私が書いています!
このブログは比田井和孝に代わり、私、比田井美恵がお届けしています!
Facebookで「フォローする」をしていただくと、ブログ更新やヒダカズ講演会に関する情報などをみなさんのニュースフィードにお届けします!
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 686人
過去記事
QRコード
QRCODE

2017年11月13日

天の声~病気も運命も心が決める~

10/14に配信された比田井通信よりお届けします。

----------

比田井通信-あなたは幸せです!-第522号
(2017.10.14発行)

先週の中村天風さんの師匠のカリアッパ師の
「どうしてわざわざ、落ちなきゃいけないんだ?」の言葉の
お話、反響がとても大きかったんです。

「落ちるかも」と思う心が崖から自分を落とす。
天の声~病気も運命も心が決める~


ちょっといろいろと調べたんです。

中村天風さんはアメリカに行っても
ヨーロッパに行っても、
なかなか治らない結核を
このカリアッパ師に弟子入りして
2年半の修行で結核が治るんです。

これ、気になりません?

どんな修行をしたんでしょうか?

そしたら、こんなブログを見つけました↓

ブログ Yokoi Hideaki
天の声を聴く 中村天風師のインドでの悟り



==============
(上記ブログより抜粋)
(ちなみに「三郎」とは中村天風の本名です)

三郎の乗った貨物船はエジプトのアレクサンドリアに入港しましたが、
ある事情で五日間の停泊を余儀なくされます。

船底の船室で病に伏している三郎を心配した船乗りの一人が、
何も食べないのは体に毒だと、上陸して食事をするように薦めます。

食欲の全くない三郎は断るのですが、
船員は親切に三郎を抱え上げて食堂に連れて行きます。

拒絶したい気持ちより、申し訳ない気持ちが勝ち、
言われるままにスープに口をつけ、
一口、二口飲んでいると
食堂の反対側の浅黒い肌の紳士が目に入りました。

その紳士のところにはボーイが最敬礼で食物を運んできます。
三郎は「どこかの王族かいな?」と思ったそうです。

そして不思議な光景を目にします。
当時のエジプトには親指の先ほどの大きなハエがいました。
その大きなハエを紳士が指指すとハエが動かなくなり、
それを召使が長い箸で捕まえて灰皿に投げ入れています。

その不思議な光景に見とれていると、
「こっちへ来い」とその紳士が
流ちょうな英語で三郎に話しかけてきました。

一人で食堂まで来ることもできなかった三郎が、
言われるままにフラフラとその人の脇まで歩いて行ったそうです。

以下は天風師が語られたその時の会話です。

紳士)お前はどこへ行くんだい?

三郎)日本です。

紳士)墓場をこしらえに行くのかい?

三郎)やむをえず、そうなります。

紳士)そうかい、ところで、お前は右の胸に大きな病を持っているね?

三郎)何故わかるのですか?

紳士)インスピレーションだよ。
   でも、何の用があって墓場を掘りに行くんだね?
   誰かに言われたのかい?

三郎)そうではないですが、やるべきことをやっての果てです。

紳士)お前はこの世界にあるすべての事をやってみたのかい?

三郎)そうではありませんが、
   良いと思うことは全てやってみました。

紳士)だけど大事なことでやっていないことが一つあるぞ。
   とにかく理屈は抜きだ。俺についてくるかい?

ここで普通の人なら「貴方はどなたですか?」とか
「どこへ行くのですか?」とか聞くのが当たり前ですが、
三郎は直ちに「サーテンリー(かしこまりました)」と即答したといいます。

この紳士がカリアッパ師でした。

そして、行先も聞かないまま旅を続けること数ヶ月、
カリアッパ師一行は北インドのある村に着きます。
そこで三郎の修業が始まりました。

これは天風師がインドで得た最初の「悟り」にまつわるもので、
インドに行って半年ほどの最初の頃の話です。

そのころカリアッパ師は三郎に
山中でのディヤーナ(瞑想)の修業を命じていました。

即ち、心を静かに、安定させ、無念無想に至る修行です。

三郎が修行を命じられたのは大きな滝の前での瞑想です。
そこは轟轟たる水音しか聞こえるものはない場所でした。

修行が始まり何日目かのある日、
三郎は修行の帰途、
ロバに乗るカリアッパ師に質問します。

三郎)ディヤーナ(瞑想)の第一条件は
   心静かに安定させるんですよね?

カ師)勿論、そうだ。

三郎)ならなぜもっと静かな場所で修行させて下さらないんです?

カ師)あの場所で心が静まらないか?

三郎)あんな場所で心が静まるはずがありません。
   のべつ、耳が張り裂けそうです。
   こうして歩いていてもまだ耳にあの音が残っているくらいです。

カ師)あの場所で心が静まらないようなお前ならどこへ行っても駄目だな。

三郎)そうおっしゃっても、あの音じゃ・・・・

カ師)そんなに水の音がうるさいかい?
   おまえの為にあの場所を選んだんだが、
   そのことが良く分かっていないようだな。

三郎)あんなうるさいところをですか?
   どういうわけですか?


それまで、笑顔で答えていたカリアッパ師が
急に厳しい顔になり、こういったそうです。


カ師)一口で言えばお前に天の声を聞かせてやろうと思ったんだ。

三郎)(驚いて)何ですか?天の声??天に声があるんですか?

カ師)ある。

三郎)初めて聞きました。天の声。知りません。

カ師)そうだろうな。知らなきゃ初めてだろうな。

三郎)しかし先生、それを先生は聞いておられるのですか?

カ師)いつも聞いてるよ。私は。

三郎)エー いつもですか?

カ師)そうだ。こうしてお前と話している間も聞いている。

三郎)その声はどこの言葉でしょうか?

カ師)どこの国の言葉とかいうものじゃない、声だよ。声。

三郎)言葉の声じゃない、何ですか?一体。

カ師)音だよ。しかし今のお前じゃ、天の声どころか、地の声も聞こえないだろ?

三郎)ありゃ、今度は地の声ですか?地の声もあるんですか?

カ師)ある、ある。当たり前だ。

三郎)何です、それは?

カ師)わからないかい?
   獣の声や鳥の声、
   また風で木の葉が騒ぐ音もそうだ。
   聞こえないか?

三郎)そんな声は滝の音がうるさくて聞こえません。

カ師)そう思えば聞こえないな。
   先ず明日から瞑想の合間に鳥や獣の声を聴こうと思って、
   その音を捕まえる気持ちで座ってごらん。
   それからだ天の声は。

このようなやり取りの後、
三郎は滝の前で地の声を聴く瞑想を始めます。

最初は何も聞こえないのが、
数時間でかすかな鳥の鳴き声や
獣の咆哮が聞こえるようになります。

更に数日後には滝の音を聞きながら、
同時に周囲の音を聞き取れるようになったといいます。

そして、地の音が聞こえるようになったと同時に、
天の声を聴きたいという強い欲が出てきたそうです。

以来、天の声を聴くための瞑想が始まります。

何日も何日も「天の声」「天の声」と
これに心を向け、耳を澄ます毎日を送ります。

しかし、そんな声を聴くことはできません。

半月後、カリアッパ師に

「地の声は聴こえるようになりましたが、
 天の声は相変わらず聴くことが出来ません」

と訴えます。

そこでのやりとりです。

カ師)天の声、聞こえないかい?
   地の声が聞こえるなら天の声も聞こえるはずだ。
   聴こうとしていないんだろう。

三郎)しています。自分でも驚くほど一生懸命にしています。

カ師)ほうー、そうかい。
   じゃー、その時に、真剣に天の声を聴こうとしている時に、
   お前さんは地の声は聞こえているかい?どうだい?

三郎)それは気が付きませんでした。

カ師)本当はね。どんな音がしても、
   心がそれを相手にしないと、
   天の声がわかってくるんだよ。

三郎)なるほど、
   心が相手にしないと聞こえるんですね。
   明日またやってみます。

カ師)やってごらん。

早速翌日から、三郎は一切の音を相手にしない、
心を向けないようにやってみますが、
これが難しいことを知ります。

心を向けまいとすると、
そこに心をとらわれて、逆効果になるのです。

滝の音も、鳥の声も、獣の声も、
一切を聞くまいとすればするほど、
明瞭に聞こえてきます。

そして悪戦苦闘を続けることさらに三か月余り。
もう降参といった心境で、カリアッパ師にもう一度尋ねます。

三郎)先生、心と耳を別々に使い分けるのは難しいです。

カ師)おまえのように考えりゃ難しいだろうね。
   だけど、難しいと言えば難しいけれど、
   易しいと言えば易しいんだよ。
   まともに使い分けようとするから難しい。
   それをやめてごらん。

三郎)まともに使い分ける、というのはどういう意味です?

カ師)ここで私と話をしている時に周りの音も聞こえているだろう。
   でもお前さんは私と話している時は、
   周りの音の相手をしないで、私の話に取り組んでいないかい?

三郎)ええ、まあ。

カ師)そこだよ。それと同じ心持になればいいんだ。
   まともに使い分けない、というのはそのことだよ。

三郎は正確にその意味を分かったわけではありませんでしたが、
何かをつかんだように感じて、
「わかりました。もう一工夫やってみます」
と答えたと言います。

あくる朝、また天の声を聴く修業が始まります。
しかし、千思万考、どうしても出来ません。
何としても天の声は聴こえません。
根も辛抱も尽き果てた気持ち、
やけくそになった三郎は修行場であおむけにひっくり返り、
天を仰ぎました。

天に漂う雲の様々な形の変化に見入っているうちに、
鳥、獣、風、土などの音が聞こえていても、
心がそれらから離れ、雲の漂いの中で無心でいる一瞬の自分に気がつきます。
三郎は刹那に「これだ!」と悟りというべきものを心に感じました。

帰路、カリアッパ師に尋ねます。

三郎)工夫しても、工夫しても天の声が聞こえず、
   やけになって、雲を見ていたら、
   フーと無心でいることに気がついたんですけれど、
   無心にはなれたようですが天の声は聞こえませんでした。

カ師)ハッハッハ、聞こえているのに聞こえていないのかい?

三郎)わかりません。何のことです?

カ師)それが天の声だよ。

三郎)えぇ!

カ師)天の声とは声なき声(absolute stillness=完全なる静寂)よ

更にカリアッパ氏はこう続けます。

「考えてみたらどうだい。
 お前はちゃんとした教育も受けているようだから、
 わかるだろ。

 この地面は秒速20マイルで動いているんだ(自転している)。

 音でも光でも波長の長いのや短いのは人間には感覚できない。

 だから何も聞こえない音域がある。見えない光がある。

 その聞こえない音の中に天の声があるんだ。

 天がその音をみんな持って行ってしまっているから聞こえないんだ。」

三郎はこの師の説明を理解します。
しかし、それがわかった上で、
まだわからないことがありました。

そこで師に再び尋ねます。

三郎)それはわかりましたが、
   それで一体どうなるんです?天の声が聴けたら。

カ師)(じーっと三郎を見て)、
   それがわからないほどの馬鹿だとは思わなかった。
   わからないなら教えてやろう。

   何も聞こえない、天の声を聴いたときに、
   人の命の中の本然の力が湧き出るんだ。

師の言葉の意味が良く理解できずに驚く三郎に
カリアッパ師は笑いながらこのように続けられたそうです。

カ師)難しいことは後でゆっくり、
   考えなくてもわかる時がくる。

   事実がおまえにわからせてくれるだろう。
   
   どうだった?その雲を見てうっとりした時、
   ふだん、おまえの心に張りついている死に対する恐怖や、
   病からの苦痛、いつもおまえが訴えている息苦しいの、
   息がとまりそうだの、やるせない寂しさなどのことを心に考えたかい?

三郎)それは、ぜんぜん考えません。

カ師)そうだろうなぁ。
   すると、その雲のなかに心が溶けこんでいるあいだは、
   おまえは肉体に病があっても、ないと同様に命は生活をしてるということだな。

三郎)そうです。

カ師)それがわかったら、
   これからできるだけ心を、
   病からもあらゆるものからも離すんだ。

三郎)それで病が治りますか?

この三郎の質問に師はこのように答えます……

「治る、治らないなんてことを考えちゃ駄目だ。
 そう言ったらもとに戻ってしまうだろ。

 そうして生きるのが人間の本当の生き方だから、
 そう生きろと言ってるんだ。

 それよりほか、おまえの生きる道はないんだよ。

 それを他に求めたのがいけないんだ。

 考えてもみろ。病なり運命から心が離れたときは、
 病があっても、その人は病人じゃない。
 
 運命が悪くても、その人は運の悪い人じゃない。

 よーく寝ている人間は何にも知らない。

 何にも知らない人間に病があるか。

 目がさめて、あぁ、病がある、と思うんじゃないか。

 そのくらいのことがわからないか?

 たとえ病がないときでも、病のことを心が考えりや、
 病があるのと同じだ。

 運命が良くとも、運命が悪いときのことを考えてりや、
 その人は運命が悪いのと同じだ。

 そのくらいのこと、もうわかってるはずだ。

 人の事じゃないぞ。自分のことだ。すべてが心だ。

 だから、肉体の病は肉体のものにして、
 心にまで迷惑をかけるな。

 心に迷惑をかけたくなければ、
 時にふれ、折にふれて、心に天の声を聞かすようにしろ。

 つまり、声なき声のあるところこそ、
 心の本当のやすらぎの場所だ。

 たまには心をやすめてやれ。

 そこに心をやすませると、
 いっさいの迷惑が心にかからなくなる。

 すると、心の本然の力が命のなかで
 働きだすようになるんだ。わかったか?」

天風師はこのカリアッパ師の言葉を聞いた時の心境をこのように語っています……

涙がボロボ口でたんだ、
私、ここにきて。

あぁ、外国の大学まで出て、
しかも成績が首席で、
こんなありがたいことが
わからず今まで来た。

なんて俺はたわけの大ばかだったろう。

こんなたわけの大ばかでも天はそれでも救ってくださろうとして、

今月今日、ただいまこの時、
この人の口からこういう尊いことを
私の心にささやかれるのかと思ったら、
涙がボロボロでたんだ。

(抜粋ですので詳しくはコチラをご覧ください↓)
ブログ Yokoi Hideaki
天の声を聴く 中村天風師のインドでの悟り


=============

どうですか?
ちょっと難しいですか?

私はこれを読んで感動したんです。

結局、病気も運命も
心が決めているということです。

それを中村天風さんは
半年間の修行の中で、
心の底から気づきます。

理屈ではなく、
「心の底から」というところが肝です。

それから天風さんは
天の声を聞くことだけに
集中して、結局2年半で結核を直したそうです。

長くなったので今日はこの辺にします。

天の声~病気も運命も心が決める~
↑写真は、11/11(土)に長野県千曲市で行われた白石康次郎さん講演会の後、
トークイベントにて。
白石さんのお話はやはり深くて潔くて気持ちがよかったです!
この報告はまた後日。


■■FM長野「ヒダカズのココロの授業」バックナンバー■■■

2017.8.16放送

メジャーリーグ時代の松井秀喜選手が言った言葉。
「自分にコントロールできないことには興味はない」



その他のバックナンバーはコチラ↓
天の声~病気も運命も心が決める~


■■第13回ココロの授業講演会■■■
12月23日(祝)12:30スタート
ゲスト講師:海洋冒険家 白石康次郎氏

↓ご予約はこちら!
12月23日(祝)12:30
第13回ココロの授業講演会
白石康次郎×比田井和孝講演会
天の声~病気も運命も心が決める~


■■一般参加可能なヒダカズ講演■■■

●H29/12/10(日)長野県千曲市/10:00~11:30/千曲市ふれあい情報館/入場無料/定員100名(参加には事前申込が必要です。受付11/10(金)より開始)/NPO法人エリアネット更埴026-272-7772または市民活動交流センターえりあねっと026-214-7220

●H30/2/1(木)長野県中野市/13:30~15:00/中野市中央公民館3階講堂/入場無料/中野市中央公民館 0269-22-2691


Posted by 比田井美恵 at 19:59│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。