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2015年01月22日

台湾に学ぶ「日本精神」10 【70年経っても慕われている杉浦さん】

ずいぶんと間が空いてしまいましたが、
連載途中になっていました
「白駒妃登美さんと行く台湾ツアー」レポートの続きです。

↓ 今までの記事はコチラ
2014/12/06 台湾に学ぶ「日本精神」1【感動のWBC日台戦 謝謝台湾】
2014/12/07 台湾に学ぶ「日本精神」2【僕の祖父は日本語で話したがる…】
2014/12/08 台湾に学ぶ「日本精神」3 【教育の聖地、芝山巌】
2014/12/09 台湾に学ぶ「日本精神」4 【六士先生…6人のサムライ】
2014/12/10 台湾に学ぶ「日本精神」5 【私は20歳まで日本人だった】
2014/12/11 台湾に学ぶ「日本精神」6 【古き良き日本の教育の根幹】
2014/12/12 台湾に学ぶ「日本精神」7 【東洋一のダムを作った日本人】
2014/12/13 台湾に学ぶ「日本精神」8 【八田さんの視線の先には…】
2014/12/14 台湾に学ぶ「日本精神」9 【八田さんの功績は「ダム」ではなく…】

さて、もう一つ訪れた場所で印象的だったのが
「鎮安堂 飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)」。
台湾に学ぶ「日本精神」10 【70年経っても慕われている杉浦さん】
台湾に学ぶ「日本精神」10 【70年経っても慕われている杉浦さん】

正面には日本語で大きく
「歓迎 日本国の皆々様 ようこそ参詣にいらっしゃいました」
と書かれています。
台湾に学ぶ「日本精神」10 【70年経っても慕われている杉浦さん】

ここには、日本の杉浦茂峰少尉が祀られています。
台湾に学ぶ「日本精神」10 【70年経っても慕われている杉浦さん】

杉浦少尉は日本海軍のゼロ戦パイロット。

太平洋戦争での出来事です。

1944年10月12日。
台南市の上空に米軍が飛来し、
日本のゼロ戦との空中戦が繰り広げられていました。

杉浦少尉も、果敢に敵機を攻撃していましたが、
尾翼に敵弾を受けてしまい、機体は急降下。

「今、脱出すれば、命は助かるかもしれない!」
というタイミングで、
ふと地面を見たところ、
眼下に迫るのは台南市の家々。

「今、脱出すれば自分は助かるかもしれない。
 でも、ここに墜落したら、何百戸という家屋は焼かれるだろう。
 竹や木と土で作られた家屋は、一旦火が付くとすぐに燃えてしまうだろう。
 たくさんの台南市民が犠牲になるに違いない!
 そんなことをするわけにはいかない!」

そう考えた杉浦少尉は、
必死で機首を上げ、上昇姿勢を取ろうと立て直します。
台湾に学ぶ「日本精神」10 【70年経っても慕われている杉浦さん】

機体は煙を上げ、フラフラになっていましたが、
杉浦少尉はなんとか民家がない場所を探し
畑と養殖池ばかりのところまで操縦し続け、
空中爆発直前にパラシュートで脱出したのです。

残念ながら、杉浦少尉のパラシュートは米軍機の銃弾に遭い、
畑の中に落ちて戦死してしまいましたが、
機体は無事に畑に墜落。
家屋に被害が及ぶことはありませんでした。

台南の部落の人々は、杉浦少尉のゼロ戦を見ていたそうです。

街に墜落してはいけないと、
必死に方向を変え、なんとか被害の少ない場所に
墜落して行った杉浦少尉のゼロ戦を。

台南の人たちは
わが身を捨てても
公(おおやけ)を守ろうとした
杉浦少尉の心に感激します。
これこそまさに「日本精神」です。

そこで、
自分の命を捨ててまで
街を救ってくれた杉浦少尉に感謝の気持ちを込めて、
小さな祠(ほこら)を立てました。

それが後にこのように大きな「飛虎将軍廟」として再建されました。
杉浦少尉がなくなって70年経った今でも、
現地の台湾の方々ばかりでなく、
日本からも多くの参拝者が訪れているのです。
台湾に学ぶ「日本精神」10 【70年経っても慕われている杉浦さん】

続きます。



Posted by 比田井美恵 at 23:59│Comments(0)
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