国民の修身

比田井美恵

2014年12月16日 23:59

台湾の記事の途中ですが、
今、手元に資料や写真データがないので、やむなく別の記事を書いています。

台湾旅行で、「日本精神」について聴けば聴くほど、
もっとその時代のことを知りたいと思うようになりました。

六士先生の記事を書いてからは、
当時の教育についても興味がわき、
こんな本も買ってみました。


「国民の修身」(著:渡部昇一 産経新聞出版)

これは、小学校1年生から3年生までの
「修身」の教科書です。
1945年、終戦となりGHQの指示により廃止されるまで続けられていた、
日本教育の根幹をなしていたものです。

この本は、当時の仮名遣いや絵とともに、
現代文に直したものが載っています。
1年生では、こんなことを教わります。



「十一 不作法なことはするな

文吉の家へ小太郎が遊びに来て、絵本を見ておりました。
しばらくして文吉は母に呼ばれたので、
急いで絵本をまたいで行きました。
母は用を言いつけた後で、
「ものをまたいだり踏んだりするような
不作法なことはしてはなりません」と
言ってきかせました。」


「十二 人の過ちを許せ

小太郎は野原へ出て文吉の来るのを待っていました。
その間に文吉から借りた鞠を過まって川の中へ落としてなくしました。
それで文吉が来た時、そのわけを話して詫びました。
文吉は「過ちだから仕方がない。」と言って、許してやりました」

(「国民の修身」より引用)

3年生です。


「九 友だち
友蔵と信吉は親しい友達で、
同じ学校を卒業した後、二人とも同じ工場に雇われて一緒に働いていました。
ところが信吉は過ちがあって暇を出されました。

友蔵は友のために色々と謝ってやりましたが、
主人が許しませんので、
仕方がなく、折を見てまた頼もうと思っていました。

ある時友蔵は新しい機械を工夫しました。
主人はそれをほめて、「何でも望みをかなえてやる。」と言いました。
友蔵は「それでは信吉を元の通りに使って下さい。」と願って、
すぐ許されました。
主人は又「ほうびに家を作ってやろう」と言いましたら、
友蔵は「友達が許されました上はほかに望みはございません。」と断りました。
それからすぐに信吉を連れて帰って、二人で喜びました。」


(「国民の修身」より引用)

とてもシンプルで具体的ですね。
そして、1年から3年生という、低学年向けにもかかわらず
結構、高度なことが書かれているなと思いました。
今の国語の教科書とは全然違います。

でも、この教え、素晴らしいと思いました。

教科書に載っている文章は短かなものですが、
学びがたくさんあります。

きっと、授業では、みんなで感想を言ったり、
自分ならどうするか考えたりするのでしょうね。
そういう授業を通じて、
「何が正しくて何が悪いことなのか
何が一番大切なことなのか」を
自然と学んでいくのでしょう。

前書きに、著者の渡部先生が何十年も前に
小学校の校長先生が言われた言葉が書かれていました。

「非行少年が出た場合、
その親が教育勅語や修身を教えられた世代の場合は
指導に成果が上がりました。
しかし親が教育勅語も知らず、修身も教えられていない世代になると
手の施しようがないありません」と。


今の日本に必要なものは、まさにこの「修身」のような教えを
小さい時からすることなのかもしれません。

この本には、今の時代にそぐわない部分もあるかもしれませんが、
今も変わらず大事なこともたくさん書いてありましたから…。

本を読んでいて自然と思い出すのは
私の父のことです。

父は、こうしなさい、ということはあまり言いませんでしたが、
この本を読んでいると、
「これは父のあり方だ」
「父はいつもこうしてくれていた」
と思うことばかりだったのです。

私自身は「修身」を全く教わっていませんが、
父の姿から身を持って「修身」を学んでいたのかもしれません。
(もちろん、自分自身は全くできていませんが…)

この本、高学年用もあるようです。
また取り寄せて読んでみたいと思います。
このブログを読んでいる「先生」にはぜひ読んでほしいです!