2014年09月05日
「ココロの授業講演会」ありがとうございました! 2
いよいよココロの授業開演です。
私も少しだけご挨拶させていただき…

ヒダカズの講演会が始まりました。
演台に、赤い布がかかったものがあります。
気になりますよね。

さて、これはなんでしょうか??
ヒダカズが興奮気味に除幕しました。
ジャーン!
「ヒダカズ君」です!

ヒダカズのぬいぐるみです!
ヒダカズ、相当嬉しそうにはしゃいでいます。
原画は、ウエジョビ受付の平野先生。
制作は
ぬいぐるみ制作専門店のGSクラフトさんです。
GSクラフトの社長の山田さんが
岡山でのヒダカズの講演を聴いてファンになり、
作ってくださったのです。
似てますよね!
ありがたいことです。

さて、ヒダカズの本日のテーマは
「誰も知らないウエジョビの歴史」です。
ウエジョビのキャッチコピーは、
「すべては学生のために。」です。
ウエジョビのプロモーションビデオの中でも
ヒダカズが
「資格を取ってほしいんじゃない!
就職をしてほしいんじゃない!
幸せになってほしいんだ!!」
と言っています。
そうなんです。
ウエジョビは、学生に本当に幸せになってほしいと
本気で思っているのです。
ヒダカズは、「幸せ」について考えるために
「逆に、この世の中の不幸ってなんでしょう?」
と問いかけました。
----------
お金がない、
食べ物がない、
住むところがないetc…
でも、そんなことをはるかに超える不幸があると
マザーテレサさんは言っています。
マザーテレサさんの言葉です。
「この世の中の最悪の不幸は
誰からも必要とされなくなること」
私は、この言葉を聴いたときに、
その通りだなと思いました。
例えお金が山ほどあっても
誰一人自分のことを必要としてくれない…
考えるだけでゾッとします。
ってことは、
この世の中の最高の幸せはなんですかということですが、
マザーテレサさんの言葉の逆です。
「周りの人から
君がいてくれて本当に良かった」と
言ってもらえるような人生なんじゃないかと
考えたのです。
だから、
「学生の幸せ」のためには
彼らが社会に出て、就職した後、
「君がいてくれて良かった」
「君と一緒に働けて幸せだ」と言ってもらえるような
そんな人間になってもらうことが大事だと考えたのです。

そこで、
私は、全クラスを回って「就職対策授業」をすることにしました。
この授業は、就職させるための授業ではありません。
就職した後、どんな心構えで働けば
会社から必要とされる「人財」になれるか
という話をしているのです。
さて、本題です。
「ウエジョビの歴史」。
今でこそ、ウエジョビは
学生数も専門学校で長野県内トップとなり
勢いのある大きな学校だと言われることもあるのですが、
実は最初からそんなに大きな学校だったわけじゃないんです。
いろんなことがありました。
ウエジョビは創立者の佐藤勲が24歳の時に
昭和24年にそろばん塾から始めて、
それこそ彼の時間とお金をすべてつぎ込んで
少しずつ大きくしてきた学校です。

平成元年には学生数127名。
その後、平成4年に
6階建てのビル2号館を建てたところ、
学生が一気に80名近く増えて303名になりました。

折しも時代は「情報化社会」。
新しい校舎に
最新のパソコンを何百台も揃えたため、
情報処理科だけで100名以上の入学者が来ました。
でも、
その後また少しずつ学生が減っていきます。
そこで、佐藤勲も起死回生の一手を打ちます。
古かった1号館の校舎を建て替えました。
2号館よりもさらに大きな1号館、6階建てです。

ところが、その年、
学生が減ったんです。40人以上も。
驚きましたよね。
学生が増えると思って何億もかけて校舎を建てたのに、
逆に減ってしまった…。
ショックでしたね…。
これでウエジョビ、大丈夫なのか?
このままじゃまずいぞと。
未来はないぞと思いました。
正直言って。
だから
この時、ウエジョビの将来に不安を感じて
辞めていった先生もいました。
今なら、あの時、なぜ学生が減ったのかわかります。
先生たちに「当事者意識」がなかったんです。
もちろん私もです。
例えば、学生募集。
当時は、佐藤勲が一人で高校回りをしていました。
長野県中の高校、全部で100校以上あるのですが、
すべて一人で訪問し、
進路指導の先生たちに
「ウエジョビにはこんなコースがあって
こんな実績をあげていて…
だから、ぜひ高校生を送って下さい、お願いします 」
なんて話してまわってくれていました。
しかも、年に6回も7回も。
たった一人で。
たった一人で、高速道路も使わず
毎日何百キロも車を運転して、
頭を下げ続けてくれたのです。
でも、私はその時、
自分のことだけでした。
自分の授業のことだけ。
自分のクラスのことだけ。
学生は、佐藤先生が一人で
集めて来てくれるものだと
勝手に思っていました。
そんな当事者意識のない先生たちの集まりです。
学生募集に関することだけじゃなく
いろんなところに
そんな先生たちの「あり方」が
にじみ出ていたんじゃないかと思います。
学生が減っていくのは当然です。
でもね、学生によく私、言うんです。
「ピンチはチャンス」だって。
あれ、ホントです。
この時のウエジョビ、めちゃくちゃピンチです。
で、ピンチになると
変わるしかないんです。
変わるか辞めるかどちらかです。
残った人は変わるしかないんです。

みんなで話し合いました。
何とかして、学生に来てもらえるようにしなきゃ
ウエジョビはこのままではダメになってしまう。
先生たちの「当事者意識」は
この時、ものすごく高まりました。
で「今、できることをとにかくやろう」って考えました。
例えば、
パンフレットを作り直そう、
写真もみんな撮りなおそう、
カメラマン雇うお金なんかないから
自分たちで撮ろうよ! って。

オープンキャンパスも、
高校生に喜んでもらうためには
どうしたらいいのかって考えました。
そうしたらね、
翌年学生がちょっと増えたんです。
20人くらい。
それから、7年連続でどんどん学生が増えていって、
平成17年には416名になりました。
平成10年が213名ですから、
7年間で倍近くですよね。
大金を投じてたくさんの設備投資をした時に
学生が激減して、
あの時はまさにウエジョビの大きなピンチでしたが、
今となってみれば
あのおかげで
みんなの当事者意識が高まり、
学生数も増えたんです。
変わるチャンスだったんですよね。
----------
ヒダカズはこの時のことを
「広報のテクニックで学生が増えた」と言っていましたが、
私はそれだけではないと思います。
確かに、広報のテクニックもあったかもしれませんが、
それ以上に、
そこにかかわる
先生たちの思いが変わったからだと思うんです。
「まぁ、こんなもんでいいでしょ」と
つくったパンフレットと
「どうしたら高校生に来てもらえるか
どうしたらウエジョビの魅力を伝えられるか」と
真剣に考えて
細部にまでこだわり
写真からデザインまで
自分たちで作り上げたパンフレット…。
どう考えても違うはずです。
学校の雰囲気も変わったはずです。
だから高校生も、
「よくわからないけど
なんとなくいい感じ」と
肌で感じてくれたのではないでしょうか。
…あの時のこと、
こんな風に、たくさんの方の前でお話しすることができる日が来るなんて
思ってもみませんでした。
続きます。
私も少しだけご挨拶させていただき…

ヒダカズの講演会が始まりました。
演台に、赤い布がかかったものがあります。
気になりますよね。

さて、これはなんでしょうか??
ヒダカズが興奮気味に除幕しました。
ジャーン!
「ヒダカズ君」です!
ヒダカズのぬいぐるみです!
ヒダカズ、相当嬉しそうにはしゃいでいます。
原画は、ウエジョビ受付の平野先生。
制作は
ぬいぐるみ制作専門店のGSクラフトさんです。
GSクラフトの社長の山田さんが
岡山でのヒダカズの講演を聴いてファンになり、
作ってくださったのです。
似てますよね!
ありがたいことです。
さて、ヒダカズの本日のテーマは
「誰も知らないウエジョビの歴史」です。
ウエジョビのキャッチコピーは、
「すべては学生のために。」です。
ウエジョビのプロモーションビデオの中でも
ヒダカズが
「資格を取ってほしいんじゃない!
就職をしてほしいんじゃない!
幸せになってほしいんだ!!」
と言っています。
そうなんです。
ウエジョビは、学生に本当に幸せになってほしいと
本気で思っているのです。
ヒダカズは、「幸せ」について考えるために
「逆に、この世の中の不幸ってなんでしょう?」
と問いかけました。
----------
お金がない、
食べ物がない、
住むところがないetc…
でも、そんなことをはるかに超える不幸があると
マザーテレサさんは言っています。
マザーテレサさんの言葉です。
「この世の中の最悪の不幸は
誰からも必要とされなくなること」
私は、この言葉を聴いたときに、
その通りだなと思いました。
例えお金が山ほどあっても
誰一人自分のことを必要としてくれない…
考えるだけでゾッとします。
ってことは、
この世の中の最高の幸せはなんですかということですが、
マザーテレサさんの言葉の逆です。
「周りの人から
君がいてくれて本当に良かった」と
言ってもらえるような人生なんじゃないかと
考えたのです。
だから、
「学生の幸せ」のためには
彼らが社会に出て、就職した後、
「君がいてくれて良かった」
「君と一緒に働けて幸せだ」と言ってもらえるような
そんな人間になってもらうことが大事だと考えたのです。

そこで、
私は、全クラスを回って「就職対策授業」をすることにしました。
この授業は、就職させるための授業ではありません。
就職した後、どんな心構えで働けば
会社から必要とされる「人財」になれるか
という話をしているのです。
さて、本題です。
「ウエジョビの歴史」。
今でこそ、ウエジョビは
学生数も専門学校で長野県内トップとなり
勢いのある大きな学校だと言われることもあるのですが、
実は最初からそんなに大きな学校だったわけじゃないんです。
いろんなことがありました。
ウエジョビは創立者の佐藤勲が24歳の時に
昭和24年にそろばん塾から始めて、
それこそ彼の時間とお金をすべてつぎ込んで
少しずつ大きくしてきた学校です。
平成元年には学生数127名。
その後、平成4年に
6階建てのビル2号館を建てたところ、
学生が一気に80名近く増えて303名になりました。

折しも時代は「情報化社会」。
新しい校舎に
最新のパソコンを何百台も揃えたため、
情報処理科だけで100名以上の入学者が来ました。
でも、
その後また少しずつ学生が減っていきます。
そこで、佐藤勲も起死回生の一手を打ちます。
古かった1号館の校舎を建て替えました。
2号館よりもさらに大きな1号館、6階建てです。

ところが、その年、
学生が減ったんです。40人以上も。
驚きましたよね。
学生が増えると思って何億もかけて校舎を建てたのに、
逆に減ってしまった…。
ショックでしたね…。
これでウエジョビ、大丈夫なのか?
このままじゃまずいぞと。
未来はないぞと思いました。
正直言って。
だから
この時、ウエジョビの将来に不安を感じて
辞めていった先生もいました。
今なら、あの時、なぜ学生が減ったのかわかります。
先生たちに「当事者意識」がなかったんです。
もちろん私もです。
例えば、学生募集。
当時は、佐藤勲が一人で高校回りをしていました。
長野県中の高校、全部で100校以上あるのですが、
すべて一人で訪問し、
進路指導の先生たちに
「ウエジョビにはこんなコースがあって
こんな実績をあげていて…
だから、ぜひ高校生を送って下さい、お願いします 」
なんて話してまわってくれていました。
しかも、年に6回も7回も。
たった一人で。
たった一人で、高速道路も使わず
毎日何百キロも車を運転して、
頭を下げ続けてくれたのです。
でも、私はその時、
自分のことだけでした。
自分の授業のことだけ。
自分のクラスのことだけ。
学生は、佐藤先生が一人で
集めて来てくれるものだと
勝手に思っていました。
そんな当事者意識のない先生たちの集まりです。
学生募集に関することだけじゃなく
いろんなところに
そんな先生たちの「あり方」が
にじみ出ていたんじゃないかと思います。
学生が減っていくのは当然です。
でもね、学生によく私、言うんです。
「ピンチはチャンス」だって。
あれ、ホントです。
この時のウエジョビ、めちゃくちゃピンチです。
で、ピンチになると
変わるしかないんです。
変わるか辞めるかどちらかです。
残った人は変わるしかないんです。

みんなで話し合いました。
何とかして、学生に来てもらえるようにしなきゃ
ウエジョビはこのままではダメになってしまう。
先生たちの「当事者意識」は
この時、ものすごく高まりました。
で「今、できることをとにかくやろう」って考えました。
例えば、
パンフレットを作り直そう、
写真もみんな撮りなおそう、
カメラマン雇うお金なんかないから
自分たちで撮ろうよ! って。
オープンキャンパスも、
高校生に喜んでもらうためには
どうしたらいいのかって考えました。
そうしたらね、
翌年学生がちょっと増えたんです。
20人くらい。
それから、7年連続でどんどん学生が増えていって、
平成17年には416名になりました。
平成10年が213名ですから、
7年間で倍近くですよね。
大金を投じてたくさんの設備投資をした時に
学生が激減して、
あの時はまさにウエジョビの大きなピンチでしたが、
今となってみれば
あのおかげで
みんなの当事者意識が高まり、
学生数も増えたんです。
変わるチャンスだったんですよね。
----------
ヒダカズはこの時のことを
「広報のテクニックで学生が増えた」と言っていましたが、
私はそれだけではないと思います。
確かに、広報のテクニックもあったかもしれませんが、
それ以上に、
そこにかかわる
先生たちの思いが変わったからだと思うんです。
「まぁ、こんなもんでいいでしょ」と
つくったパンフレットと
「どうしたら高校生に来てもらえるか
どうしたらウエジョビの魅力を伝えられるか」と
真剣に考えて
細部にまでこだわり
写真からデザインまで
自分たちで作り上げたパンフレット…。
どう考えても違うはずです。
学校の雰囲気も変わったはずです。
だから高校生も、
「よくわからないけど
なんとなくいい感じ」と
肌で感じてくれたのではないでしょうか。
…あの時のこと、
こんな風に、たくさんの方の前でお話しすることができる日が来るなんて
思ってもみませんでした。
続きます。
Posted by 比田井美恵 at 14:06│Comments(0)
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