2013年10月30日
「決まった」ではなく「決めた」の感覚が嬉しくて…。
さて、ヒダカズによる、長い長い伊澤さんの紹介もやっと終わり
(すでに32分経過!!)
やっと伊澤さんが話し始めました。
「伊澤の部屋」に書いてきたような、
伊澤さんの生い立ちから我武者羅應援團に入ったきっかけを
語ってくれました。
※「伊澤の部屋」バックナンバーはこちら!
●伊澤の部屋3月号-「まだやれる!」という気持ちが大事
●伊澤の部屋4月号-「決まった」ではなく「決めた」-
●伊澤の部屋5月号-ランナーは僕で、スターターも僕だ。
●伊澤の部屋6月号-ひとつのことをガムシャラにやりきった。
●伊澤の部屋7月号-僕がそう思ったから
●伊澤の部屋8月号-すべては自分の気持ち次第
●伊澤の部屋9月号-永ちゃんのように、なりあがってみせる!
伊澤の部屋10月号-父とのエール

伊澤さんは、3歳ですでにひらがながすべて読め、
近所の人たちからは「神童」と呼ばれていました。

高校では県内トップの進学校に入学し、
現役で国立大学に合格、
大手有名企業に入社し、
順風満帆の人生を送っていました。
家族仲もよく、まさに「優等生のいい子」で、
父親からすれば「自慢の息子」だったのです。
そんな伊澤さんが就職活動中に、
東京に、とある講演会を聴きに行ったところ、
同じく講演を聴きに来ていた
武藤貴宏さん(現在の我武者羅應援團 團長)と、
たまたま出会ったのです。
武藤さんは、
優しい感じの外見に似合わず、
一旦スイッチが入るとかなり熱く語るところがあり、
伊澤さんは
「アツい人だなぁ~」
「頼れるアニキだなぁ~」と思っていました。
当時の武藤さんの仕事は、アウトドアインストラクター。
伊澤さんは、大学で
ワンダーフォーゲル部に所属し、アウトドア活動をしていたため、
伊澤さんにとって「アウトドアインストラクター」は
まさにあこがれの職業でした。
「自分の好きなことを仕事にしている人」に出会い
刺激を受け、羨ましいなと思ったものの、
結局、伊澤さんは、地元静岡で
大手企業に就職をしたのでした。
会社では仕事に忙殺される日々。
それから3年ほど経って、
久々にかかってきた武藤さんからの電話によって
伊澤さんの人生が大きく変わっていったのです。
武藤さんは電話口で言いました。
「應援團、はじめました」
応援団について熱く語る武藤さん。
それに対して、伊澤さんは気づいてしまいました。
自分は3年間、一生懸命仕事をしてきたはずなのに
「自分、こんなことしたんですよ!」と
語れるものが何もないことに…。
3年間を語れるだけの言葉がなかったのです。
とりあえず、伊澤さんは
東京での応援を観に行くことになりました。
ワーッと出てきた應援團の姿を見た時のことについて
伊澤さんはこう語っていました。
----------
その時 僕、
本当に圧倒されまして、ビックリしたんですよ。
スゴイエネルギーの塊が
ぶわーっと押し寄せてきて。
応援が終わった後も呆然としていました。
それで、帰りの電車の中で考えたんですね。
今までの自分の人生を振り返った時に
あんな風に
ひとつのことに本気で打ち込んだこと、
あったのかな…? って。
思い返してみたら
明らかに「なかった」って思ってしまったんです。
今までは、中学、高校、大学、就職と、「受け身」というか、
敷かれたレールの上に載って
流されるように来ていたから、
「●●に行くことに『決まった』」っていう言い方をしていたんだけど、
帰りの電車の中で僕は、
「應援團をやる」って『決めた』んです。
これが
自分の中で初めての感覚だったんですね。
「決まった」と「決めた」…全然違うんですよ。
今までは
できる範囲の中でやろうとしていたんです。
「自分がやりたいこと」ではなくて、
「偏差値これくらいだから、この学校に行けるかな」とか、
「この企業ならいけるかな」とか…
だから、「決まった」という言い方をしていたんですね。
…で、應援團を見て
エネルギーを感じて、
もう、とにかく自分で「やる」と決めたんです。
「決まった」じゃなくて
「決めた」という感覚が
自分でもう嬉しくて。
まわりの人がどう思うかわからないけど
とにかくその時、自分では
ものすごく嬉しいなと思えたんですね。
それが最初のきっかけなんです。
それで、それからは
仕事を続けながら、
週末に静岡から東京に
高校時代の小さくなったような学ランを着て行って、
わけもわからず、頭の中も真っ白だったけど、
応援団をしていたんですね。
今までは見ている側だったのが、
自分の気持ち次第で
やる側にまわれるというのが
それがまた新鮮で
嬉しかったなぁって。
でも、静岡に住んでいたので
途中で帰らなければいけないとか、
集まっての練習に参加できないとか
そんなことが重なって、
モヤモヤしていたんです。
それで、そろそろ東京に行って
みんなと一緒に活動をしたい
という気持ちが芽生えてきて、
「そうだ、東京、行こう!」って
自分で決めたんです。
それを團長に伝えたところ、
團長が初めて驚きましたね。
そのころの我武者羅應援團は
今とは違って、
全国から応援で呼ばれることもなく、
まったく仕事になっていなかったんです。
なのに、仕事を辞めて行くって言ったんですから。
だから、「来てもそれだけのお金は出せない」ってことで、
武藤家で緊急会議が行われたようです。
でも実は、伊澤家でも大混乱が起きていまして…
今まで、週末東京で應援團をしていた時も
一切家族には話してなかったんですね。
で、
どう伝えようか考えたんですけど、
意外とサラッと言った方がいいんじゃないかと思って
家族団らんの時に、普通に言ってみたんですね。
「あの、今度、会社を辞めて、
東京で応援団やることになったから」って。
そしたら
父親が「意味がわからない」って。
私は「だから、應援團に転職するんです」
って言ったんですが
やっぱり
「意味がわからない」って。
平行線なんですね。
でもね、
自分の中では
ここまで父親に反対されても、
自分の気持ちが揺らがなかったんです。
応援団をやるってことに関して。
だから改めてそれだけやりたいんだなって
自分の気持ちを確認しました。
今まで、
これほどまでに自分で「やりたい」と思ったこともなかったんです。
だから、もう、そのまま会社を辞めて
東京に出てきてしまったんですね。
----------
(続きます)
(小諸商業高校での演舞の様子も、この平安堂でのレポが終わった後、
写真など掲載します。
楽しみにしている方、しばらくお待ちくださいね!^^)
(すでに32分経過!!)
やっと伊澤さんが話し始めました。
「伊澤の部屋」に書いてきたような、
伊澤さんの生い立ちから我武者羅應援團に入ったきっかけを
語ってくれました。
※「伊澤の部屋」バックナンバーはこちら!
●伊澤の部屋3月号-「まだやれる!」という気持ちが大事
●伊澤の部屋4月号-「決まった」ではなく「決めた」-
●伊澤の部屋5月号-ランナーは僕で、スターターも僕だ。
●伊澤の部屋6月号-ひとつのことをガムシャラにやりきった。
●伊澤の部屋7月号-僕がそう思ったから
●伊澤の部屋8月号-すべては自分の気持ち次第
●伊澤の部屋9月号-永ちゃんのように、なりあがってみせる!
伊澤の部屋10月号-父とのエール

伊澤さんは、3歳ですでにひらがながすべて読め、
近所の人たちからは「神童」と呼ばれていました。

高校では県内トップの進学校に入学し、
現役で国立大学に合格、
大手有名企業に入社し、
順風満帆の人生を送っていました。
家族仲もよく、まさに「優等生のいい子」で、
父親からすれば「自慢の息子」だったのです。
そんな伊澤さんが就職活動中に、
東京に、とある講演会を聴きに行ったところ、
同じく講演を聴きに来ていた
武藤貴宏さん(現在の我武者羅應援團 團長)と、
たまたま出会ったのです。
武藤さんは、
優しい感じの外見に似合わず、
一旦スイッチが入るとかなり熱く語るところがあり、
伊澤さんは
「アツい人だなぁ~」
「頼れるアニキだなぁ~」と思っていました。
当時の武藤さんの仕事は、アウトドアインストラクター。
伊澤さんは、大学で
ワンダーフォーゲル部に所属し、アウトドア活動をしていたため、
伊澤さんにとって「アウトドアインストラクター」は
まさにあこがれの職業でした。
「自分の好きなことを仕事にしている人」に出会い
刺激を受け、羨ましいなと思ったものの、
結局、伊澤さんは、地元静岡で
大手企業に就職をしたのでした。
会社では仕事に忙殺される日々。
それから3年ほど経って、
久々にかかってきた武藤さんからの電話によって
伊澤さんの人生が大きく変わっていったのです。
武藤さんは電話口で言いました。
「應援團、はじめました」
応援団について熱く語る武藤さん。
それに対して、伊澤さんは気づいてしまいました。
自分は3年間、一生懸命仕事をしてきたはずなのに
「自分、こんなことしたんですよ!」と
語れるものが何もないことに…。
3年間を語れるだけの言葉がなかったのです。
とりあえず、伊澤さんは
東京での応援を観に行くことになりました。
ワーッと出てきた應援團の姿を見た時のことについて
伊澤さんはこう語っていました。
----------
その時 僕、
本当に圧倒されまして、ビックリしたんですよ。
スゴイエネルギーの塊が
ぶわーっと押し寄せてきて。
応援が終わった後も呆然としていました。
それで、帰りの電車の中で考えたんですね。
今までの自分の人生を振り返った時に
あんな風に
ひとつのことに本気で打ち込んだこと、
あったのかな…? って。
思い返してみたら
明らかに「なかった」って思ってしまったんです。
今までは、中学、高校、大学、就職と、「受け身」というか、
敷かれたレールの上に載って
流されるように来ていたから、
「●●に行くことに『決まった』」っていう言い方をしていたんだけど、
帰りの電車の中で僕は、
「應援團をやる」って『決めた』んです。
これが
自分の中で初めての感覚だったんですね。
「決まった」と「決めた」…全然違うんですよ。
今までは
できる範囲の中でやろうとしていたんです。
「自分がやりたいこと」ではなくて、
「偏差値これくらいだから、この学校に行けるかな」とか、
「この企業ならいけるかな」とか…
だから、「決まった」という言い方をしていたんですね。
…で、應援團を見て
エネルギーを感じて、
もう、とにかく自分で「やる」と決めたんです。
「決まった」じゃなくて
「決めた」という感覚が
自分でもう嬉しくて。
まわりの人がどう思うかわからないけど
とにかくその時、自分では
ものすごく嬉しいなと思えたんですね。
それが最初のきっかけなんです。
それで、それからは
仕事を続けながら、
週末に静岡から東京に
高校時代の小さくなったような学ランを着て行って、
わけもわからず、頭の中も真っ白だったけど、
応援団をしていたんですね。
今までは見ている側だったのが、
自分の気持ち次第で
やる側にまわれるというのが
それがまた新鮮で
嬉しかったなぁって。
でも、静岡に住んでいたので
途中で帰らなければいけないとか、
集まっての練習に参加できないとか
そんなことが重なって、
モヤモヤしていたんです。
それで、そろそろ東京に行って
みんなと一緒に活動をしたい
という気持ちが芽生えてきて、
「そうだ、東京、行こう!」って
自分で決めたんです。
それを團長に伝えたところ、
團長が初めて驚きましたね。
そのころの我武者羅應援團は
今とは違って、
全国から応援で呼ばれることもなく、
まったく仕事になっていなかったんです。
なのに、仕事を辞めて行くって言ったんですから。
だから、「来てもそれだけのお金は出せない」ってことで、
武藤家で緊急会議が行われたようです。
でも実は、伊澤家でも大混乱が起きていまして…
今まで、週末東京で應援團をしていた時も
一切家族には話してなかったんですね。
で、
どう伝えようか考えたんですけど、
意外とサラッと言った方がいいんじゃないかと思って
家族団らんの時に、普通に言ってみたんですね。
「あの、今度、会社を辞めて、
東京で応援団やることになったから」って。
そしたら
父親が「意味がわからない」って。
私は「だから、應援團に転職するんです」
って言ったんですが
やっぱり
「意味がわからない」って。
平行線なんですね。
でもね、
自分の中では
ここまで父親に反対されても、
自分の気持ちが揺らがなかったんです。
応援団をやるってことに関して。
だから改めてそれだけやりたいんだなって
自分の気持ちを確認しました。
今まで、
これほどまでに自分で「やりたい」と思ったこともなかったんです。
だから、もう、そのまま会社を辞めて
東京に出てきてしまったんですね。
----------
(続きます)
(小諸商業高校での演舞の様子も、この平安堂でのレポが終わった後、
写真など掲載します。
楽しみにしている方、しばらくお待ちくださいね!^^)
Posted by 比田井美恵 at 23:06│Comments(0)
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