2012年06月06日
またしても我武者羅な3日間-1
5/31(木)、長野市でシガ美容室さん主催で
佐藤芳直さんの講演会が行われました。
私ももちろん行きました!
芳直さんのお話は何度聴いても本当にいいんです!
芳直さんは「什の掟(じゅうのおきて)」について
お話してくださいました。
「什の掟」は、会津藩の男の子たちの決まりです。
会津藩では、十歳になると日新館(藩の学校)に入学することになっていました。
入学前からしっかりとした生徒になろうと、6歳から9歳の男の子たちは、
子供たちだけの集まりをつくり、その中での約束事を作ったのです。
最後に「ならぬことはならぬものです」でくくられています。
什の掟の中で、特に私は
三つ目の「虚言をいふことはなりませぬ」が心に刺さりました。
芳直さんはこうおっしゃっていました。
----------
「虚言をいふことはなりませぬ」は、
「嘘をつくことはなりません」という意味なのですが、
何も人に嘘をつくとか、人との約束を破る
ということだけではないのです。
大切なことは
自分に嘘をつかないか、自分との約束を守れるか
なのです。
自分に嘘をつかない…つまり、
自分で決めたことを、
しっかりやり抜くことができるかどうかが
大事なのです。
------
…芳直さんの言葉は、
とてもこたえました。
自分で決めたことが続かなかったり、
中途半端で終わらせてしまったり…
そんな、今の私に
喝を入れるために芳直さんが話してくださったのだと思います。
ありがたいことです。
また、入学式の時のお話してくださった
春の高校野球、宮城県石巻工業高校の話もしてくださいました。
(↓詳しくはこちらに書いてあります。
169-「敬意」ほど遠くに届くものはない)
石巻工業高校の主将、阿部翔人君の宣誓を聴いて
またしても涙してしまいました。
ちょうど、今月号の「致知」に、
石巻工業高校の野球部監督 松本嘉次先生の話が
掲載されていました。
----------
宣誓。
東日本大震災から一年、日本は復興の真っ最中です。
被災をされた方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、
今も、当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、
悲しみに暮れている方がたくさんいます。
人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは
苦しくてつらいことです。
しかし、日本が一つになり、
その苦難を乗り越えることができれば、
その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。
だからこそ、日本中に届けましょう。
感動、勇気、そして笑顔を。
見せましょう、日本の底力、絆を…
(月刊誌「致知」2012.7月号
致知随想 「石巻から甲子園へ届けた思い」 松本嘉次氏
より 引用)
----------
致知に掲載されていた松本先生のお話です。
----------
松本先生は、3年前、石巻工業高校の監督に就任した時から、
いつも
「当たり前が当たり前と思うな。
人が嫌がることを進んでできる人間になれ」と
言い続けてきたそうです。
3.11の大震災…
選手の七割は自宅に被害を受け、
親族を亡くした者もいました。
すぐにみな周囲の人の救助にあたり、
昼夜を問わず復旧作業にあたります。
そんな中、松本先生は
子どもがいつまでも避難所にいたままでは、
親たちも動きがとりづらい、
子どもの生活リズムをつくってあげれば
大人の生活も元通りになるだろうと
あの言葉を思いつきます。
「あきらめない街、石巻!!
その力におれたちはなる!!」
被災後間もない3月22日には選手を集め、
みんなで1日も休むことなく、
瓦礫やヘドロの片付けに当たります。
被災後、石巻地区でグラウンドの掃除を始めたのは
石巻工業が最初で、
練習再開に踏み切ったのも一番だったそうです。
こんな状態の中で本当に野球をしてよいのか
とも思った松本先生でしたが、
保護者の方からも
「先生、早く野球をやってけろ。
子供たちの野球を見るのが
一番の楽しみだったから」
と声をかけていただき、練習を再開させたのです。
たくさんの方々のお世話になり練習を続けた結果、
二十一世紀枠で初のセンバツ甲子園出場を果たした石巻工業高校。
阿部翔人君が行った選手宣誓は、
部員たちがこの1年間のいろいろな思いを白板に書き込み、
その言葉をまとめて作り上げたものだったのです。
みんなで作り上げた宣誓…
松本先生は最後に清書した時、
様々な思いが去来し、思わず目頭が熱くなったそうです。
(月刊誌「致知」2012.7月号
致知随想 「石巻から甲子園へ届けた思い」 松本嘉次氏
より 引用・要約)
----------
あの宣誓は
選手みんなで考えたものだったんですね。
辛い思いをし、
悲しみをこらえ、
その上で野球ができる幸せをかみしめつつ、
自分たちが、石巻町のために…日本のために何ができるのかと
考え抜いた結果だったんですね。
だから、あんなに胸に響いたんですね…。
改めて感動しました。
さて、会場がすすり泣きに包まれながら
芳直さんのお話が終わり、
特別ゲストとして我武者羅應援團が登場しました。
シガ美容室さんでは、2年前に我武者羅應援團を呼んでいます。
そんなご縁もあって、
今回の特別出演が実現したのです。
団長の武藤さんは、芳直さんへの思いを語り始めました。
芳直さんはライフワークとして
毎年アラスカに行き、テント生活を送りながら
野生の熊の写真を撮り続けています。
武藤さんも、大学時代に
アウトドアインストラクターになるために、
アメリカで過酷なサバイバル生活を続けていました。
そんな2人の共通点もあり
武藤さんのお話は深く芳直さんの心に響いたようです。
普段とは違う
武藤さんのお話が聴けてこちらもまた感動的でした。
その後、応援があり…
演舞後、芳直さんへの応援もあり…
その後、芳直さんが少しお話してくださいました。
芳直さんの講演、
我武者羅應援團の演舞、
そして芳直さんのまとめ…
まさに「1+1=2」ではない
相乗効果を体感しました。
胸にこみ上げてくるものを抑えることができませんでした。
イベント終了後には
芳直さんのサイン会、
我武者羅應援團の「あなたを応援コーナー」には
たくさんの方が列を作っていました。
我武者羅應援團の演舞は
わずか20分弱でしたが、
それでもやはりたくさんの人の心に響いたようですね。
やっぱり本気の思いは伝わるのですね。
芳直さんの新刊、もちろん私も買いました。
芳直さんが講演でお話してくださることも載っていて、
むさぼり読んでしまいました。
これからのリーダーに贈る船井幸雄の言葉(著:佐藤芳直 中経出版)
こんなに素晴らしいイベントを企画してくださったシガ美容室さん、
本当にありがとうございました!!(^-^*)
我武者羅な3日間の1日目が終わりました。
(続きます)
佐藤芳直さんの講演会が行われました。
私ももちろん行きました!
芳直さんのお話は何度聴いても本当にいいんです!
芳直さんは「什の掟(じゅうのおきて)」について
お話してくださいました。
「什の掟」は、会津藩の男の子たちの決まりです。
会津藩では、十歳になると日新館(藩の学校)に入学することになっていました。
入学前からしっかりとした生徒になろうと、6歳から9歳の男の子たちは、
子供たちだけの集まりをつくり、その中での約束事を作ったのです。
最後に「ならぬことはならぬものです」でくくられています。
什の掟の中で、特に私は
三つ目の「虚言をいふことはなりませぬ」が心に刺さりました。
芳直さんはこうおっしゃっていました。
----------
「虚言をいふことはなりませぬ」は、
「嘘をつくことはなりません」という意味なのですが、
何も人に嘘をつくとか、人との約束を破る
ということだけではないのです。
大切なことは
自分に嘘をつかないか、自分との約束を守れるか
なのです。
自分に嘘をつかない…つまり、
自分で決めたことを、
しっかりやり抜くことができるかどうかが
大事なのです。
------
…芳直さんの言葉は、
とてもこたえました。
自分で決めたことが続かなかったり、
中途半端で終わらせてしまったり…
そんな、今の私に
喝を入れるために芳直さんが話してくださったのだと思います。
ありがたいことです。
また、入学式の時のお話してくださった
春の高校野球、宮城県石巻工業高校の話もしてくださいました。
(↓詳しくはこちらに書いてあります。
169-「敬意」ほど遠くに届くものはない)
石巻工業高校の主将、阿部翔人君の宣誓を聴いて
またしても涙してしまいました。
ちょうど、今月号の「致知」に、
石巻工業高校の野球部監督 松本嘉次先生の話が
掲載されていました。
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宣誓。
東日本大震災から一年、日本は復興の真っ最中です。
被災をされた方々の中には、苦しくて心の整理がつかず、
今も、当時のことや、亡くなられた方を忘れられず、
悲しみに暮れている方がたくさんいます。
人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは
苦しくてつらいことです。
しかし、日本が一つになり、
その苦難を乗り越えることができれば、
その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。
だからこそ、日本中に届けましょう。
感動、勇気、そして笑顔を。
見せましょう、日本の底力、絆を…
(月刊誌「致知」2012.7月号
致知随想 「石巻から甲子園へ届けた思い」 松本嘉次氏
より 引用)
----------
致知に掲載されていた松本先生のお話です。
----------
松本先生は、3年前、石巻工業高校の監督に就任した時から、
いつも
「当たり前が当たり前と思うな。
人が嫌がることを進んでできる人間になれ」と
言い続けてきたそうです。
3.11の大震災…
選手の七割は自宅に被害を受け、
親族を亡くした者もいました。
すぐにみな周囲の人の救助にあたり、
昼夜を問わず復旧作業にあたります。
そんな中、松本先生は
子どもがいつまでも避難所にいたままでは、
親たちも動きがとりづらい、
子どもの生活リズムをつくってあげれば
大人の生活も元通りになるだろうと
あの言葉を思いつきます。
「あきらめない街、石巻!!
その力におれたちはなる!!」
被災後間もない3月22日には選手を集め、
みんなで1日も休むことなく、
瓦礫やヘドロの片付けに当たります。
被災後、石巻地区でグラウンドの掃除を始めたのは
石巻工業が最初で、
練習再開に踏み切ったのも一番だったそうです。
こんな状態の中で本当に野球をしてよいのか
とも思った松本先生でしたが、
保護者の方からも
「先生、早く野球をやってけろ。
子供たちの野球を見るのが
一番の楽しみだったから」
と声をかけていただき、練習を再開させたのです。
たくさんの方々のお世話になり練習を続けた結果、
二十一世紀枠で初のセンバツ甲子園出場を果たした石巻工業高校。
阿部翔人君が行った選手宣誓は、
部員たちがこの1年間のいろいろな思いを白板に書き込み、
その言葉をまとめて作り上げたものだったのです。
みんなで作り上げた宣誓…
松本先生は最後に清書した時、
様々な思いが去来し、思わず目頭が熱くなったそうです。
(月刊誌「致知」2012.7月号
致知随想 「石巻から甲子園へ届けた思い」 松本嘉次氏
より 引用・要約)
----------
あの宣誓は
選手みんなで考えたものだったんですね。
辛い思いをし、
悲しみをこらえ、
その上で野球ができる幸せをかみしめつつ、
自分たちが、石巻町のために…日本のために何ができるのかと
考え抜いた結果だったんですね。
だから、あんなに胸に響いたんですね…。
改めて感動しました。
さて、会場がすすり泣きに包まれながら
芳直さんのお話が終わり、
特別ゲストとして我武者羅應援團が登場しました。
シガ美容室さんでは、2年前に我武者羅應援團を呼んでいます。
そんなご縁もあって、
今回の特別出演が実現したのです。
団長の武藤さんは、芳直さんへの思いを語り始めました。
芳直さんはライフワークとして
毎年アラスカに行き、テント生活を送りながら
野生の熊の写真を撮り続けています。
武藤さんも、大学時代に
アウトドアインストラクターになるために、
アメリカで過酷なサバイバル生活を続けていました。
そんな2人の共通点もあり
武藤さんのお話は深く芳直さんの心に響いたようです。
普段とは違う
武藤さんのお話が聴けてこちらもまた感動的でした。
その後、応援があり…
演舞後、芳直さんへの応援もあり…
その後、芳直さんが少しお話してくださいました。
芳直さんの講演、
我武者羅應援團の演舞、
そして芳直さんのまとめ…
まさに「1+1=2」ではない
相乗効果を体感しました。
胸にこみ上げてくるものを抑えることができませんでした。
イベント終了後には
芳直さんのサイン会、
我武者羅應援團の「あなたを応援コーナー」には
たくさんの方が列を作っていました。
我武者羅應援團の演舞は
わずか20分弱でしたが、
それでもやはりたくさんの人の心に響いたようですね。
やっぱり本気の思いは伝わるのですね。
芳直さんの新刊、もちろん私も買いました。
芳直さんが講演でお話してくださることも載っていて、
むさぼり読んでしまいました。
これからのリーダーに贈る船井幸雄の言葉(著:佐藤芳直 中経出版)
こんなに素晴らしいイベントを企画してくださったシガ美容室さん、
本当にありがとうございました!!(^-^*)
我武者羅な3日間の1日目が終わりました。
(続きます)
Posted by 比田井美恵 at 15:38│Comments(0)
│我武者羅應援團
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