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2009年10月30日

38 至誠17 師匠の父親の生きざま



「俺が行商をやっているっていうのを聞いて、お前笑うかよ」
と言ったTさんですが、実はTさんって、
物凄い優秀な人だったらしいです。

Tさんは熊本の高校を出て、現役で早稲田大学に入ったそうです。
それだけでもスゴイですよね。

ところが、その早稲田にはほとんど行かないで、
当時流行っていた学生ベンチャービジネスをはじめるんですね。

バブルの真っ只中ですから、
そのベンチャービジネスもどんどんうまくいって、
お金を稼ぎまくっていたそうです。
大学も辞めて、会社をつくってボロ儲けしたそうです。

そうなると、どんどん鼻が高くなって、天狗になって、
調子にのっていったそうです。
増長して商売をどんどん広げて行ったらいしいです。

ところが、そんなにいい事はつづかなかったそうです。
突然、足元をすくわれて、
その会社が多額の負債を抱えて倒産したそうです。
そうなると、それまで、仲良くしてくれていた
人達が蜘蛛の子を散らすように周りから離れていったそうです。

調子がいいときは
「俺達は同志だ!運命共同体だ!」
なんて言っていた仲間が、みんないなくなったそうです。

Tさんはこのときのことを、

「あの頃、俺の頭は金に支配されていたから、
 自分の周りには、同じように
 金に支配された人しか集まってこなかった。
 だから、自分に金が無くなった瞬間、
 みんないなくなった」

って言っています。

悪いことはつづきます。
そんな最悪の時に、熊本から
「父親が亡くなった」という知らせが届きます。
Tさんは、なけなしのお金をかき集めて、
熊本に帰ったそうです。

Tさんはこう言います。
「あのとき親父の葬式に出て、
 俺は体中のスイッチがONになったんだ。
 俺の親父の話、聴いてくれるか?

 俺の親父は学校の先生やってた人なんだ。
 俺の親父は小さい頃から先生になりたくて、なりたくて、
 どうしようもなかったらしい。

 でも、先生になるには大学に行かなきゃなれない。
 ところが、家が貧乏でとても大学なんかいけなかったそうなんだ。
 高校は、なんとか昼間工場で働きながら夜学に通って
 卒業したんだけども、
 とても大学なんか通えるお金なんてなかったらしい。

 そんな時、親父は変な勉強したんだ。
 仕事中に怪我をすると『労災』といって、国からお金がもらえる。

 しかもそれが、障害が残るような大怪我をすると、
 その後の生活も保障してくれるような手当てがもらえる。

 そんなこと勉強して、
 親父は『自分の夢』と『自分の体の一部』を天秤にかけて、
 『自分の夢』をとったんだ。

 工場で働いている時、誰も見ていない隙をねらって、
 自分の左腕を機械の中に入れたんだ。
 指を3本飛ばして、腕は機械からはじかれたんぞ。

 そうして、俺の親父は先生になった。
 その親父が先生になって子供達の前に立った時、
 親父が手に入れたものは、何だと思う?

 今のお前にはまったくない、『何のために』だよ。

 自分の指と引き換えに手に入れた、
 この仕事で自分は何のために働くのかっていう座標軸が
 腹の上にバチーンとあったと思う。
 そんな座標軸をちょっともブレずに生きていった人だと思う。

 その親父の葬式にでて、ビックリした。
 親父の生きてきた人生が
 『映し鏡』となって『葬式』という形に
 見事に表現されていたんだよ。

 もう大人になった親父の教え子達が、
 800人も900人も日本中から集まって、
 『どうして、この人が・・・』って言って、
 みんな、わんわん泣いていたんぞ。

 そして息子の俺の姿を見つけて、
 みんな俺のとこに来て、

 『あんたの父ちゃんはスゴか人だった!』
 『あんたの父ちゃんに勉強以外のことでこんなこと教えてもらった!』
 『あんたの父ちゃんのおかげで、今の自分がいる!』って

 俺の肩つかんで、みんな言ってった。
 その、葬式の一日で、俺は
 『親父がどんな人生を送ってきたのか』という
 『生き様』を目の当たりにしたんだ。

 俺は、親父の葬式にでて、悲しいどころか、
 この親父の息子に生まれたことを誇りに思えるような、
 そんな葬式だったんぞ。

 その瞬間、
 体中のスイッチがバチン・バチン・バチンって
 入ったような気がした。

 そして、会社が倒産したくらいのことで、
 落ち込んでいる自分が情けなくなって、
 次の日、すぐに東京に戻って、
 ボロボロの軽トラックをタダ同然で買って、
 売れるものって言ったら、野菜か果物ぐらいしかなかったから、
 それ積んで売っているんだ。

 お前、俺が行商やっているという、
 職業だけを聞いて笑うかよ!」

スゴイですね。
中村さんはこの話を聴いて、
焼き鳥屋でわんわん泣いたそうです。

もう、自分が情けなくって泣いたそうです。
この世の中には、
自分は思いつきもしないことを考えて生きている人がいる。

そんな人達に比べて、
自分はなにやってんだって思ったそうです。

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Posted by 比田井美恵 at 20:35│Comments(0)比田井通信
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