2010年01月20日
阪神大震災から15年4
昨日までの記事を書くときに、
色々と読んだ本の中に、
同じ阪神大震災に関わる話として、
ジャイアント馬場さんのお話が載っていました。
(ジャイアント馬場氏:
「世界の巨人」と呼ばれ、2メートル9センチの大きな体で
世界にも名の知れたプロレスラー。
1999年に61歳で死去。)
実は、阪神・淡路大震災が起こった2日後の1月19日、
全日本プロレスの大阪大会が予定されていたそうです。
ところが、大震災という非常事態に直面し、
大会の開催が危ぶまれていました。
予定されていた、テレビ放送も中止となってしまい、
どうするかと関係者でもめていましたが、
…最終決断はもちろん、ジャイアント馬場。
「やろう!
こんなときこそ、プロレスでみんなを励まそう!」
そして当日…震災で来られない人もたくさんいました。
客席は半分の入り…。
しかし、激しい試合に客席は熱狂します。
試合後、リングは客席からの万雷のコールに包まれます。
「馬場さん、ありがとう!!」
馬場さんは、テレビでも放送されなかったこの試合の模様を
すべてビデオに収め、
震災で会場に来られなかった人たちに
無料で進呈したそうです。
そして試合から2日後…。
馬場さんは、
自分のファンクラブの名簿を取り寄せると、
関西在住の会員の家に、自分で
片っ端から電話をしていきました。
「もしもし、馬場ですが、大丈夫か?
何か必要なものは?」
…馬場さんは、自費でガスコンロや生活用品を買い集め、
夜になると車で出かけていきました。
昼間は車の通行が規制されているので
夜まで待って、自ら会員の家や避難先を
ひとつひとつ訪問して回ったんです。
避難所にいた会員が、
馬場さんから電話で呼び出され、表で待っていると、
車から現れる大きな影。
「まさかと思っていたけれど、
本当に馬場さんが来てくれた!」
お見舞いの言葉をかけ、
食べ物や薬など、必要物資を次々と手渡す馬場さん…。
感激した会員と家族は、避難先の人たちにも紹介したいと
必死で引き止めますが、馬場さんは笑顔で断ります。
「君が元気かどうか、顔を見に来ただけだから」
…そして車に乗り込むと、次の会員の元へと向かったそうです。
馬場さん、素晴らしい人だったんですね…。
私、ちっとも知りませんでした。
思わず、馬場さんに興味を持っていろいろと調べてみたところ、
温かいお人柄が伝わってくるお話がいくつもありました。
ヘビースモーカーで、
葉巻がトレードマークの馬場さんでしたが、
とても仲の良かったアナウンサーの逸見正孝さんが
ガンにかかっていると知ったところ、
「逸見さんが治るまでタバコは吸わない!」と
願を掛けて、ピタっとタバコを止め…
結局、逸見さんは亡くなってしまったのですが、
馬場さんは生涯、葉巻をくわえることはなかったそうです。
…いろいろと考えさせられます。
馬場さんの「あり方」がよくわかるお話です。
こんな馬場さんだから、人気があったんでしょうね。
きっと今頃は、極楽浄土で、
逸見さんと一緒に、笑いながらお話していることでしょう。
大好きな葉巻を吸いながら…。
【参考文献】
「母ちゃんダンプ~涙があふれて心が温かくなる話」
(著者:ニッポン放送『うえやなぎまさひこのサプライズ!』
出版:ニッポン放送)
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Posted by 比田井美恵 at 20:16│Comments(0)
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