人は赤ちゃんとして生まれ、親になり、赤ちゃんに戻って神様の元に帰る
数年前にご縁を頂戴した
広島市の柴崎米穀の柴崎博男さんが、
毎月「ほのぼの伝言板」を送ってきてくださいます。
今月号で274号。
もう23年近く、毎月出されていることになります。
脱帽です!!
毎月、クスッと笑える記事や
心温まる記事、ジーンとくる記事などが掲載されています。
今月号の記事にも、思わずホロっと来てしまいました。
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「ラブレター」
届かなかった初めてのラブレターです。
年の差夫婦の二人でしたね。
あなたは定年退職を迎え都会から田舎へ引っ越し、
私は仕事、
貴方は子供の面倒と保育園の送り迎え、
そして庭づくりでしたね。
交通事故のように突然去ってしまった貴方。
何も大切な話もせず、
楽しかった思い出話もできず、
もっと優しい言葉をかけてあげれば良かった、
喧嘩をして相手をキズつけるような言葉を言わなければ良かったと
今になって後悔ばかりです。
『お母さん、泣くな』その言葉で、
子供のそばでは泣くのをやめました。
そして思い出を自分の中に封印してから
八年の月日が過ぎ、子供は高校生になりました。
『僕、お父さんの作ってくれた素うどんが好きだったなぁ~。
僕、お父さんの思い出、段々忘れていくよ』
と聞いた時は『ドキッ』としました。
話さなかったことがいけなかったのではないか?
悲しみを乗り越えるため、
封印してしまった思い出は
日々忘れて行ってしまうものなのです。
今、貴方の仕事だった庭の雑草を抜くたびに、
貴方のありがた味が分かります。
貴方が植えた桜の木は、
四月にはみごとに咲き、
年々大きくなっています。
五月には藤の木がみごとな花を咲かせます。
秋には毎年柿と梨が実ります。
冬、富士山がくっきり姿を表した時、
貴方を感じます。
貴方の思い出は日々忘れてしまいますが、
自然はちゃんと私たちに
あなたが見守っていてくれることを知らせてくれます。
日々、感謝して一日一日を大切に、生きて行きます。
貴方が教えてくれたメッセージです。
今度生まれてくる時も、貴方とめぐり合いたい私です。
待っててね。
茨城県 M.T様から拝謝
(ほのぼの伝言板 274号(柴崎米穀)より引用)
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もうひとつ、
ご紹介します。
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「かあちゃん!」
85才を過ぎた頃、母は両方の大腿骨を骨折した。
大手術と3か月近い入院生活に、
患っていた母の認知症は急激に進んだ。
退院する頃には、
家族の顔も名前もすっかりわからなくなっていた。
仕事を続けながらの在宅介護が始まった。
弟夫婦の助けがあったのに、
日を追うごとに、なんでもないことに苛立ち、
母につらくあたってしまうことが増えていった。
そんなある日、ふっと母に聞いてみた。
「この人、だーれ?」
じっと私の顔を見つめていた母は、
あどけない子供のような笑顔で
「かあちゃん」とこたえた。
いつものように何も答えてくれないだろうなと思っていただけに
「かあちゃん」という母の安心しきった表情と言葉は
「してあげているのになんでいうこときかへんの」
…そんな思いばかりを募らせ、
苛立ちと先の見えない不安とで
がちがちにこわばり、がんじがらめになっていた私の心を
魔法のようにときほぐしていくようだった。
そうなん? かあちゃんなん?
母にとって、私はお母ちゃんだったんだ。
不思議な思いだった。
あなたが、幼い日の私にしてくれたように、
いつもあたたかく、そっと支えてくれた母。
以来、かつてのような苛立ちは消えた。
仕事から帰ると一番に母のもとにいく。
「ただ今、かあちゃんが帰ってきたよ」
眠っていても、母は目を開き、
かあちゃんおかえり、とでもいうように
無邪気な笑顔で応えてくれる。
「かあちゃん」と言ってくれているような
その笑顔が励みだった。
明日も、また大好きな雨雨降れ降れの歌、
歌ってあげるね!
(ほのぼの伝言板 272号(柴崎米穀)より引用)
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ともに、ジーンとくる…忘れられない記事です。
後からじわじわくるんですよね。
情景がありありと思い浮かんできて。
特に、「かあちゃん!」の方は、
今80才になった母がいることもあり、
どうしても泣けてきてしまいます。
人は、赤ちゃんとして生まれてきて
歩けるようになり、話せるようになり、一人でご飯も食べられるようになり
…できることがどんどん増えていって
大人になって親になりますが、
それが高齢になると、だんだん歩けなくなったり、
言葉が出なくなったり、
一人でできないことが増えてきて、
赤ちゃんに戻っていって、
そして神様のもとに帰るんだと思います。
だから、自分の親に
「できないこと」が少しずつ増えてきたら
今度は自分が親になる番なんですよね。
自分の「親」だと思うと
「どうしてこんなこともできなくなっちゃったの?」と
思うかもしれませんが、
自分の「赤ちゃん」だと思えば、
歩けないことも、
一人でご飯を食べられないことも、
一人でトイレにいけないことも、
許せる…というか、
受け入れられるように思えます。
自分が赤ちゃんの時に
さんざん親からしてもらってきたことを
逆に親にしてあげる番なんでしょうね。
最後に神様が与えてくれた
「親孝行のチャンス」なのかもしれません。
もちろん、実際に介護にかかわっている方からすれば
そんなきれいごとばかりじゃない!
…と言われてしまうと思いますし
本当に大変だと思いますが、
自分の親が「赤ちゃん」の役割を演じて
親孝行をさせてくれているんだ、と思えば
受け止め方が少しは違うように思えます。
…こんな考え方ができるようになったのも、
この曲のおかげです。
何度聴いても泣けてきます。
(歌詞はこちら
「手紙」樋口了一)
この曲を作ってくださった
樋口了一さんには本当に感謝しています。
この曲に救われた人がどれだけいたことでしょうか。
この曲に涙した人がどれだけいたことでしょうか。
樋口さん、
素晴らしい歌を世に出してくださって、ありがとうございます。
もう4年も前の歌ですが、
まだまだたくさんの人に聴いてほしいなと思いました。
↓こちらもよろしくお願いします。(*^o^*)
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