業」は65年前から始まっていたのです…
2013/10/08
存在そのものを愛された子は自信を持つ。
2013/10/09
一人の生徒を粗末にした時、教育はその光を失う
2013/10/10
真の苦しみを知る者の笑顔は限りなく優しい

2013/10/16
我武者羅應援團の演舞に会場が一体となりました
團長の武藤貴宏さんが語り始めました。
…武藤さんは高校時代、
あこがれて應援團に入りましたが、
新入部員は武藤さんただひとり。
武藤さんは、先輩たちのあまりの厳しさに逃げ出してしまったのです。
それからは逃亡生活が始まりました。
先輩たちが通りそうな食堂や渡り廊下は避けていました。
休み時間、びくびくしていた。
武藤さんはこんな風に言っていました。
----------
そんな生活がはじまると
応援団の先輩のことだけでなく
いろんなことに私は消極的になってしまった。
授業中、発言をするのがこわくなった
仲間や家族に自分の本音を言うことが怖くなった。
好きな人に好きだって伝えたい思いはあるのに
その気持ち伝えられなくなった。
何かにチャレンジするたびに
私は自分で勝手にブレーキを踏み始めてしまった。
逃げる癖がついてしまった。
----------
その後、2007年に我武者羅應援團を結成。
結成から6年が過ぎた今でこそ、
テレビにも出演し、全国から演舞で呼ばれるようにもなりましたが、
当初はまったくちがいました。
誰に求められて始めた應援團でもありません。
頭を下げて、
応援させてもらうところを探し、
必死に声を出したのです…。
最後の武藤さんからの言葉です。
----------
我々我武者羅應援團は
自分を信じこの一回きりの
いつ終わるかわからないこの命
自分らしく、思い切り生きる。
だからどうかあなたも
あなたの内からわき出でる感情を
信じて
味わって
楽しんで
あなたらしい
あなたにしか生きられない人生を生きてくレ
嬉しかったら
叫べ!
悔しいんだったら
泣いていいんだ。
腹が立ったら
怒れよ!
楽しかったら
踊れ!!
好きな人ができたら
好きって言っちゃえ!
行きたい場所があったら
一歩踏み出せ!
夢を見つけたら
思い切って飛び込め!!!
自分の感情を信じ
思いっきり生きようじゃありませんか。
そんな約束を
我々は応援という形で
あなたと交わしたいのでございます。
私は宣言する!
あなたが本気をだせば
あなたの世界は変わる!!
あなたが本気を出す前に
自分を勝手にアキラメルナ!!
生まれてから死ぬまで
ずーっとあなたのことを応援しているのは
あなたなんだ。
だからあなただけは
自分をあきらめないでくれ。
あなたの一番の応援団は
あなただろ?
自分を信じろ!
自分の将来を信じろ!!
自分の未来を信じろよ!!
最後の最後まで自分を信じ
あきらめないあなたを、
俺たち我武者羅應援團は
この命を懸けて
応援する。
-----------
最後は、応援歌、リベンジ。
全力の応援歌です。
涙涙の演舞でした。
こんな感想もいただきました。
「今日の講演会…ホントに疲れました
えぇ泣きすぎて
涙ってこんなに出るんだっつうくらい
溢れ流れて止まりませんでした (Cちゃん)」
この方が特別なわけではありません。
他にも同様の感想がたくさん。
本当に良かったです…。
ところで、武藤団長の語り…
私が今まで聞いた中でも多分一番長かったと思います。
30分以上の語りでした。
私も、何十回と彼らの演舞を観てきましたが、
今回、初めて聞く話がいくつもありました。
…感動しました。
ここではその内容を書くのは控えておきますが
「事実はドラマよりも奇なり」という言葉を思い出しました。
偶然…いや、必然だったのでしょう。
そして、奇跡のクライマックス…。
今も、思い出しただけでも鳥肌が立ちます。
そんな武藤さんのお話が気になる方は
こちらのCDをぜひ聞いてみてくださいね!
このCD(武藤さん単独講演会)の中でも
その話をしています。
↓ ネットでの購入はコチラ。
我武者羅應援團 公式ページ

続きます。
Posted by 比田井美恵 at
23:23
│Comments(2)
2013年10月16日
我武者羅應援團の演舞に会場が一体となりました
お待たせしました。ココロの授業講演会の連載です。
↓ 今までの記事はコチラです。
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その1

2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その2

2013/10/05
ココロの授業講演会ありがとうございました!

2013/10/06
ココロの授業講演会ありがとうございました2

2013/10/07
「ココロの授業」は65年前から始まっていたのです…

2013/10/08
存在そのものを愛された子は自信を持つ。

2013/10/09
一人の生徒を粗末にした時、教育はその光を失う

2013/10/10
真の苦しみを知る者の笑顔は限りなく優しい

ところで、木下晴弘先生と我武者羅應援團、ヒダカズは大の仲良しです。
2011年9月10日に松本で、
同じメンバーでのイベントが行われましたが、
そこでも意気投合!
2011/09/18 夢のスーパーコラボ5

お互いの本を読んだり、講演会を聴きに行ったりと
とても仲が良く、尊敬しあってもいるのです。
そこで、
木下先生のご紹介は、我武者羅應援團とヒダカズで行い

ヒダカズの紹介は、木下先生と我武者羅應援團がして下さいました。

木下先生の「押忍!」…なかなか見れません。
「それでは、ヒダカズ先生の好きなところを一人ずつ叫んでいきましょう」
「いいですねぇ~! そうしましょう!」

「比田井先生は、心のガソリンスタンドだぁ~!」
「そうだぁぁぁ~!!」

そして、我武者羅應援團の紹介は
もちろん、ヒダカズと木下先生です。

ヒダカズに我武者羅應援團を語らせたら5時間あっても足りないので、
(大げさな!…と思うかもしれませんが、決して大げさではありません!
多分、ヒダカズのことをよく知っている方は、大きくうなずいているはず…^_^;)
そこはなんとか5分以内に抑えてもらい、
いよいよ我武者羅應援團の登場です。
会場も盛り上がっています!

副団長の武藤正幸さんも嬉しそうです!!

裕木壱啓さんも!!!


「伊澤の部屋」でおなじみの伊澤直人さんも、全力で声を出しています。

さて、こんな写真を見ると、

…もしかしたら、我武者羅應援團を生で観たことがない人は、
「前の席には我武者羅應援團の熱烈なファンがいて
前の方だけで盛り上がっているに違いない」
…と思うかもしれませんが…
違うんですよ~!
会場一体となって盛り上がっているんですよ~!



見てください。お客様がみんなで嬉しそうに手を挙げている様子を!!
いやぁ~…壮観です!!
嬉しいです!!
続きます。
↓ 今までの記事はコチラです。
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その1
2013/10/04
いよいよ「ココロの授業講演会」その2
2013/10/05
ココロの授業講演会ありがとうございました!
2013/10/06
ココロの授業講演会ありがとうございました2
2013/10/07
「ココロの授業」は65年前から始まっていたのです…
2013/10/08
存在そのものを愛された子は自信を持つ。
2013/10/09
一人の生徒を粗末にした時、教育はその光を失う
2013/10/10
真の苦しみを知る者の笑顔は限りなく優しい

ところで、木下晴弘先生と我武者羅應援團、ヒダカズは大の仲良しです。
2011年9月10日に松本で、
同じメンバーでのイベントが行われましたが、
そこでも意気投合!
2011/09/18 夢のスーパーコラボ5

お互いの本を読んだり、講演会を聴きに行ったりと
とても仲が良く、尊敬しあってもいるのです。
そこで、
木下先生のご紹介は、我武者羅應援團とヒダカズで行い
ヒダカズの紹介は、木下先生と我武者羅應援團がして下さいました。
木下先生の「押忍!」…なかなか見れません。
「それでは、ヒダカズ先生の好きなところを一人ずつ叫んでいきましょう」
「いいですねぇ~! そうしましょう!」
「比田井先生は、心のガソリンスタンドだぁ~!」
「そうだぁぁぁ~!!」
そして、我武者羅應援團の紹介は
もちろん、ヒダカズと木下先生です。
ヒダカズに我武者羅應援團を語らせたら5時間あっても足りないので、
(大げさな!…と思うかもしれませんが、決して大げさではありません!
多分、ヒダカズのことをよく知っている方は、大きくうなずいているはず…^_^;)
そこはなんとか5分以内に抑えてもらい、
いよいよ我武者羅應援團の登場です。
会場も盛り上がっています!
副団長の武藤正幸さんも嬉しそうです!!
裕木壱啓さんも!!!
「伊澤の部屋」でおなじみの伊澤直人さんも、全力で声を出しています。
さて、こんな写真を見ると、
…もしかしたら、我武者羅應援團を生で観たことがない人は、
「前の席には我武者羅應援團の熱烈なファンがいて
前の方だけで盛り上がっているに違いない」
…と思うかもしれませんが…
違うんですよ~!
会場一体となって盛り上がっているんですよ~!
見てください。お客様がみんなで嬉しそうに手を挙げている様子を!!
いやぁ~…壮観です!!
嬉しいです!!
続きます。
Posted by 比田井美恵 at
23:59
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