2013年03月26日
204-男は常に、試されている
今日は、2月18日に配信された比田井通信よりお届けします!
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さて、今日の比田井通信ですが・・・
先日、愛媛→宮崎ツアーの際、1冊の雑誌がお供でした。
その雑誌とは・・・
季刊誌「Japanist(ジャパニスト)」です。
「Japanist」

定価1500円です。
なぜ、その高級雑誌が私のところにあったかと言いますと・・・
この「Japanist No16」にあの
奇跡の教習所「Mランド」の小河次郎会長のインタビューが載っているのです。

もちろん、私はそんなことを知る由もなかったのですが、
Mランドの水津さんが送って下さったんです!
もちろん、すぐに小河会長の記事を読ませて頂きました。
私の知らない小河さんが語られていて、
食い入るように読ませて頂きました。
ちょうどそれが、愛媛→宮崎ツアーの直前だったので、
「よし、これを今回の旅のお供にしよう!」ということで、
バッグの中に入れました。
新幹線、飛行機、待ち時間のたびに一つ一つの記事を読んでいると、
本当に興味深いんです!
やっぱり、私の中に
「小河会長をとりあげている雑誌なんだから、
いいことが書いてあるに決まっている!」
というプラスの先入観があるんでしょうね。
面白かったですよ!
今の私にはぴったりの
「食べない健康法」だとか、
「偉大な日本人列伝 山岡徹舟」だとか、
「ムダも邪悪も『美』にかえる、シーサー作家」の方の記事だとか・・・
あっ、ご存知ですか?
あの沖縄の「シーサー」って「魔除け」だと思っていますよね。
といいますか、私も「魔除け」だと思っていました。
ところが・・
「魔除け」というのは悪いものをよけるという意味ですから、
悪いものがよそに行ってしまうだけで、消えるわけではないんですよね。
沖縄の人たちは「それでは根本的な解決にはならない」と考えたんです。
だからシーサーは邪悪なものを受け止め、
そのうえで邪気をとりはらうという役割をしているそうです。
「盆栽の話」も奥が深かったです。
私の知らない世界のことですからね。本当に興味深い記事がたくさんあったんです。
そんな中、一つのエッセイを読みました。
タイトルは「男を磨く束子(たわし)」です。

ちなみに私、「束子」を「たわし」と読めませんでした。
ですから、タイトルに興味を持ったわけではなかったのです。
その書き出しが・・・

------------------
油断したら終わりだ。
男は常に試されているのだ。
「まさか、こんなことに・・・」だの
「そんなつもりは・・・」だの
「もう少し時間があれば」などといった言い訳は通用しない
------------------
どうですか?
男子諸君でこれを読んで
「先を読みたい」と思わなかったら男ではないですよね(笑)
とうぜん、「ん・・・・?」と思いながら読みました。
どんなお話かといいますと、
筆者が直径21センチの焼き網を探してきた、
東京下町の合羽橋での出来事を書いたものでした。
合羽橋というのは「道具の聖地」と言われているそうですね。
どんな理由かはわかりませんが、
筆者は21センチの焼き網を探しているうちに
なかなか見つからず、合羽橋まで来てしまったようです。
それでも、
「18センチの上が、どうして24センチなのか・・・」
と見つからずにいます。
-------------
たった一枚の網を、すでに1時間以上探し続けている。
同行の麗人も疲労のいろを隠さない。
ここは男として何とかしなければならない場面だ。
そもそも、焼き網を探すのに麗人を誘ってしまった時点で
何ともなっていないような気がする。
------------
面白いですよね。
この後、「あっ、あの店なら・・・」と思うようなお店を見つけます。
期待しながら暖簾をくぐると、
そこにはフランス人女性の定員さんがいて、
しかも完璧な日本語で、
「いらっしゃいませ、
二階でタワシの展示会をやっていますのでぜひ見ていってください」
と言います。
---------------
脳内の混乱は極みに達した。
1. ここは金物屋である
2. 店員はフランス人女性である
3. 勧められているのはタワシの展示会である
「金物屋」「パリジェンヌ」「タワシ」・・・因果関係がまるで理解できない。
しかし、あまりに動揺が大きすぎてうっかり
「あ、はい・・・」と答えてしまったため、二階へ歩を進めることになった。
まったく釈然としない。
が、階段を上がりきった瞬間、興奮のスイッチが音を立てた。
----------------
私もこの文章に引き込まれて、
「えっ!なに!なにがあったの?!」って感じです。
筆者が二回に上がると、会場の入り口に
「純国産 紀州野上谷(のがみだに)産 棕櫚束子(しゅろたわし)」
と書いてあり、棕櫚(しゅろ)の木の現物を見てしまったからだそうです。
みなさん「棕櫚(しゅろ)」ってわかります?
私は聞いたことはあってもよくわかりませんでした。
ヤシ科の植物だそうです。
昔からタワシの原料になっていたものだそうです。
ところが、もともと和歌山県の特産物であった棕櫚産業が
職人の高齢化と上質な棕櫚の消失により、ほとんど途絶えているなか、
高田耕造商店という会社が、
5年をかけて当時の技法・栽培方法を確立し、
原料から製造まですべてを和歌山県でつくっている
純国産の棕櫚束子を製品化したそうなんです。
高田耕造商店

--------------
会場に置かれていたパンフレットを読んで知った。
―中略―
「それは単に伝統産業を絶やさないための保護としてではなく、
現代においても通用する新しい棕櫚産業を作っていくことを
目的としたプロジェクトです。
それは、ここに生まれた自分たちだけができること。
しなくてはいけないことであると私たちは考えています。」
(抜粋・要約)
書き写しながら、胸と目頭が熱くなる。
そのやむにやまれぬ思いは、
平成の世に炭焼きを続けてきた僕には痛いほどよく分かる。
---------------
なんと、たった一つのタワシをつくるのに、
2~3本もの棕櫚の木と、
棕櫚皮職人、棕櫚縄職人、竹工職人、木管職人、
黒竹職人、木工職人、束子職人の7人もの職人が必要なんだそうです。
筆者はその中の黒竹の柄のついた束子に一目惚れをします。
--------------
相手が麗人だろうが、「惚れたが負け」である。
そして、負け方にも作法-美しい負け方-がある。
何より「負け」を潔く認め、駆け引きは一切しないこと。
負けたくせに「少しでも有利な条件で」などというのは見苦しい。
一目惚れした麗人に
「あのぉ、もし迷惑じゃなかったら・・・お友達からいかがでしょうか?」
なんて男はブレイモノである。
一目惚れしたなら潔く、
「惚れました」
とだけ言えばいい。
潔さとは、値踏みしないこと、退路を断つことである。
----------------
このエッセイの中で、私が一番しびれたのがこの部分です。
笑ながら読みましたが、
「確かにそうだなぁ・・・」と思いました。
「いくらであってもこの束子を買う」と決めた筆者ですが、
持っていた現金が6千円です。
帰りの交通費と、つき合わせてしまったご麗人にご馳走するお茶代(あんみつ付)
筆者のカルピスソーダ代を引くと、残りは3500円。
まさか、タワシ一つで3500円はしないだろうと思って、値段を聞くと・・・
「はい、そちらの商品は4000円でございます」
(500円足りません!)
--------------
4000円のタワシを前に今、問われているのは、
己の品格であり生きざまである。
加えて、
日本の伝統産業の未来がかかっているのだ。
麗人もきっと、この男の生きざまをかけた選択を見ているに違いない
(実際は他のタワシをみていた)。
今こそ男を見せる時だ。
カルピスソーダが飲めなくなることぐらい何だ。
或いは2時間も歩けば、
交通費を使わずに次の場所に移動することだってできるじゃないか。
だがここでタワシを買わずに帰ることは、
背信的自己否定であり、
自尊心の放棄である。
その上、復活を懸けた伝統棕櫚産業の未来に無効票を投じることにもなる。
矜持と日本伝統の未来に値札をつけるわけにはいかない。
-------------
筆者は、覚悟を決め、
「このタワシをひとつ」と腹に力を込めて発声します。
------------
その迫力にいささか驚いた様子だったが、
それ以上に麗人が驚きを隠さない。
「えっ、買うの?」
その驚きの眼差しが
尊敬とある種の熱を帯びた慕情に変わるのに時間はかからな・・・・あれ?
変わらないぞ。
「あのさ、それ、何に使うの?」
「えっ、何って・・・」
------------------
結局、著者はご麗人とお茶をして別れた後、歩いて帰りました。
このエッセイの最後の言葉。
---------------
男は常に、試されている
---------------
どうですか!
面白くて、面白くて、一気に読みました。
(もちろん、ここに書いたはほんの一部です)
そして、勉強になりました。
「男は常に試されている」
ホントですね。
あっ、でもこのお話、まだ終わらないんです。
ある意味、ここからが本番なんですが、
今日はこの辺にしておきますね。
続きは次回です。
↓こちらもよろしくお願いします。(*^o^*)
ウエジョビの日常。─校長ブログ─
最近の記事は 219-一年で一番いい日…3

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さて、今日の比田井通信ですが・・・
先日、愛媛→宮崎ツアーの際、1冊の雑誌がお供でした。
その雑誌とは・・・
季刊誌「Japanist(ジャパニスト)」です。
「Japanist」

定価1500円です。
なぜ、その高級雑誌が私のところにあったかと言いますと・・・
この「Japanist No16」にあの
奇跡の教習所「Mランド」の小河次郎会長のインタビューが載っているのです。

もちろん、私はそんなことを知る由もなかったのですが、
Mランドの水津さんが送って下さったんです!
もちろん、すぐに小河会長の記事を読ませて頂きました。
私の知らない小河さんが語られていて、
食い入るように読ませて頂きました。
ちょうどそれが、愛媛→宮崎ツアーの直前だったので、
「よし、これを今回の旅のお供にしよう!」ということで、
バッグの中に入れました。
新幹線、飛行機、待ち時間のたびに一つ一つの記事を読んでいると、
本当に興味深いんです!
やっぱり、私の中に
「小河会長をとりあげている雑誌なんだから、
いいことが書いてあるに決まっている!」
というプラスの先入観があるんでしょうね。
面白かったですよ!
今の私にはぴったりの
「食べない健康法」だとか、
「偉大な日本人列伝 山岡徹舟」だとか、
「ムダも邪悪も『美』にかえる、シーサー作家」の方の記事だとか・・・
あっ、ご存知ですか?
あの沖縄の「シーサー」って「魔除け」だと思っていますよね。
といいますか、私も「魔除け」だと思っていました。
ところが・・
「魔除け」というのは悪いものをよけるという意味ですから、
悪いものがよそに行ってしまうだけで、消えるわけではないんですよね。
沖縄の人たちは「それでは根本的な解決にはならない」と考えたんです。
だからシーサーは邪悪なものを受け止め、
そのうえで邪気をとりはらうという役割をしているそうです。
「盆栽の話」も奥が深かったです。
私の知らない世界のことですからね。本当に興味深い記事がたくさんあったんです。
そんな中、一つのエッセイを読みました。
タイトルは「男を磨く束子(たわし)」です。

ちなみに私、「束子」を「たわし」と読めませんでした。
ですから、タイトルに興味を持ったわけではなかったのです。
その書き出しが・・・

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油断したら終わりだ。
男は常に試されているのだ。
「まさか、こんなことに・・・」だの
「そんなつもりは・・・」だの
「もう少し時間があれば」などといった言い訳は通用しない
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どうですか?
男子諸君でこれを読んで
「先を読みたい」と思わなかったら男ではないですよね(笑)
とうぜん、「ん・・・・?」と思いながら読みました。
どんなお話かといいますと、
筆者が直径21センチの焼き網を探してきた、
東京下町の合羽橋での出来事を書いたものでした。
合羽橋というのは「道具の聖地」と言われているそうですね。
どんな理由かはわかりませんが、
筆者は21センチの焼き網を探しているうちに
なかなか見つからず、合羽橋まで来てしまったようです。
それでも、
「18センチの上が、どうして24センチなのか・・・」
と見つからずにいます。
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たった一枚の網を、すでに1時間以上探し続けている。
同行の麗人も疲労のいろを隠さない。
ここは男として何とかしなければならない場面だ。
そもそも、焼き網を探すのに麗人を誘ってしまった時点で
何ともなっていないような気がする。
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面白いですよね。
この後、「あっ、あの店なら・・・」と思うようなお店を見つけます。
期待しながら暖簾をくぐると、
そこにはフランス人女性の定員さんがいて、
しかも完璧な日本語で、
「いらっしゃいませ、
二階でタワシの展示会をやっていますのでぜひ見ていってください」
と言います。
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脳内の混乱は極みに達した。
1. ここは金物屋である
2. 店員はフランス人女性である
3. 勧められているのはタワシの展示会である
「金物屋」「パリジェンヌ」「タワシ」・・・因果関係がまるで理解できない。
しかし、あまりに動揺が大きすぎてうっかり
「あ、はい・・・」と答えてしまったため、二階へ歩を進めることになった。
まったく釈然としない。
が、階段を上がりきった瞬間、興奮のスイッチが音を立てた。
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私もこの文章に引き込まれて、
「えっ!なに!なにがあったの?!」って感じです。
筆者が二回に上がると、会場の入り口に
「純国産 紀州野上谷(のがみだに)産 棕櫚束子(しゅろたわし)」
と書いてあり、棕櫚(しゅろ)の木の現物を見てしまったからだそうです。
みなさん「棕櫚(しゅろ)」ってわかります?
私は聞いたことはあってもよくわかりませんでした。
ヤシ科の植物だそうです。
昔からタワシの原料になっていたものだそうです。
ところが、もともと和歌山県の特産物であった棕櫚産業が
職人の高齢化と上質な棕櫚の消失により、ほとんど途絶えているなか、
高田耕造商店という会社が、
5年をかけて当時の技法・栽培方法を確立し、
原料から製造まですべてを和歌山県でつくっている
純国産の棕櫚束子を製品化したそうなんです。
高田耕造商店

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会場に置かれていたパンフレットを読んで知った。
―中略―
「それは単に伝統産業を絶やさないための保護としてではなく、
現代においても通用する新しい棕櫚産業を作っていくことを
目的としたプロジェクトです。
それは、ここに生まれた自分たちだけができること。
しなくてはいけないことであると私たちは考えています。」
(抜粋・要約)
書き写しながら、胸と目頭が熱くなる。
そのやむにやまれぬ思いは、
平成の世に炭焼きを続けてきた僕には痛いほどよく分かる。
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なんと、たった一つのタワシをつくるのに、
2~3本もの棕櫚の木と、
棕櫚皮職人、棕櫚縄職人、竹工職人、木管職人、
黒竹職人、木工職人、束子職人の7人もの職人が必要なんだそうです。
筆者はその中の黒竹の柄のついた束子に一目惚れをします。
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相手が麗人だろうが、「惚れたが負け」である。
そして、負け方にも作法-美しい負け方-がある。
何より「負け」を潔く認め、駆け引きは一切しないこと。
負けたくせに「少しでも有利な条件で」などというのは見苦しい。
一目惚れした麗人に
「あのぉ、もし迷惑じゃなかったら・・・お友達からいかがでしょうか?」
なんて男はブレイモノである。
一目惚れしたなら潔く、
「惚れました」
とだけ言えばいい。
潔さとは、値踏みしないこと、退路を断つことである。
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このエッセイの中で、私が一番しびれたのがこの部分です。
笑ながら読みましたが、
「確かにそうだなぁ・・・」と思いました。
「いくらであってもこの束子を買う」と決めた筆者ですが、
持っていた現金が6千円です。
帰りの交通費と、つき合わせてしまったご麗人にご馳走するお茶代(あんみつ付)
筆者のカルピスソーダ代を引くと、残りは3500円。
まさか、タワシ一つで3500円はしないだろうと思って、値段を聞くと・・・
「はい、そちらの商品は4000円でございます」
(500円足りません!)
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4000円のタワシを前に今、問われているのは、
己の品格であり生きざまである。
加えて、
日本の伝統産業の未来がかかっているのだ。
麗人もきっと、この男の生きざまをかけた選択を見ているに違いない
(実際は他のタワシをみていた)。
今こそ男を見せる時だ。
カルピスソーダが飲めなくなることぐらい何だ。
或いは2時間も歩けば、
交通費を使わずに次の場所に移動することだってできるじゃないか。
だがここでタワシを買わずに帰ることは、
背信的自己否定であり、
自尊心の放棄である。
その上、復活を懸けた伝統棕櫚産業の未来に無効票を投じることにもなる。
矜持と日本伝統の未来に値札をつけるわけにはいかない。
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筆者は、覚悟を決め、
「このタワシをひとつ」と腹に力を込めて発声します。
------------
その迫力にいささか驚いた様子だったが、
それ以上に麗人が驚きを隠さない。
「えっ、買うの?」
その驚きの眼差しが
尊敬とある種の熱を帯びた慕情に変わるのに時間はかからな・・・・あれ?
変わらないぞ。
「あのさ、それ、何に使うの?」
「えっ、何って・・・」
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結局、著者はご麗人とお茶をして別れた後、歩いて帰りました。
このエッセイの最後の言葉。
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男は常に、試されている
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どうですか!
面白くて、面白くて、一気に読みました。
(もちろん、ここに書いたはほんの一部です)
そして、勉強になりました。
「男は常に試されている」
ホントですね。
あっ、でもこのお話、まだ終わらないんです。
ある意味、ここからが本番なんですが、
今日はこの辺にしておきますね。
続きは次回です。
↓こちらもよろしくお願いします。(*^o^*)
ウエジョビの日常。─校長ブログ─
最近の記事は 219-一年で一番いい日…3
Posted by 比田井美恵 at 19:46│Comments(2)
│比田井通信
この記事へのコメント
常に本質的なものを極めようとしているならば なにげない出来事のなかにも なにひとつ無駄なことはないと気づけるんですね・・・
Posted by 中島 康史 at 2013年03月27日 17:56
中島 康史 さん
コメントありがとうございます!
中島さんの言葉、奥が深いですね~!
確かにこの方、「常に本質的なものを極めようとしている」んですよね。
この方の生き様、あり方を見れば良くわかります。
この方が誰かを次のブログに書いてありますので、また見てみてくださいね。
この方のご著書を読めば、さらに「納得」かもしれませんね。^^
コメントありがとうございます!
中島さんの言葉、奥が深いですね~!
確かにこの方、「常に本質的なものを極めようとしている」んですよね。
この方の生き様、あり方を見れば良くわかります。
この方が誰かを次のブログに書いてありますので、また見てみてくださいね。
この方のご著書を読めば、さらに「納得」かもしれませんね。^^
Posted by 美恵先生 at 2013年03月27日 21:03
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