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2014年12月10日

台湾に学ぶ「日本精神」5 【私は20歳まで日本人だった】

↓ 今までの記事はコチラ
2014/12/06 台湾に学ぶ「日本精神」1【感動のWBC日台戦 謝謝台湾】
2014/12/07 台湾に学ぶ「日本精神」2【僕の祖父は日本語で話したがる…】
2014/12/08 台湾に学ぶ「日本精神」3 【教育の聖地、芝山巌】
2014/12/08 台湾に学ぶ「日本精神」4 【六士先生…6人のサムライ】

さて、その日の夜、
夕食会場で、白駒妃登美さんのお話をお聴きすることができました。

妃登美さんは、今年の4月に
中村文昭さんや‎李 久惟(ジョー・リー)さんと一緒に
台湾に行った時の話をして下さいました。

そのツアーがひと段落して
自由時間の時に、
妃登美さんは台湾のおじいさんおばあさんたちと
お話をする機会がありました。

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台湾に学ぶ「日本精神」5 【私は20歳まで日本人だった】

ツアーの自由時間に、
90歳のおばあさんが話しかけてきたんです。
台湾では、日本人を見ると
話しかけてくるおじいさん、おばあさんが多いんです。

彼女たちにとって、
日本語は母国語なんですね。

生まれた時から周りの人たちは日本語を話していて、
学校でも日本語を教わっていて。

だから、彼らは日本語を話したくて仕方なくて
日本人を見ると話しかけてくるんです。

で、私、おばあさんに
「『日本統治時代』の話を聴かせてください」って聞いたら、

おばあさんは、
「『日本時代』の話でしょ」って
言い直したんです。

「日本統治時代」と言うと、
台湾は日本の植民地だったという
上下の関係があるように感じるのですが

彼女たちにとって
あの時代は決して上下関係があったわけではなくて
台湾も日本だった、
日本の領土が少し広くなって
この台湾も日本の領土だった
という感覚なんです。

それで、そのおばあちゃんは、
大正生まれなんですけど、
「私は、大正、昭和、平成と
 3代の天皇にお仕えしています」って言ったりするんです。

そして、

 「私には4人の子供がいるんだけど、

  長男が公務員で
  次男が大学教授で農業のスペシャリスト、
  三男が銀行、
  四男がエンジニアをしているから

  4人で士農工商を極めたのよ」

なんておっしゃるんです。

で、私はびっくりして

「おばあちゃん、どうやって子育てをしたら
 そんな風になるんですか」

って聞いたら、
いきなりおばあちゃんが
「教育勅語」を言い始めたんですよ。

そして、
「子供はこの通りに育てたらいいのよ」って。

で、私もよくよく教育勅語の中身を調べたら、
こんなにいいことを言っていたんだ!って
感動したんです。

で、おばあちゃんに
「この教育勅語のどこが素晴らしいかわかる?」
って聞かれました。

私はよくわからなかったんですが、
おばあちゃんはこう言ったんです。

「古今東西のリーダーはみんな
 『●●しなさい』って言うでしょ。

 でもね、
 明治天皇は違うのよ。

 『●●しなさい』じゃなくて

 『ともに●●しましょう。
  ともに、こういう生き方をしましょう。
  まずは私がやります』

 っていう意思が読み取れるのよ」

って。

台湾に来て教育勅語を教えてもらえるなんて
思ってもみませんでした。

私はおばあちゃんに終戦の時のことを聞いたんです。
どう思いましたかって。

そしたら、おばあちゃんは
こんな風に話してくれたんです。

「戦後、日本人が引き上げた時、
 もう涙が止まりませんでした。

 まるで、親に捨てられた子供のように
 『日本人に捨てられた』と思って
 ただただ悲しかった。

 でもその後
 何年もしてからやっとわかった。
 これが戦争で負けるってことなんだって。

 日本のことを恨んだりしていないし、
 日本の選択も当然のことだったと思う。

 でもね、
 ただわかってほしいのは、

 台湾の人たちが
 日本に対して
 こういう思いを持っているってことを
 忘れないでほしい」って。

そして、このおばあちゃんとの話を終えて
私が行かなければならなくなった時、
最後におばあちゃんとハグをして
お別れしたんです。

「本当にありがとうございました。
 私、また台湾に来ますから
 その時までお元気でいてくださいね」って。

そしたらおばあちゃん、こう言ったんですよ。

「まぁまぁ、つまらない話を聴かせてしまって
 ごめんなさいね」って。

私、この言葉を聴いて
「このおばあちゃんは真の日本人だ」って思ったんです。

日本人って
人に何かものをプレゼントした時にも
わざとへりくだって
「つまらないものですが」って言いますよね。

それと同じなんですよ。

おばあちゃんは
「私は20歳まで日本人だった」って言ってました。

台湾のおばあちゃんから
日本の心を教えてもらいましたね。

ところで、
世界の英雄たちっていうのは
結構、不老不死の薬を求めるんです。
永遠の命を欲しがるんですね。

でもね、
日本人は違うんです。
日本の歴史を調べてみると、
私が見る限りは
そんな薬を求めている人は見当たらないんですね。

日本人は、

「自分はいずれ死ぬ。
 でも、自分の思いを継いでくれる人がいれば
 自分の命は永遠になる」

って考えて
自分の思いを
次の世代に伝えて、
託していくんですよね。


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妃登美さんのお話をお聴きしながら
こみ上げてくるものがありました。

台湾の方たちがこんなに日本を大事に思ってくれている
今でも愛してくれている…
本当にありがたいことです。

妃登美さんは後日、改めてこんな風におっしゃっていました。

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おばあちゃんが

 「日本人を恨んでなんかいない。
  日本人の選択は現実的なもので、
  当然のことだと思っている」

とおっしゃったのは、
私が

 「日中国交正常化により、
  結果的に日本は台湾を捨て、中国を選びました。
  このことに対して台湾の方々はどう思っていらっしゃるのですか?」

と尋ねた際の答えなんです。

戦後、お互いが別々の道を歩まざるを得なかったことを受け入れ、
今なお感謝してくれている台湾の人々の思い、
私たちは決して忘れてはいけないと思います!

----------

妃登美さんのアツい思いが伝わってきます。
そして、本当にその通りです。

戦後、70年近くにもなるのですが、
その間、
台湾の方々は
ずっとずっと
この思いを持ち続けてくださっているのです。

その感謝の気持ちが
東日本大震災での義援金にもあらわれているのですね…。
涙が出てきます…。

自分がいかに勉強不足だったか…
いかに知らなかったか…。
でもこれからたくさん勉強して
たくさんお話をお聴きして
また少しずつ、読者の皆さんにお伝えすることができたら…と思います。


片倉さんや妃登美さんのお話…
学ぶことばかり、
感動することばかりで
あっという間の一日でした。
台湾に学ぶ「日本精神」5 【私は20歳まで日本人だった】

(続きます)

↓こちらもよろしくお願いします。(*^o^*)
ウエジョビ校長 美恵ちゃん先生が今日も行く
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Posted by 比田井美恵 at 23:23│Comments(0)
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