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2020年06月13日

見事な人生

2020.6.6に配信された比田井通信よりお届けします。

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比田井通信-私は幸せです!-第660号
(2020.6.6発行)

ウエジョビ創業者の佐藤勲先生と初めて会ったのは
26年前の1994年12月・・・だったと思います。
見事な人生


当時、私は大学を卒業して
地元の会社に就職をして9ヶ月。

突然、「税理士になる!」と決めまして、
高校の担任の先生に相談したところ、

「今度、上田に税理士コースができる専門学校ある」

と教えてもらい、話を聞きに行ったのが
今のウエジョビです。

当時、69歳の佐藤先生が
いろいろと話をしてくれました。

まさか、そのとき、
「この人が義理の父になる」
とは思ってもいませんでした。
見事な人生

一旦は税理士コースの学生として
入学をすることが決まった1ヶ月後、

まだ、前の会社を辞める前、
仕事中、突然、佐藤先生から会社に電話がかかってきて、

「うちの公務員コースで先生をしながら、
 税理士の勉強をしてみたらどうだ。
 比田井さんは理系だから、
 数学とか理科とか教えながら、
 空いている時間は税理士の勉強を
 してもらって構わないから・・・」

と言うんです。

前の職場に、仕事中に、
そんな電話がかかってきて
驚いたんですが、

「凄い人だなぁ~」

とそんな印象でした。

結局、「お願いします」ということになり。
1995年3月にウエジョビ職員となりました。

私が任された「公務員コース(現在の公務員科)」は
できてまだ2年目のコースで1クラス。

それまで、情報処理や経理関係のコースしかなく、
前任の公務員コースの先生が退職をされたので、
公務員コースのことを知っている先生が
誰もいなかったことあり、
分からないことがあると、
いつも、佐藤先生に聞いていました。

ウエジョビに入って1週間もたたない頃、
佐藤先生と2号館の印刷室の中で
いろいろ話をしていたとき、

「ここに、プリントや模試を入れておくための
 トレーがたくさんある棚があったら
 便利なんですけどねぇ」

と私が軽い気持ちで言ったら、
数日後にその棚が届いて、

「比田井先生が言っていた棚、
 届いたから、使って!」

って言って佐藤先生が言うんです。

私、驚いたんです。

「棚が必要なので、
 買ってください」

って言ったんじゃないんです。

「あったら便利ですねぇ」って
軽い気持ちで言っただけなんです。

でも、その私の言葉で
佐藤先生、多分、その日のうちに
業者さんに電話してくれたんです。

前の会社で
新入社員の私が言った言葉で
会社が動くなんてことは
ありえないことです。

でも、佐藤先生は
すぐに動いてくれたんです。

あれは、驚きましたし、

嬉しかったです。

今思えば、あれから、
ずぅ~っと私は
佐藤先生に喜んでほしくて、
佐藤先生を喜ばせたくて、
頑張ってこれたのかもしれません。

公務員試験に一人でも多くの学生が
合格したら、佐藤先生が喜んでくれたんです。

広報の仕事をするようになり、
学生が増えたら佐藤先生が喜んでくれたんです。

ただ、佐藤先生は語らないんです。
余計なことはしゃべりません。
ですから、言葉に出して、直接、
褒めてもらうことはほとんどなかったです。

でも、観てたらわかるじゃないですか。

「あぁ、喜んでいるなぁ」って。

それが嬉しかったんです。

だから、また頑張れました。


今思えば、
私がお願いしたこと。
私が欲しいと言ったもの。
私が行きたいと言ったところ。
私がやりたいと言ったこと。

全部、きいてくれました。
全部、買ってくれました。
全部、行かせてくれました。
全部、やらせてくれました。

一度も、「ダメだ」って言ったことはありませんでした。

その中でも、嬉しかったのは
2003年9月だったと思います。

その後、私の「心の友」となる
当時、船井総研の石田敦志さんから
「高等教育機関向けセミナー」の
ダイレクトメールが届きました。
見事な人生

後に私の「人生の師匠」となる
佐藤芳直さんのセミナーです。
見事な人生


決して安くない料金でした。

でも、石田さんが送ってくれたDMを
読めば読むほど、これは行かなくてはいけないと
思い、佐藤先生に「行かせてください」と
お願いしました。

嬉しかったのは

「いいよ」という許可ではなく、

「俺も一緒に行く!」という共感でした。

今思えば、
あのとき、私一人で行くのと、
佐藤先生が一緒に行ってくれたのでは、
その後のウエジョビは全然違っていたと思うんです。

佐藤先生が一緒に行ってくれたから、
一緒に芳直さんのお話を聴いてくれたから、
今のウエジョビがあるのだと思います。

その半年後には
木下晴弘師匠の講演会にも
一緒に行ってくださいました。

見事な人生


あの時も一緒に行ってくださったおかげで、
その数ヶ月後に、木下師匠をウエジョビに招いて
先生たちにお話をしてもらうことができました。
見事な人生

さらにその1ヶ月後、
芳直さんの「松陰セミナー」にも
佐藤先生は一緒に行ってくれました。

全部、一緒に行ってくださったんです。

さっきも書きましたが、
佐藤先生は多くを語りません。

芳直さんのお話が良かったのかどうか、
木下さんのお話が良かったのかどうか、
語らないんです。

でも、観てればわかります。

翌年の入学式、
佐藤芳直さんを招いて特別講演会を
してくださいました。


これは、私がお願いして
やったものではありません。

佐藤先生が
「入学式で呼んだらいいじゃないか・・・」
って言ってくれたんです。

「えぇ~、そんなことが
 できるんですかぁ~!」

と有頂天になったのを覚えています。


私が

「就職対策授業をさせてほしい」

と言った時にも、

「どんな授業なんだ?」
「何を話すんだ?」
「どんな効果があるんだ?」

そんなこと、一言も聞かずに

「わかった」と一言、
言ってくれました。

その私の「就職対策授業」を美恵先生がメルマガで発行し、
そのメルマガの評判がちょっと良かったのをいいことに

「その内容を冊子にして配りたい」と
美恵先生が言った時には、

「いい」「わるい」もなく、

「何冊、作ればいいんだ?」と言い、

美恵先生がちょっと考えて

「500冊ぐらい・・・でしょうか・・・」

というと、その場で、
印刷会社に電話をして、

「冊子、2500冊の見積もりお願い!」

って言うんです。

結局、その後、増刷を重ねて
1年ちょっとの間に
1万7千5百冊を
日本中、いや、世界中の人に
配ってくれたんです。

送料もすべて無料です。
総額で言うと7、8百万円は
かかっていたんじゃないでしょうか。
見事な人生
見事な人生


その頃、実は
ウエジョビは学生数が減っていて
大変な時だったんです。

余計なお金なんてなかったんです。

それでも、佐藤先生は

「喜んでもらえるなら無料で配れ」と言って、
配り続けてくれました。

その冊子を手にした
ごま書房新社の大熊さんが

「この冊子を当社で本にして、
 出版させてください。
 当社を代表する本に育て上げます!」

と言ってくれて
「私が一番受けたいココロの授業」が生まれました。

その「ココロの授業」が出版されたとき、
無料で配っていた冊子を読んで下さった方々が
アマゾンや書店で、買いまくってくれたんです。

その結果、無名の私の本が、
ベストセラーと呼ばれるまでになりました。
見事な人生

こんな奇跡のような出来事が起きたのは、
ぜぇ~んぶ、佐藤勲先生のおかげなんです。


私の人生を、
ホントに幸せな人生にしてくれたのは
佐藤先生なんです。




その佐藤勲先生が
5月28日、95歳、
老衰でその人生を終えました。


大往生です。

見事な人生
見事な人生

その3日後の5月31日、
奥様の佐藤昌子先生が
亡くなりました。
見事な人生


この日は佐藤先生の
葬儀の日です。


これは不幸が重なったのではなく、
私から言わせれば、

「見事な旅立ち」です。

昌子先生は、昭和35年に結婚して以来、
49年間、佐藤先生と一緒に
ウエジョビを創り上げてきました。
見事な人生


↓ウエジョビの前身となる「上田速算学校」です。
見事な人生

見事な人生
見事な人生



11年前に昌子先生が
ウエジョビを退職し、
見事な人生
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介護施設に入っていました。
佐藤先生は、毎日欠かさず
昌子先生に会いに行っていました。

見事な人生
見事な人生
見事な人生


その後も佐藤先生は現役で、
ここ数年間はウエジョビの受付の一番奥の席で
我々を見守って下さっていました。

今年3月に入ってコロナの影響もあり、
自宅で過ごしていました。

4月に体調をちょっと崩されて
大事をとって入院。

5月中旬に退院されるのですが、
あのお歳で1ヶ月も入院をすると、
ずっと寝ているだけなので、
今までできていたことが
できなくなってしまい、
介護施設をさがしていたところ、

奇跡的に夫婦で入ることができる
介護施設に一部屋だけ空きがでて、
一緒のお部屋で寝起きができるようになったんです。

11年ぶりに一緒に過ごすことができたんです。

きっと、安心したんでしょう。

その2週間後に佐藤先生が逝き、
5/31の葬儀の日に昌子先生が
後を追って・・・

違いますね。

「後を追って」ではありません。

「一緒に」逝かれたんです。

私は生前、佐藤先生と昌子先生の
やりとりを近くでずぅ~っと見てました。

佐藤先生はホントにせっかちなんです。
ただ、これが佐藤先生の真骨頂なんです。
物凄い行動力なんです。

決めたら、ホントに行動が早いです。

まぁ、別の言い方をすると
「おそろしくせっかち」ってことです。

だから、
後から昌子先生のところに来て、
自分は先に逝ってしまい、

でも、仲の良かったご夫婦です。
一人で逝くには寂しかったんでしょう。

「おい、昌子、
 いつまでグズグズしてるんだ。
 もう、いくぞ」

って言って、
その佐藤先生に

「はいはい、あいかわらず、
 せっかちなんだから(笑)
 いま、いきますよ」

って言っているのが
もぉ、眼に浮かぶんです。

なんて、お見事なんでしょうか。

葬儀場の方に聞いたんです。

「こんなことって、あるんですか?」って、

その方、

「もう12年働いていますが、
 こんなことは初めてです。
 よっぽど、仲がよろしかったんですね」

って言ってくださいました。

その昌子先生の葬儀も
一昨日、終わりました。

佐藤先生の葬儀も
昌子先生の葬儀も、
たくさんの方が弔問に来てくださいました。

こんな時期ですから、
県外の方からの弔問はご
遠慮くださいという形でしたが、
それでも、

「お二人に本当にお世話になりました」

という方がホントたくさん来てくださったんです。

人生の最期に、
その人がどんな生き方をしてきたかが
ホントに良くわかります。

佐藤先生、昌子先生、
やりきったんです。

その人生をやり切って、
清々しい顔で逝きました。
素晴らしい人生でした。

そんな姿を近くで観せて頂けて
私は幸せです。

佐藤先生、昌子先生、
ありがとうございました。
見事な人生
見事な人生


■■FM長野「ヒダカズのココロの授業」■■■

2020.4.15放送
「日常は準備の時。非常時は学びの時」。私の人生の師匠、佐藤芳直さんの言葉です。
こんなときだからこそ、沁みる言葉です。


ラジオのバックナンバーはコチラ↓
見事な人生


Posted by 比田井美恵 at 20:45│Comments(2)
この記事へのコメント
大好きな映画『きみに読む物語』のようなお二人の人生。理想の生き方です。
拍手でお見送りしたい気持ちでいっぱいです。
Posted by くんびん at 2020年06月13日 21:54
くんびんさん
ありがとうございます!
まさに、二人の第三の人生がスタートしたと思えるような最期でした。
拍手のお見送りありがとうございます。
Posted by 比田井美恵比田井美恵 at 2020年06月17日 09:18
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